私が日本で会社を辞め、主人と当時2カ月の子供と3人でマウイへ引っ越してくると決断した時、ある人は言いました。”あなたは、友達も家族もいない異国の地で、きっと寂しい思いをすることになる” 私はすぐに言いました。”友達はまたつくればいい。いまここにいるかけがえのない親友や友達も最初から友達だったわけではないし、10年前にはまだ出会ってさえいなかったよ!” 

 

それまでの私の人生で一番恵まれていたといえるのは友達、いつでも友達が私の人生を照らしてくれたし、私を元気にしてくれました。20代の頃は高校の同級生だった仲間とよく泊まりがけで海へ行ったりスキーへ行ったり、社会人になってからは会社の同僚や先輩とも友達になり居酒屋やディスコにくりだすのは日常のごとく、毎週末のごとく海にスキーにとでかけ、人生楽しくて、このままずっとこの時間が続けばいいとさえ思っていました。そんな時期をともにした友達とはいまも音信がとだえることがありません。結婚をしてからは主人の友達とも友達になったし、日本にいた頃は知り合いだった程度で友達というほどでなかった人とも、何度も何度もバケーションでマウイを訪れてきてそのたびに会って時間を過ごすうちにすっかり友達になった人もいます。

 

正直マウイに来てしばらくは、自分の気持ちの一部はまだ日本にあり、私のことをよく知っていてくれる友達が近くにいないことや2か月の赤ん坊と家にこもっている生活だったこともあり、確かに少し寂しい思いをしていた時期はあったと思います。近くにたまたま住んでいた日本人やその友達などが訪ねてきてくれたり、仕事の関係で知りあった人もいましたが、会ったばかりですぐに心を開けるわけではありません。お互いのことをよく知らないから、なんとなく世間話をしてそれだけの関係、でも細々でもたまに会いたまに話しをし、これに時を重ねていくと、同じ時空を生きてきて、そしていまもまだ生き残っているいわばこの世の戦友のような愛着が自然とわいてきて、”元気? 今日も会えてよかったよ”という気持ちになり、いつのまにか心を開いています。そしてたぶんこれからも時間を重ねるごとにもっともっと愛着がわいてくるのだと思います。

 

”持つべきものは友達”ですが、”持つ”といっても友達は所有物でもないし、自分の都合で無理矢理一緒にいることを強要するものでもありません。友達はその人との関係を ”時間をかけて” はぐくんでいくものだと思います。時間を共有すればするほど、コミュニケーションをとればとるほど、関心を持ち、相手のことがわかり、好きになり、自分がかっこつけることなく心を開ける心地よい人間関係になれるのだと思います。

 

息子のカイは11歳、もうすっかり自分のパーソナリティを持ち、自分の意思で自分の人生を歩みはじめている年齢です。カイは持って生まれた笑顔にオープンなパーソナリティが加わり友達をつくる天才です。大人でも年上でも年下でも女の子でも、まったく壁がなく、誰とでも仲良くなるので、新しい場所(例えば新しい学校、新しいスポーツチーム、新しい地域クラブなど)へ行っても、私がうらやましくなるくらい、すぐにうちとけます。赤ちゃんのころからこの世のものすべてに興味津々、会う人会う人に笑顔をふりまいている子だったのでもともとそういう性質だったように思えますが、小さいときからチームスポーツをやってきたからというのも少しは影響しているかもしれません。

 

マウイでは子供のチームスポーツはすべてボランティアで運営されている地域リーグです。それぞれシーズンが決まっていて(例えば野球は1月〜6月、バスケットボールは夏と秋、サッカーは秋と冬というように)、シーズン前に募集したプレイヤーを適当にバランスよくチーム分けをし、普通はチームの中の誰かの親がコーチやアシスタントコーチをし、シーズン中、同リーグの中で試合をします。チーム分けはランダムですから、仲のよい友達がいるときもあれば、場合によっては全員知らない人であることもあります。少なくとも、チーム内全員誰ひとり残らず仲良しグループであることは絶対にありませんので、そういう意味では、シーズンごとに毎回リフレッシュされた新しいチームメートということになります。

