その後商品ラインナップも増やしていきますので、
ハワイアンライフ
その後商品ラインナップも増やしていきますので、
コスコ( Costco ) に買い物に行きました。
アメリカサイズの大型スーパーマーケットよりもさらに大きな店舗内、会員制卸し売り価格の巨大倉庫なので、例えばトイレットペーパー36ロール入り、ティッシュペーパー8ケース入り、パンは2斤まとめ買い、水ボトル36本入りケース、缶詰24個入りケースといった具合に、一度にボリューム買いをしなければいけない代わりに1つあたりの単価は最終的には非常に安いというシステムです。
巨大倉庫店舗内には有り余るほどの食糧が並んでいます。調理をしなくてもすぐに食べられるパンやスナックに野菜類果物類、すでに調理がされているチキンやピザ、解凍さえすれば食べられるもの、開ければすぐに食べられる缶詰類、水、赤ちゃんのオムツやミルク、暖かい毛布やクッションも。。。
閉店間際の遅い時間、買い物客も少なくゆっくりと立ち止まる余裕のある店内、あふれそうなほどの食糧に圧倒されそうになりながら、暖めるだけですぐに食べられるスープが並んだ棚の前で泣きたくなりました。
「おねがい、誰かこの店舗ごと今すぐ被災地へ持って行って。。。 この店舗ひとつなくなったって、今マウイは困らない。。。それより今物資が足りていない人々がどれだけ助かることか。。。」
今まで何とも思っていなかったコスコの中のものすごい量の物資に激しい違和感を感じ、いつもなら「安いから買っておこう」と手にしていたものも買うことをためらい、最低限今必要なものだけを「すみません、買わせていただきます」と半ば申し訳ないような気持ちさえも少し感じながら買ってきました。
自分だけ今普通の生活をしていていいのかな、、、今すぐ私ができることは何?、、、答えがでずにあせり悩みます。
友達のマリアがとても悪そうに小さな声で電話をしてきました。
「ヨウコの家族や友達は大丈夫??? 主人はこんな時に電話なんかして聞くなって何度も私に言うんだけど、心配で我慢できないし、日本人が大好きだし、私は女だから男とは感性が違うし、イタリア系とスペイン系の血がはいっているからだまっていることができないの。 今主人がいなくなったから、電話しちゃった。。。」
いつもは気軽に電話をしあう仲なのに、この電話を私にする為に、かなりの時間私の心中を想像したりいろいろと考え巡らしたであろうことはその声の様子から容易に想像でき、逆になんかかわいそうになってしまったと同時にこんなに私のことを日本のことを気にかけ心を寄せてくれる友達が傍にいることに、私は感謝し心はとても暖かくなりました。
8時間後にハワイに到達した津波警報により夜10時から午前2時過ぎまでの1時間おきのサイレンを聞きながら、テレビニュースとラジオをつけて徹夜した日の朝、ステファンが寝起き声で電話してきました。「昨日は疲れて早くに寝ちゃったんだけど、朝起きたら大変なことになってて。。。。ヨウコの家族大丈夫??? マサトは???」
その後、ウインドサーフショップで会っていつもより長いハグ(愛情をこめて抱きしめる挨拶)をしてくれたステファンの目は、日本にいるたくさんの友達(ショップで会ったお客さんたち)とその国に心を寄せ、泣いていました。
ニナとは言葉をしばらくかわさないままの長い長いハグ(愛情をこめて抱きしめる挨拶)、でもニナの感情は十分すぎるほど伝わってきて、これ以上ハグしてたら泣いちゃうなっていう位暖かく、行きつけのワイルクのレストランの店長とおかみさんは私の家族や友達は大丈夫かと安否を気遣ってくれ、命は大丈夫だけどたくさん不便をしていると言ったら、おかみさんは何も言わずに私の手をとってしばらく握っていてくれました。
沿岸部より山のほうへ避難していて徹夜だった写真家のニコルとは、その夜「眠いね、疲れたね」などと言い合いながらもショックと心の痛みを慰め合うかのようにE-mailでチャットし、仕事で毎日のように電話で話しているウエンディは「今、私の心と祈りはすべて日本の為に捧げているわ」と言います。
今はアメリカ本土に住んでいる親友キャシーは、カトリック系クリスチャンです。キャシーは言いました。
