今のこの世の中でも、タダで寝泊まり食事つき!

息子のカイ(14歳)はマウイ島の高校のバスケットボールチームにいます。

マウイ島にはパブリックスクール(公立)の高校が5校、プライベートスクール(私立)の高校が4校あります。

そしてマウイ島の隣の小さな島モロカイ島とラナイ島に1校づつあります。マウイ島/モロカイ島/ラナイ島の3島は同じ政治区域の為、いわゆる地区リーグはこの中で行われます。さらに正確に説明してしまうと、本戦では学校の生徒数の大きさに基づいて1部リーグと2部リーグに分かれて、そのリーグ内で戦います。

シーズン中は練習試合、本番試合、トーナメントと何戦も試合があり、陸続きではないモロカイ島とラナイ島については泊まりがけで移動しなければならないのでこれはもうすっかり遠征ということになります。

このような近場遠征する時の宿泊先は、試合をする体育館です。シーズン中お互い行ったり来たり、ホテルはまったくもって不要です。

体育館には温水シャワーもロッカールームもトイレも完備しており、スペースは広々としているから何人いても全員で1室(?)だし、なんの不便もありません。各自寝袋持参で、宿泊料は完全無料!

バスケットの試合はたいがい夕方から夜にかけて行われます。

モロカイ島チームが、マウイに遠征にきた時はカイの高校の体育館に宿泊しました。

カイの高校はホスト(受け入れ高校)として、その日は各家庭より食べ物を持ち寄り、試合が終わった後、体育館で両チーム集まり一緒に食べます。持ち寄りパーティのことを英語ではPot Luck Partyといいますが、私のこの日の担当はRice(白飯)、大きな炊飯器で炊いたご飯を炊飯器ごと持っていくだけで、そのほか持ち寄りで集まった10種類以上の食べ物をいただけるのですから、みんなの力をあわせるとスゴイ、今日の晩ご飯は超豪華版といったところです。 チキンや牛肉と野菜のソテーや、春巻きやサラダ、焼きそばのようなヌードル類に、チャーハン、ピザ、そしてクッキーやチョコレートブラウニーなどのデザート、アイスボックスにはよく冷えたコーラやジュース。

遠征しに来ているチームにとってはこれほどありがたいことはありません。 試合後のリフレッシュと腹ごしらえの為に団体でマクドナルドやレストランまででかけていかなくてもいいし、お金もつかわなくていいし、なによりも美味しい手作りのものが食べられるというのは、本当にありがたいことです。

”モロカイボーイズって聞いただけで、あいつら、すっごい食べそうだ!”なんて思いながら、かなり多めにご飯を炊いてきました。
案の定、選手たちは皆うれしそうにガツガツ食べています。 用意した食事をそんなふうに食べてくれると、なんだかとってもうれしいんだな〜。

ホストにとっては、遠征に来ている対戦相手チームへの最高の歓迎ともてなし、ここまで試合にきてくれてありがとうといった感謝がそこにはあります。自分の家に友達を招待してごちそうしているのと同じです。 ”同じ釜の飯”を分け合うことほど、友好関係の証はありません。

カイの高校は昨シーズンは1度だけラナイ島へ1泊で遠征にでかけました。 ラナイ島はとてもとても小さな島で、ラナイシティという町にお店とローカルの住居があるだけです。学校は幼稚園から高校まで同じ場所で1校だけ、よって体育館というものも島には1つだけ。その体育館で夜行われた練習試合には、ラナイ島の住民全員が見に来ているのではないかという位体育館はラナイ島民でうめつくされて大騒ぎ、その空気の中、カイの高校はコーチ4人とプレイヤー12人だけでほとんど捕虜状態です。試合を終えた後、そこでもラナイ高校の持ち寄りパーティでごちそうになり(すっごく美味しかった!とカイは大満足していました)、体育館寝袋お泊まりでした。翌日マウイに帰るだけだった為、朝4時まで体育館の中でかくれんぼ&鬼ごっこをやっていたそうです。アシスタントコーチ3人は思いっきり寝ており、ヘッドコーチは責任感が強く、皆が悪さをしないようにずっと見張っていたとのことでした。

 

スポーツはチームメートやコーチ、サポーターがいないと試合ができません。

スポーツは対戦相手がいないと試合ができません。

寝袋もって遠征試合、
体育館を宿泊施設として提供したりされたり、
食事を用意したりされたり。

自分のできる小さなことをするだけで、与えて与えられて平和になる、ここにはギブアンドテイク(Give and Take. =与えた代わりに得る)ではなく、ギブアンドギブ(Give and Give=与え続ける)の精神がいっぱいです。

ハワイの古人の言葉にこういうのがありました。

Giving....

What I gave, I have;

What I spent, I had:

What I kept, I lost.

私が何かを与える(してあげる)ことができるのは、あなた(与える相手)が今ここにいるから。



foot


(私なりの英文の意訳)

 私が与えたもの(してあげたこと)は、今も私の心に誰かの心に、どこかに生き続けている。

私が費やしたモノは過去に持っていただけで今はどこにもない。
私が所有していたモノは今はどこにあるかさえもわからない。