 

今までカイが5歳のときから今まで7年間分所属したチーム数、これに妹のレイのチームも含めて数えたらすごい数になりますが、どのチームのときでも、シーズン初めとシーズン終わりでは子供達同士もその親たち同士もまったく様子が変わります。
わかりやすく言うと、シーズン初めはあなた誰、どこの人?状態で名前も知らない人さえいるアカの他人が、シーズン終わりにはまるで昔からずっと一緒にいる家族のようになり、シーズンが終わってチームが解散になるのが本当に毎度毎度寂しい気持ちになるのです。
シーズン中、それぞれの子供たちのプレイを通してその子たちを知り、同じ時間同じ場所でそれぞれの子供たちの成長や上達を目撃し、同じ目標に向かってチームをサポートし応援する親たち、子供たちとコーチはやはり同じ目標に向かってともに練習し、試合をし、くやしいことやちょっと恥ずかしい思いをしたことや、がっかりしたこと、喜んだことなど、いわば人生の一部をともにし(日本風に言うと、同じ釜の飯を食べた仲とでもいうのでしょうか)、自分のチームに愛着を感じはじめ、本当にひとつのチームになっていくのがよく実感できます。

 

カイは自分から本当によく人に話しかけます。新しいチームが結成されたばかりでまだなんとなくみんなお互いうちとけあってないときでも、”Luke, good game (good practice), Bye. See you tomorrow.”(ルーク、今日はいい試合だったね。バイバイ、また明日ね。)と自分から声をかけ、途中からチームにはいり遠慮がちにしているチームメートにも同じように声をかけ、また不思議なことに、同じチームになったことがなくても、過去自分が対戦したことのあるチームはすでにもう友達だと思っているのか、知らないあいだに仲良くなっていたり、よく話したりしていることもあります。
本当にどこに行ってもフレンドリーなことが取り柄といえるほどのカイですが、おかしなことに、オアフ島で行われたサッカートーナメントで対戦したオアフ島在住の日本人だけでつくった日本人チーム(子供たちも日本語を思いっきりしゃべっていました)には、決して日本語で話しかけることはありませんでした。マウイにはオアフ島ほど巨大な日本人だけの社会みたいなものはないので、カイは日本語にはやや困難あり、つたない日本語を話すことにはちょっとまだ照れがある???

 

あるとき、息子のカイと同じバスケットボールチームになったジョン、一番最初の練習に1回きた後、2度と来なくなりました。 ジョンの弟が私の娘のレイと同級生でジョンのお母さんとは面識があったので、たまたま会ったときに ”練習来ないの?”と聞いたところ、 ”ジョンはチームに友達がいないから、辞めたわ”という答えが返ってきました。
”えー、バスケット上手なのにもったいない!!! バスケットやりたいから申し込んだんじゃないの??? カイはチームに友達がいたことなんてほとんどないよ。友達は最初からいるんじゃなくて、つくるものだよ” とはあくまでも私の価値感なので、その時は心の中でつぶやくだけにしておきました。

 

そう、友達は時間をかけてつくるもの。誰かから与えられるモノでもないし、欲しいと思って即日手にはいるものでもありません。
新しいところに行って友達がいなくてもだいじょうぶ、今日ちょっと孤独感を感じてしまっていてもだいじょうぶ、友達は必ずできます。自分から笑顔とあいさつを与え続け、そして自分から先に相手を好きになることを続けていれば、今日あったあの人と、次会う時にはこのあいだよりも親しみを感じ、1年後にはもっとその人のことを好きになっています。5年後にはかけがえのない大切な友達になっているかもしれません。
友達や人間関係は1日や2日ではつくれません。共に生きる時間が必要です。失恋して落ちこんだ時など、”時間が解決してくれるよ” なんて言いますが、その逆パターン、”時間が人間関係を発展させてくれます。”

sfield

(文中の人称は仮名です)

 

 

by Yoko, July 2006