「毎日毎日、日本の為に祈っているわ。私がキリスト教徒であるとかないとかはもはや関係ないの、私は地球上のすべての宗教の神様とユニバーサル(宇宙)の神様に祈るのよ。」
なんてみんな暖かく優しいんだろう。。。
人間を支えてくれるのはいつも人間です。
何をしていいかわからなくなったら、
今日1日の枠の中で、自分ができることに集中しよう。
自分の為にではなく、人の為に自分ができること。
あまりに日常で忘れてしまいがちだけど(更には疲れた〜めんどくさ〜いとさえ思う事も時々あるけれど)、家族にご飯をつくるのも、子供を送り迎えするのも、人の為。
今日会った人に笑顔でいるのも、人に道を譲るのも、人の為。
目の前にいるお客さんの為に、一生懸命働くのも、人の為。
生きている限りは、自分は人に支えられ、そして人を助けるのが、生きているということなのかもしれないな。。。
だから今日、自分ができることをしよう。
昨日、マウイへの旅行者のご夫婦でサーフィンのレッスンをしている間、その赤ちゃんをベビーシッターしました。ベビーシッターのお仕事が終わり、私は WholeFoodsにランチを買いにいったら、American Red Crossの日本への募金箱がすべてのレジに並んでいました。 なんだかそのタイミングに日本へ渡る募金箱が目の前にあったことがすごくうれしく、「おっ、今この瞬間私にできることがあるぜよ〜」と思って、募金しました。 その日働く事ができた私、私に働く機会を与えてくれたご夫婦、そしてまだこの世に生まれて8ヶ月の赤ちゃん、アナタの存在があったから、私、日本の為に何かができたよ。
さて、あと今日私ができることは、昨日8日ぶりに水が来たと言っていた茨城の義父に「気持ちのいいお風呂にはいれたかどうか」E-mailして確認しよう。
あとは、娘のレイが Jamba Juiceの店内に書いてあったと言ってたんだけど、携帯電話で指定の番号にテキストメッセージを送ると自動的に電話会社の請求書から$10が引き落とされて日本へ募金されるそうなので、それもやっておこう。
あと、今日私ができること、、、、できることというか「本日の重大な任務」です、これは。。。
息子のカイの高校へ、モロカイ島の高校生がバレーボールの試合をしに遠征にやってきます。今夜のモロカイボーイズたちの宿舎はうちの高校の体育館(柔道場)、よって夜ご飯はうちの高校チームの親達で持ち寄り、だから早く帰ってモロカイボーイズの為に、メシ炊きです、メシ炊き!
(注釈:島間で遠征試合するときは、高校の体育館に宿泊が定番、宿泊費無料夕食込み!)
ブログアーカイブ: http://mauiwind.livedoor.biz/archives/1047077.html
GIVING - 遠征試合、そのときの歓迎ともてなし)
マウイの夜明け
(ハレアカラとアップカントリーへの道。
カフルイ空港より撮影)
(拡大写真はクリック)
マウイはしょっちゅう虹がでるよ〜
(拡大写真はクリック)
マウイのサンセット、山と海へ沈む夕日
(アップカントリーのクラより撮影)
オマケ:
カナハビーチへ行く道、津波で上陸してしまった海ガメが消防隊にレスキューされたところ。http://www.facebook.com/album.php?fbid=158172294239141&id=150618851661152&aid=34929
Aloha for Japan
ハワイでは地震津波災害による日本復興をサポートする為の基金集め活動キャンペーンが発足しています。
American Red Cross アメリカ赤十字ハワイ支部 と Japan-America Society of Hawaii を通して、アロハが日本へ届きます。 http://www.alohaforjapan.com/press-01.html
「。。。。。」
「見た、見た??」
「Yeah, I did ! 見たよ!」
ホキーパの海沿いをいつものとおり海をちらちらと眺めながらゆっくりと車で走っていました。
風は弱いけれども波がはいっているので、海には波目当てのウインドサーファーがたくさんいます。
