試合のあいだじゅうずっとコーチがプレッシャーかけつづけるから、もう楽しくないよ。。。。。サッカー大好き少年の9歳の息子カイがある日ポツリと言いました。
5歳のときからプレイしている子供のお遊びリーグから、初めてスコアをつけて真剣に勝敗を競うマジなリーグへ昇格、リーグ初体験の若いプレイヤー主体だったチームにもかかわらず快勝をかさね、決勝まで行ったのはつい前年8歳のときのこと。プレイヤーもコーチも親も初めて体験する真剣リーグ、試合中はプレイヤーとコーチは親とは離れた反対側がベンチとなり、親と子供の接触はできず、親たちはなんだか取り残されたような気持ちながらも子供の成長を感じ、勝敗に一喜一憂し、目標に向かって練習に精をだし、オアフ島へ2泊3日の遠征にまで行く団結したチームでした。
ほとんど同じメンバーで2年目のシーズンがはじまり、今年こそはマウイで優勝してハワイ州決勝へと力がはいるのは自然の流れ、ただ前年のヘッドコーチが仕事で多忙のため、アシスタントコーチが事実上のヘッドコーチとなりました。もともと負けずぎらいでアグレッシブなコーチはそのパワーを存分に発揮、8〜9歳のサッカープレイヤー達は、まるで高校生リーグのような厳しさのもとに、完璧なプレイを要求され、上手くできないプレイは試合中でもそのたびに怒鳴られ、1試合のなかで2、3回あるかないかのハットトリック(?)やスーパープレイを除いたほとんどすべてのプレイに対して大声で怒鳴られる男の子たちからは、仲間と一緒にボールで遊ぶのが楽しいという笑顔がだんだん消えていき、いつのまにか強制的にやらされているような雰囲気になっていきました。
8〜9歳だと、今まで頭ごなしに怒鳴られたことのない男の子もたくさんいると思われ、畏縮して完全にやる気をなくしてしまっている子もいます。私の息子カイは幸運(?)なことにその母親に過去怒鳴られたこと多数、コーチとは小さい頃からの顔なじみ、基本的にコーチのことは友達のように思っているほど大好きです。ですから畏縮してしまうほどではありませんが、”嫌だな〜”的な葛藤を感じているのは確か、プレイの失敗やうまくいかないことなどもすべてコーチのせいにしはじめています。このままでは、シーズン中楽しくプレイをすることはおろかサッカーがきらいになってしまいそう。じゃあ、どうする? もうこのチームは辞めて、ほかのチームにはいる???

 

チームを辞めてしまえば明日からはコーチのプレッシャーを受けずにすむし、とりあえず状況は変わるので今の葛藤からは解放されるでしょう。 でもそのあとどうなるのか? 新しいチームにはいって、そのチームのコーチが怒鳴らないなんていう保証はないし、多かれ少なかれ別の問題が起こることも十分にあります。そこでまた問題があったら、また別のチームを探すのか? そのチームだったらなんの問題もなく100%満足になれる保証があるのか? コーチが怒鳴るのが嫌だから辞める、ではあまりにも理由が身勝手で短絡的な決断に思えます。9歳の息子のカイにとってはこれは初めての他人との葛藤、このようなことはサッカーチームでなくともこれからの人生いたるところで起こります。チームメイトが嫌い、学校の先生が嫌い、職場の上司が気に入らない、同僚が気にくわない、、、などなどはいつでもどこでも簡単に起こりえるシチュエーション。嫌なことがある→辞めるということを今から簡単にやりはじめたら、習慣となり、一生どこへ行っても簡単に辞め続けることになるかもしれません。だから、今までも始めたことは最後まで全うする(シーズン途中で辞めない)ことだけはさせてきました。

 

コーチのせいにすることはちょっと横において、自分のことを考えてみます。なぜ、カイが嫌だな〜と感じているのかー自分がプレイするたびに怒鳴られるということを期待していなかったから。
なぜ母親の私が嫌だな〜と感じているのかーお遊びサッカーリーグでは子供たちがころんでも失敗しても何をしても可愛く、なにが起こっても誰も責められることもなくなごやかな笑いになるだけのほのぼのリーグ、しかし今はコーチが勝敗に熱くなり過ぎて失敗もできないほどシリアスになりすぎているのが、自分の描いていた期待とは違うから。では、自分の期待どおりになるように、コーチに申し出て明日からやり方をあらためてもらうことができるか? 人間は人に言われて1日や2日でそう簡単に変わることはできません。特にそれがその人の個性だったり信念だったりなどパーソナリティに直結している部分だとなおさら変わるのには時間が必要です。自分以外の人を自分の思い通りに期待どおりにするのはほとんど不可能です。恋人だって、自分の夫だって、親だって、すべて自分が描いている期待どおりの人間だったかというと100%そうではないし、自分の子供だともっとわかりやすく小学校高学年ごろからだんだん自立しはじめるに従って、もはや自分のお腹の中に自分の腕の中にいた赤ん坊ではなく、自分とは違う別の人格の人間であり、自分の思い通りには動いてくれないことに気づかされます。

 

自分とは別の人である限り、誰も人のことを変えることはできません。では相手が変わらないなら、自分ができることは何でしょう? 相手の首をしめて縄をかけて自分の思い通りに変えることはできないけれど、自分が変わることは自分が決めればいいだけだから意外と簡単にできます。自分勝手な期待にもとづいて自分が理想としている登場人物になることを人に押しつけるのは止めて、相手のあるがままを受け入れてみると、”あれ、この人のことちょっとは好きかも。。。”なんてさえ思えてきます。

 

カイのコーチはほかのお父さんたちよりも年齢が若く、子供たちと一緒に走っても息もきれないし速い、仲間といつも一緒にいられるチームスポーツが大好き、声が大きいのでコーチに向いている、時間を惜しまず子供のように夢中になって練習に励む(日が暮れてもまだ練習していて、コーチなのか遊び盛りの子供なのかわからなくなることも?!)、練習や試合以外の時間も子供たちを誘って高校生の試合を見に連れて行ってくれる、そして何と言ってもコーチがいるからこそ、このチームが存在しているのです。私にはハイク地区の子供たちを集めてコーチになるほどの勇気も能力も体力もありません。あなたがいるから、ハイク地区の男の子たちでチームをつくることが実現し、子供たちが一緒に成長していかれるのです。子供たちがここでサッカーができる環境を提供してくれてありがとう。私たちの子供なのだから、あなたの不得意な事務処理や連絡係は、私がやりましょう。あなたが怒鳴ったあとの子供たちのフォローはアシスタントコーチ(前年までのヘッドコーチ)の得意分野です。そして、家でのフォローは当然親である私が努力してみます。”プレイヤーはコーチのことを選ぶことはできないよ。たとえプロスポーツ選手になっても、コーチはプレイヤーを選べるけれど、プレイヤーはコーチを選べないよ。たとえプレイヤーが全員そろっていても、コーチがいないとゲームはできないよ。コーチのあるがままを受け入れようよ。コーチをだまらせることは不可能だし、これからもコーチは怒鳴りつづけるよ。でもそれはカイの人生には影響しないよ。He is a great coach and you like him, だからコーチのあるがままを受け入れようね。そうでないとママがコーチをしないといけなくなるよ。” 最後の文句は半分脅しというか、”それだけは止めてくれ〜”状態によるあきらめ誘導作戦に近いものがありますが、その後はカイはコーチの不平は言わず、怒鳴られることにも慣れ、無事そのシーズンも最後までプレイすることができました。

mplumeria

(文中の人称は仮名です)

 

 

by Yoko, January 2007