アップカントリーにパープルのジャカランダが咲き始めるのは3月初め頃、夏の終わり頃まではアップカントリーのどこかしらで見る事ができます。
ジャカランダがさきほこっている5月は卒業式のシーズンです。
ハワイの学校の新学年新学期は長い夏休みが終わって8月からなので、夏休みの前が学年末そして卒業式です。
(パープルのジャカランダがきれい〜。クリックして見てください)
同じ町でエレメンタリースクール(小学校)、ミドルスクール(中学校)、ハイスクール(高校)とずっとパブリックスクールだった息子のカイにとっては、ハイスクールの卒業は大きな節目です。 パブリックスクール(公立)は高校受験はないので、エレメンタリースクールから一緒の友達は13年、公立のエレメンタリースクール5校分が1カ所に集まって大きくなったミドルスクールから一緒の友達は7年、ずっと一緒に学び育ちます。
日本語の「卒業」という言葉は、「終わり」や「別れ」的な要素が多く、「達成感」や「旅立ちへの希望」よりもむしろ物悲しかったような気がします。
英語の卒業=Graduationという言葉は、別の言葉でCommencement(始まり)とも言われます。
卒業式のパンフレットには "Leaving the shore"(岸を離れる=出航、船出、旅立ち)と書いてありました。
終わりではなく「始まり」であり「旅立ち」です。 先生や親など送り出す側から見たら「巣立ち」といったほうがしっくりくるかもしれませんが(母親的にはちょっと涙だけど。。。)、
「始まり」という前向きな視点はとても好きです。
Class of 2012(2012年卒業生)が年度始めに自分たちで選んだ学年テーマは "This is not the end."でした。
高校生最後の年ですが、This is not the end. = これで終わりじゃないゼ! というわけです。
こちらの学校システムは小学校であっても義務教育であっても規定の学業成績を達成しなければ自動的に落第するので(慈悲なし、根回しもききません)、
高校卒業は大きな達成でもあります。
(ちなみに、学校側から一方的に落第させられるだけではなく、特に小学校や中学校位のときは本人と親が自発的に同学年にもう1年とどまったり1年遅らせたりすることはまったく普通のことで、逆に頭がよすぎて学年を途中でとばしで進級する人も時々います。 どちらにしても個人にあったペースで確実に必要なことを学ぶことが最も重要ということです。入学してしまえば自動的に卒業できるようなうやむやなシステムではありません。)
落第一歩手前ぎりぎりで卒業できたディーは校長先生から卒業証書を受け取った瞬間、2000人位の観衆の前で半べそで狂ったようにそれは派手に喜んでいました。。。このディーは小学校のとき息子のカイと同じ野球チームで、コーチのサインを100年たっても覚えず、バッターボックスに立つたびに頭の上は?マークだらけで、毎回バントかスイングしていいのかジェスチャーでコーチに確認(よって、サインをだす意味ぜんぜんなし)していたことを思い出しました。 よかったね〜。
かと思えば、優秀な成績をおさめて学業表彰されてさらにスポーツ選手としても表彰されていたマックスは、卒業式2週間前に下級生とふざけていたのがマジ喧嘩に発展し停学となってしまった為、
卒業式に出席することができず。。。(学校行事や遠足行事の数週間前に停学をくらうと、自動的に行事には参加できなくなります。慈悲なし、謝罪による挽回なし)
ついでに言うと、高校のスポーツリーグでは該当のスポーツシーズン中には2週間ごとに「学業成績チェック」というのがあり、その時点で宿題や課題が提出されていなかったり落第点をとっていたりすると2週間試合にでることができません。時々これにひっかかる選手がいてそれがまたベストプレイヤーだったりなんかすると、特にチームスポーツの場合には勝敗に大きな計算違いが生じてしまったりもするので、高校生のリーグは何があるかまったく予測もつきません。
卒業式の2日前に学業表彰やスポーツ表彰、奨学金表彰がされる表彰式がありました。
校長先生はじめ各科目担任の先生や学生行事の先生、そしてこの日は特別ゲストもきています。
特別ゲストは奨学金を寄付した市民団体の代表や個人です。
表彰式の中で、ある生徒が奨学金の目録と一緒にマカデミアナッツチョコレートの大箱1箱をもらいました。
まだ表彰式は進行していますが、席についた生徒はチョコレートの箱をあけて食べはじめ、隣近所の生徒にも「食べる?」というジェスチャーをして分け与え、一瞬で空っぽになった箱を椅子の下においていたのでした。 私ももうマウイで長いのでこんなことが起こっていてももはやまったく違和感ないのですが、後でよ〜く考えたら「これ、日本の学校でやったら、すっごく怒られるのでないか、奨学金もとりあげられるのではないか」とちょっと思いました。
こんなハチャメチャなパブリックスクールライフですが、私も含めて今までよくがんばりました。
私がマウイで一番好きなことは、
「かっこつけたり見栄をはったり世間体を気にしなくていいこと」=「いつも自然な自分でいられること」
だから すべての人を受け入れるパブリックスクールが合っていました。
時々日本からのお客さまのウエディングをお手伝いしていますが、
私自身のウエディングではなくても、ウエディングに関わる度に毎回「始まり」を感じることができます。
卒業式も別れではなく「始まり」、なぜなら旅はまだまだこれから続くからです。
「成功」というのは、毎日朝起きてその日自分がやる仕事に対してわくわくしながら一生懸命することができることです。
(卒業生主席が自分たちで考えてきたスピーチの一部です)
マウイの卒業生たちは、「達成感」と「羽ばたいていくことのできる自由への希望」にあふれており、
まさに「始まり」であり「船出」でした。
(卒業生が選んだ卒業の歌の歌詞の一部です。Andy Grammarの "Keep Your Head Up"より)
生きることは大変で時々うまく行かないこともあるけれど、
僕たちはただ旅をしているだけなんだ
だから「心配」なんかは投げ捨てて
頭を上げて前を向き続けるんだ
君は大丈夫さ、すべて大丈夫になるのさ
雨が降れば必ず虹がでる
朝になれば必ず太陽が昇ってくる
すべてはつながっていて必ず巡り巡ってくるのさ
だから頭を上げて前を向き続けるんだ
君は大丈夫、大丈夫さ、すべてはうまくいくよ。。。。
この人たちは卒業生ではありません。卒業式に参加した卒業生の父親2名。卒業式だというのにこんな超普段着(うちのだんなはサーフショーツをはいているので普段着以下)