波待ちをしながらゆらゆらとセイリングしているウインドサーファーたちのその先の直線上少し沖で、ものしごい水しぶきをたてているのは冬の間ハワイの海を訪れているクジラです。 ずいぶんと元気満々の真っ黒な大きな図体のクジラで平水面の海に大きな石を落とした様な水しぶきをたてているので、海に視線を移した瞬間にすぐ目に留まります。
そして翌日、スウエル(大波)が去り湖のようにしずまりかえった平水面の海には、水しぶきや海面から空に向かって吹き上がる潮があっちにもこっちにもよ〜く見えます。
そしてそのまた翌日には次のスウエル(大波)が大波注意報とともにやってきて、風はコナウインド(南西の風)。 オフショアの風なので、沖に向かって吹いている風に流されないようにがんばって抵抗しているかのように、沖からセットではいってくる波は、波しぶきをとばしながら重力に逆らって海面から押し上げられたツルツルの美しい水の斜面を形作っています。
ハイクからカフルイに向かって行くホキーパ沿いのハナハイウエイ、谷を超えて目の前に海がウワ〜と開けた瞬間「ウワ〜、きれい、気持ちいい〜」と毎日毎回必ず感動し心躍り、今日もそんな美しい景色に包まれているという安堵と、一瞬で癒されリラックスしたため息が身体を一気に軽くしてくれます。
例えその時に日々の懸念事項や悩みごとで頭がパンクしそうなときでも、「海きれいだし、山もきれいだから、もおど〜でもいいや、なんとかなるサ」と本気で思えてしまうところがスゴイというか、こういうのをいい加減な人生というのかこれまた悩むところですが、、、、何もせずともそう思わせてくれるパワーというか癒し力は本場のナチュラルヒーリング、はたまたこれがナチュラルハワイアンライフと言えるかもしれません。
最近は元気になるために、パワースポットと言われるところ(=広告されているところ)をめがけて訪れる人がほんとうにたくさんいるようですが、ココは島自体全部がパワースポットだと思います。そこに居るだけで空気に包まれているだけで心も身体も気持ちよくなれるのですから。
新年明けたばかりの1月2日、弱いトレードウインドが吹いていたカナハビーチパーク、東のほうから大きな雲がやってきたな〜と思ったら、沖の水平線から陸の緑をくっきりと結ぶ虹がかかりました。
「。。。。。」
「見て、見て!」と、子供達に叫びます。
虹のかかった海の沖のほうでは、大きな虹の輪っかの下でアッパーリーフの波乗りを楽しんでいるウインドサーファーたちがとても幻想的で、私たちは随分長い間そこに存在していた虹に圧倒されていました。
「見て見て! ピンクの夕日きれい!」
「見て見て! 今日の波すっごいきれい!」
「見て見て! 山きれい!」
「Look ! It's so cooool !」(見て、すっげえきれい!)なんて、夕日を見ながら高校生の男の子同士でも普通に会話するほど、ここではあるがままの美しい自然が当たり前の身近な存在、そしてそんな自然から毎日元気やエネルギーをもらっています。
先週娘のレイがオアフ島へ4日間滞在していました。高校のバスケットボール部の遠征試合です。
試合と言っても1日1試合でしかもトーナメント勝ち抜き戦で早々に負けてしまったので、宿舎(ローカルご用達の宿パゴダホテル)から歩いて行けるアラモアナショッピングセンターにワードウエアハウスに、さらにちょっと遠出をしてパールリッジショッピングセンターにと、暇な時間と言えばショッピングセンターばかり行ってたそうです。マウイローカルから見たらホノルルは超大都会、最初はマウイには売っていないものだらけで目新しく楽しかったそうですが、マウイに帰ってきたときは「あ〜助かった〜もうショッピングセンターには飽き飽きした。 I am SICK of shopping. 」なんて言いながら帰ってきました。マウイのカントリーガールにとっては、物質文化ばかりの連続3日間はきつかったようです。
そして昨日、バケーション休暇をとっていたウインドサーフショップのステファンがマウイに帰ってきました。ステファンは、昨年末から旅行づいており、年末には奥さんの実家のあるカリフォルニアに10日ほど滞在し、クリスマス休暇シーズンで美味しいものはたらふく食べ、のんびりしてきました。。。はずでした、
