私の息子(14歳)のカイのバスケットボールリーグ、今回のチームにはカイのひとつ年上の大きな女の子(名前はターシャ)がいます。

9人の男の子の中でただ1人の女の子、もちろん今回初対面のメンバーもいる中、ターシャは初めからみんなにとてもフレンドリーでいつもからだ中から笑顔をふりまいており、カイとももう10年来の友達なのではないかと思うほどうちとけて仲良くしています。 普通は初対面のときというのは必ずお互い無言の探り合いみたいな時間があって、完全にうちとけあうのに少し時間がかかるものですが、ターシャは最初からとてもリラックスして全員となじんでいました。そんな素朴で無邪気で”人間が大好き”みたいなオーラと笑顔をふりまいているターシャはとてもかわいく、いままでこんなかわいい女の子はいなかったな〜、またすぐ会いたいな〜とさえ思うほど”気になる女の子”(ただ無性にそのあふれでているオーラに惹かれるのです)でした。驚いたことに、この点は私のダンナもまったく私に同感していました。
 

シーズンが終わりに近づき、私はコーチに渡す感謝の贈り物を購入するべく、各プレイヤーから1人10ドルづつお金を集めていました。 
ターシャに ”10ドル持ってきた?”と聞きにいくと、ターシャが隣にいる女性に向かって、"Mom, Ten Dollars !"(お母さん、10ドル!)と手を出しています。 ターシャがMomと言ったその人は、練習も含めて約2ヶ月間続いていたこのリーグで、その日初めて姿を現しました。 いつもターシャにはお父さんがついてきていたので、その人がお母さんだということはその瞬間に初めて認識しました。

ターシャのママはその日、バスケットボール試合会場にはとても場違いなテニスウエアを着て、サンバイザーをかぶり、妙にとても目立っています。

その1週間後、最後の試合(2008/7/12)が終わったあとに私がそそくさとポットラックパーティ(Pot Luck = 食べ物持ちよりパーティのことです)の場所確保をしていると、ターシャのママ(名前はサオと言います)は私に近寄ってきて、何の前触れもなく突然テニストーナメントのパンフレットを見せながら、”見て、見て、ここに私が載っているのよ。私このあいだのトーナメントで優勝したのよ!” と自分のテニス話を唐突にすごく楽しそうに始めました。

サオとは前の週10ドル集金時に一言会話をしただけで、その日は会ってからまだ2度目。にもかかわらず、いきなり私の家のドアを呼び鈴もならさずに勝手にあけてズカズカとはいってきたような突然訪問攻撃にすごくびっくりしている私は、話を聞きながらも”私とこの人ってこんな親しかったっけ? この人、私のことを誰かほかの人と勘違いしているんじゃないかな〜”などと考えながらここはどういう風に反応するべきかを緊急で探っている状態です。その突然訪問攻撃は、”初対面からこの人馴れ馴れしくて失礼な人だな〜”と思ってしまうかもしれないヤバイ境界線を超える半歩手前位でウロウロしています。 こういうタイプの人はけっこうマウイにはよくいるので慣れているつもりなのですが、経験的にハワイアンではなさそうです。フィリピン人は初対面はシャイだし、トンガ人もありがちだけど違うような気もするしな〜、でも絶対ハワイアンではないな〜、などと私の中で今度はその人種を緊急に探っています。そんなこんなで内心かなり混乱気味であることを覆い隠しながら話につきあっている内に(この間およそ3分位という短い時間)、気づいてみたらそんな混乱状態も忘れ、私はサオの話に耳を傾けゲラゲラ笑っていました。サオはテニスがものすごく上手くて男性のプレイヤーよりもパワーがあるのでみんなから恐れられていること、ある時はサオがショットした球が相手プレイヤー(男性)の急所を直撃したこと、だからサオとプレーする男性プレイヤーは野球選手が着用するカップ(急所を保護する為の固いプラスチックのカップです。日本語で何と言うのでしょう?)をする必要があることなど、そんな話にウケて爆笑している私。 その後は気づいてみると、私も含め約7名ほどのチームの親たちが座っている真ん中にサオは仁王立ちになり、サオとだんなさんがどこで出会ったかとか、白人である自分のだんながどんなに自分よりもスポーツができないかとか、そんな自分の話をしつつ、ほかの夫婦にもどこ出身かとかどこで出会ったのかとかかなり個人的なことをつっこみながら、その日のその瞬間が初対面であるにもかかわらず完全に輪の中心で笑いをとりながらうちとけた空気を創りだしていました。
 

サオはウエスタンサモア出身(100%サモア人です)でした。 どういうわけだか知りませんがサンフランシスコのボーリング場で働いていた時に、そこにお客さんで来ていたアメリカ白人のだんなさん(ジム)と出会ったそうです。 サオは”白人男(ジムのこと)は痩せていてボーリングもへたくそでスポーツもできないし頼りないのよ”と言い、ジムは ”サモアっていう国は女ばかり強くて最悪の国だ”と言い返し、その様子はまるで夫婦漫才そのもので、私たちはみんなゲラゲラと笑っていました。

そんなごく普通の出会いでほんのひと時の時間でしたが、なぜか私にはカルチャーショックを受けたような不思議な”衝撃”が残りました。 
 

ターシャと同じ素朴で無邪気で”人間が大好き”オーラを振りまいており、何の壁もなく偏見もなく疑いもなく初対面の私の中へ無防備で飛び込んできました。なんだかすごくなつかしいような暖かいような安心感のあるようなそんな気持ちが残り、またサオに会いたいな〜と思いました。


なんでそんなに衝撃を受け、心に残ってしまったんだろう?何にそんなに惹かれているんだろう?としばらく考えていました。答えはすぐにわかりました。きっと私はずっとサオのようにターシャのように、誰にでも何の壁もなく偏見もなく疑いもなくすぐに友達になれる、人間が大好きな私になりたかったのです。正確に言うと、人間が大好きな私に”戻りたかった”のです。

小さな子供の頃はそうだったはずだということを思い出しました。”葉子ちゃんはいつもニコニコしているね”とよく言われていました。誰とでもすぐに仲良くなりました。 

都会のシステムの中で大人になるうちに、人間に対しての偏見や疑いや壁といったものが徐々に蓄積されていき、どうやって人を判断するかとか、どんな風にかっこよく自分をみせたいかとか、そんなテクニックみたいなものが優先されていったようなそんな気がします。ですから初対面の人とは最初から100%自分を出すことができません。サオとの出会いは、人間が大好きで、誰とでもすぐに友達になれる無邪気だった子供の頃の感性を私に思い出させたのです。私が私自身でいられた本質に引き戻してくれたのです。

サオとのカルチャーショック的衝撃の出会い以来約6ヶ月後、ハイスクールのバスケットボールシーズンが始まり、ずっと会いたいと思っていたサオに試合会場でついに再会することができました。

サオといると、たわいもないごくごく普通の会話をしているだけなのに、サオのナチュラルな人間愛のオーラのせいか、すごく暖かく平和な安心感に包まれます。なんかもう長い間友達であるようなリラックス感があるのです。 そして必ず毎回”笑い”が生まれます。子供の頃に何の心配もなく、無邪気に家族や友達と談笑していた時のような感覚に引き戻されるのです。私の本質はここにあったんだと気づかされます。

今日もバスケットボールの試合会場で、サオは(絶対初対面だと思う)隣の人の膝をたたきながら”ちょっと見て、あのコーチ騒々しいわね〜、あっはっは”なんて勝手に話しかけながら、喜んで試合観戦しています。

2009年1月

(サモアの話はまだもう少しだけ続きますが、また後日に。。。)

mhibiscus