がしかし(BUT)、雨模様曇り模様の天候つづきで外で過ごした時間が2日位しかなくずっと家の中に居たそうで、この人も「あ〜助かった〜」と言いながらマウイに帰ってきました。そして今回は1月の末から約2週間ものあいだフィリピンでバケーション。今回は島だし海もあるし、魚でもつかまえながら少年のように海で遊んでるだろうと思っていました。。。。
がしかし(BUT)、「あ〜マウイに帰ってきてよかった。もうこの先2年間はどこにも行きたくなーい、マウイが一番いいよ。」
マウイに住んでいる人が、ハワイ以外のところに旅行にでかけて帰ってくると、ほとんど必ずと言っていいほど全員が、BUTとかHOWEVER(=しかしながら、でも)と言うのです。
「バケーションどうだった?」
「すごく楽しかった、○○は最高だったし、○○は美味しかったし、○○に行ったときは 〜 。。。(永遠と旅行話が続く)。。。。(( BUT )), I am very happy to come back to Maui. Here is the best. (( でも ))、マウイに帰ってきて幸せ、ここが一番最高だよ! 」 全 員 が、そう言います。
そうなんだ、そんなにマウイっていいところなのね〜と、旅行で動き回っている人の感想を聞いては第三者的に認識している私。
でも、マウイから都会へでていく人が多いのも事実。 先日カフルイ空港の集荷場所へ荷物を取りに行ったときに偶然そこで会った人はマウイ育ちのアメリカ人なのに日本の大学で勉強したそうで日本語を流暢に話すことができ、日本でしばらく働いていたけどマウイの太陽が恋しくなって戻ってきた、でもやっぱりここには自分のやりたい仕事がないから、来月東京へまた戻って銀行で働くことにすると言っていました。
大きな空と海と山に支配された景色が目に写れば、顔が自然と笑っちゃうし、
ザワザワとトレードウインドが吹いているだけで胸がすごくドキドキする、
今のところ(といいつつ16年も経ってしまったけど)それだけで十分、マウイが一番! Maui No Ka Oi.
$500 airfare
$70 Gas (for pap's truck)
$8 Plate Lunch
Coming home, Priceless
エアチケット 500ドル
父さんに借りるトラックのガソリン代 70ドル
昼ご飯弁当代 8ドル
マウイに帰ってくること 貴重すぎて値段なんかつけられないゼ!
(ローカルボーイご用達808 Naluで売っているT-Shirtsに書いてありました)(注釈:アメリカ本土で生活しているハワイ育ちの人の視点です)
冬でも風が吹けばウインドサーフ天国
(1月@ カナハビーチパーク)
ホキーパには
冬の間ノーススウエルが次から次へと
はいります。
(オマケ)
ところでこれ、
1月19日にハレアカラ山頂に一瞬積もった雪!
常夏のハワイも12月にはいると朝晩の気温がぐっと下がり、朝6時起床時には思わず「寒っ。。。」とつぶやきこの時期にしか着ない長袖に腕を通します。
スクールバスが来るのは6時50分、バスを待つ子供たちも寒さで固まり背中を丸めています。
しかし遠い過去の記憶で日本の冬の寒さを十分に知っている私にとっては、こんなのは寒いとはいいません。
半袖短パンが当然だと思っているところに、長袖のフリースやパーカーなど羽織るものが必要になった時点でハワイの感覚では十分に「寒い」という、年中夏気候に甘やかされ毛穴の開ききった人たちというわけです。
それでも数時間後にはぽかぽか太陽で半袖短パン海水浴もOKなので、やっぱり常夏ではあります。
今年もまたバスケットボールシーズンが始まります。
こちらはスポーツが季節ごとに変わるので小学校から高校まで、ひとりで違うスポーツができます。
例えば高校の場合、
秋:バレーボール女子、フットボール、マラソン、
冬:バスケットボール、サッカー、バドリング、レスリング
春:バレーボール男子、野球、テニス、柔道、陸上
といった具合で、本人がやりたければ季節の違うスポーツはいくらでもできるのです。 私は日本の中学高校では部活で1年中来る日も来る日も一つの同じスポーツだけをやっていたので、この季節ごとにスポーツが変わるシステムは短いシーズン中でたくさん試合があり、中だるみもなく、違うスポーツを経験でき、違うスポーツの違うチームで友達もたくさんできて、、、といいことばかりだと思います。 要は学校の部活は部活なのですが、1年中ではなく季節で終わるので、なんのしがらみもおとがめもなく、シーズンが終わったら次のシーズンスポーツの部活に参加します。
ただし、部活といっても誰でもが入部できるわけではなく、シーズン初めに「トライアウト Tryout」と言われるいわゆる入部試験があり、正式にチーム登録できる人数枠分上手な人だけ選抜されます。さらにこちらでは、学校社会でも一般社会でも「年功序列」という文化は存在せず、「実力主義」なので、高校1年生でも高校4年生でも年齢は関係ありません。
実力があれば1年生でもレギュラー入り、4年生がベンチにいる といった図も違和感なくごく一般的です。
先輩後輩といった上下関係も、入部してから1年間はずっと球拾いなんていう時間もまったく存在しません。
日本語の「先輩」「後輩」という語源もおそらく年功序列文化から生まれたのかと思いますが、英語には「先輩」「後輩」にあたる単語は存在しません。 年齢はまったく意識していない、その人の実力やその人なりを判断する材料にはならない のは明らかで、子供たち同士も年齢に関わりなく、普通に友達になり普通に友達語で話しています。
私の中学時代(中学では最も厳しかったバレー部)は、1年生から2年生途中まで毎日「球拾い」をするために部活へ行き、先輩は恐れ多くていつもビビっており、先輩と友達になるなんてありえませんでした。こちらの中高校生はなんて自由闊達で自然で人間らしいライフなんだろうとうらやましく思います。
昨年のシーズンは息子のカイのチームで、涙4つ、ありました。
(涙1つめ)勝てた試合なのに、最後の最後に「勝利」がするりと手からすりぬけていって惜敗したとき。 勝利の女神というのは必ず居て、手中にあった「勝利」がまぼろしとなって消えてしまうことがあります。 欲しいものを手にできなかった悔し涙。
(涙2つめ)最後のホームゲーム(自身の高校が会場となって行われる最後の試合)は、最終学年である高校4年生を祝福する儀式が行われます。まるでお誕生日会のようにチームメートによってたかって頭まで埋まりそうな程のレイ(花輪)で祝福された2人のシニアボーイズ(高校4年生)は大泣きモード。 チームメートへの感謝の涙でした。
(涙3つめ)シーズンでリーグ1位だった高校相手に最後の最後に勝ったとき。 「コーチと僕たち笑いすぎて涙がでちゃったよ」と言ってました。 勝利のうれし涙。
(涙4つめ)シーズン最後のトーナメント。要は勝ち抜き戦でチャンピオンを決める大会で負けたとき。勝ち抜き戦は英語で " Win or Go Home."と言い、(勝つか、負けたら家に帰れ)というとてもとても直接的な表現です。 負けたあと、ミーティングから戻って来た男の子たちは泣いていました。息子のカイは " I don't wanna go home ...."(家に帰りたくない=負けたくなかったんだ)と言って泣いていました。 悔し涙。
たくさんのことを感じて、悔しい涙や挫折の涙がたくさんあればあるほど、いろいろな感情を感じれば感じる程、心暖かく強い人間になれるよ。
男の子が泣いていると私まで泣きたくなっちゃうんだけど、「感じる」ことは人生経験では最高の教科書。
1秒先に何が起こるかわからない、ヒーローになるのか負け犬になるのかもわからない、勝利の保証もなにもない、そんな最後まで勝敗のわからない試合に挑み、汗を流すマウイボーイズたち。
一寸先がどうなるか何が起こるのかわからないからスポーツはやる方も観る方も楽しい、良い事も嫌な事も仲間と一緒だから強くなれる。 人生も同じだね~。
シーズンオープンにあたり、コーチが選手に配ってくれた言葉の一部です。
If you're not making mistakes, then you're not doing anything. I'm positive that a doer makes mistakes.
失敗をしない人は何もやっていないから失敗しないのだ。 たくさん行い、たくさん失敗しろ。
「失敗を恐れず積極的に動く」
Life is ten percent what happens to you and ninety percent how you respond to it.
貴方の人生は、貴方の身に起こることが10%、起こったことに対して貴方がどう反応するかが90%を占めている。
「幸せな人生は与えられるものではなく、自分が創るもの」
次にやってくる波は来るまでわからない、来たらどう反応するか。。。
今日もマウイ島の海はまぶしい太陽の光と目がくらみそうなほどの優しく透きとおったブルーです。
この水の色ーオーシャンブルーがこの世で私が一番好きな色です。やっぱりここは世界で一番心地のよい美しい場所です。
ノースショアには今年は9月末にファーストスウエル(ビッグウエイブ)がはいりました。 マウイの秋の訪れです。
ファーストスウエルがはいる前の日は、(すでに予報もでており)「明日だよ Tomorrow !」「明日はスウエルが来るよ! It's coming tomorrow!」と言うやりとりがまるで挨拶がわりのようになっており、ざわざわワクワクしていました。 ファーストスウエルがはいったのは9/19の日曜日、そして1週間後の日曜日9/26には第2弾のさらに大きなスウエルです。
9/27お昼には High-Surf Advisory(ハイサーフアドバイザリー=ビッグウエイブ注意報)は取り消されたと思ったら、その日の夕方にはまた次のスウエルで新しい High-Surf Advisory大波注意報です。
毎年毎年季節が巡り、夏から秋へ季節が変わる時にこの波がやってきてずっと私たちと一緒に居て、冬が終わるとまるで出番が終わったかのように居なくなっています。 だから、秋の訪れを告げにまたやってくると、去年同じこの場所で出会った友達とまた再会したようなうれしなつかし気分となり、そんな海を見るといつも顔は思わず笑っています。
スウエルがはいったノースショアには、沖から次々とやってくる波の斜面を滑り降りるウインドサーファーやサーファーたちと、それを観賞するギャラリーでいっぱいです。
一方サウスショア(島の反対側のラハイナ近辺)に行くとこちらはうって変わって穏やかでカヤックやスタンダップパドルボードで楽しむ人にメロウな波にのるサーファーたちに浜でのんびりマウイの風に吹かれている人たち。
同じ島なのに、北と南で海の様子もぜんぜん違います。
海にはいらず陸にばかりいると、どうも身体も心も頭も渇いてひからびてきます。
「ちょっと海に濡れてくるからね I gonna go to get WET !」と言い残し、海へ。。。
10月だというのに、海の水はまだまだ暖かく、穏やかなトレードウインドも吹いており、平水面の夏とはちょっと違って海面は波で動きがあるので、インサイドでちょろちょろとウインドサーフィンをしている私でも、沖から岸に向かう時はいとも簡単に偶然波に乗せられ、波におされるパワーを足裏に感じサーフィン感覚を味わうことができます。 この感覚は癖になり中毒になるんだな〜、これが。。。
ウインドサーファーやサーファーがその海での快感を求めるがゆえに、陸の上でのほかのことをさておいてまで、時には超自分勝手になろうとも(笑)、海に向かうわけです。
海にでると、水に抱かれて風を感じて波の音を聞いてとても気持ちよく、瞬時で癒されます。
陸から離れて海にでると、ほかでは体感することのできないような自由「フリーダム」を感じ、自然と顔も身体も心も笑っています。
自分の中にもともと存在している素の自分を素直に外に開放し自由になれるのだと思います。
癒されるといってもこれはストレス解消ではなく、自分の中の「自由開放」といったほうがぴったりくるかと思います。
そしてウインドサーフィンの合間に誰もいない砂浜にあがり、波の音を聞いていると、波の音と自分だけになり、それもまた心地のよいメディテーション(瞑想)の世界にはいっていきます。
ヒーリンググッズもリラクゼーション音楽も何も必要ありません。 ここでは海がすべてを与えてくれていますよ〜。
カナハでウインドサーフィンをしていたある日、ウオータースタートをしようとセイルをつかみながら立ち泳ぎをしていたら、前方10メートル先位のところに誰かの頭が見えました。頭はすぐに水に引っ込みました。 大人のダイバーにしては小さすぎるし、かと言って赤ちゃんがこんな海のど真ん中でひとりで泳いでいるわけはない、ということは。。。。よーく見たらやっぱり大きな甲羅(約50センチ位)がぼわ〜〜んと浮かんでいます。海がめです。今日はこんな岸に近いところいるんだね、と思わずひとり海上でハハハと笑いながら、私が行こうとしている進行方向の直線上にいる海がめにぶつからないように注意しながらそろそろとセイリングしていきました。
私がいる場所よりも遥か沖でウインドサーフィンをやっている主人は、海がめにはしょっちゅう遭遇しており、ある時は3匹大きな甲羅があっちにこっちにいう感じでよけながらセイリングするときもあるそうです。 しかしこれだけたくさんウインドサーファーがいるというのに、海がめの背中にヒットして転倒したという話はほとんど聞いた事がないので、あちらはあちらで自然の勘で微妙によけてくれているのかもしれません。
最後に幸せなごちそうをひとつ。
ウインドサーフショップにいるステファンは素潜りをして銛や水中銃で魚を捕獲するのが大好きなフィッシャーマンです。
海は食糧の宝庫だと言います。
魚の種類によって性格もいろいろで、フィッシャーマンの経験と勘を研ぎすまし、ずるく逃げ足の早いヤツを捕らえたときは最高にうれしいそうです。
海に潜って魚と泳いでいると、自分の身体が海に溶けてしまったように、どこからどこまでが自分の身体でどこまでが海水なのかわからなくなってくるなんて言っており、それこそステファン自身が水を得た魚(自由開放!)というものです。
夏前に友達のフェデリコがマウイを訪れた特別な日に、たまたま前日に捕獲した大物を丸ごと差し入れてくれました。
オミル (Omile)という魚です。ステファンが慣れた手つきでさばいてくれて、私たちはそのまま生でしょうゆとわさび、刺身で一気に美味しく食べちゃいました。白身魚のちょっと弾力のある食感で今まで食べた事のない新しい味でしたが、鯛に似た感じでなかなかいけました(大満足)。
このオミルという魚、カヤックやスタンダップパドルボードで海にでて捕獲してしまうローカルフィッシャーマンもおり、こんなビッグボーイ (Big Boy=大物)が釣れた日には間違いなくごきげんです。
たくさんの幸せを与えてくれる海、
誰でもが自分の中の自由開放ができる世界一のナチュラルパワースポットです。
(海の中のオミル:ステファン撮影)
(捕獲されたオミル:ステファン撮影)
(まな板にのっかったオミル:私撮影)
まな板の長さは横51センチです。
「おとといまでに私が送った1万通のe-mailに加えて、これが1万1通目のe-mailです。 昨晩のコンサートは最高でした。ベストを尽くし心をこめて踊った子供たちを誇りに思います。 そして、直前まで大忙しのコンサート準備に最後まで辛抱強くサポートしてくれた家族の皆さんに感謝します。ありがとう。 (フラハラウのコーディネーターより)」
無事にコンサートが大成功で終わりました。
娘のレイがフラを習っている先生とそのフラダンサーのコンサートです。
クムフラ(フラの先生。クムKumu=ハワイ語で先生という意味)は、フラの先生であると同時に偉大なるハワイアンミュージシャンでもあります。
フラハラウ(Hula Halau = フラを習うグループ)に所属していると、マウイ島内のショッピングセンターや観光客の方々が宿泊されるリゾートホテルやコミュニティイベントなどでパフォーマンスをすることは日常茶飯事ですが、2年に1回行うこのコンサートは、コンサートホールにお客さんがチケットを買って観に来ていただくマジなコンサートなので、気合いの入り方も当然違います。
コンサートの約3ヶ月前より、全員の気持ちをリハーサルモードにする為に、毎回の練習には髪をコンサートの時と同じように頭の上でポニーテールに結んでおだんごをつくりアップにしスプレーやジェルで固めた状態で参加することが義務となりました。 私は慣れない手つきで娘のものすごい量の髪の束と毎回20分の格闘です。娘には悪いけど、実は今までの過去のパフォーマンスやコンサートでも納得のいくヘアスタイルをつくれたことがありません。しかし、人間の慣れや練習の積み重ねとは素晴らしいもので、毎週毎週やっているうちにだんだん上手になり12分ほどで仕上げられるようになりました。 これはお母さんヘアスタイリストの練習期間だったのかもしれません。。。
約3時間弱のコンサートで子供たち(11歳から15歳位の年齢です)は3曲踊ります。 今回は3曲ともにマウイの歌で、ウリウリ('uli'uli:カラフルな羽がたくさんついたマラカス)、 プイリ(pu'ili:50センチ位の細い竹筒の棒)、 イプ(ipu:ひょうたんで作ったパーカッション)を使って踊るテンポの早い曲です。 イプは、ありがたいことに家の庭でごっそりと育ったひょうたんを寄付してくれた人がいて、子供たちが自分たちで作りました。 ひょうたんの一番上の部分を真っすぐ平行にカットし、中身をきれいにくりぬき、水できれいに中をあらって1週間ほど乾かした後、一番上のカットした部分と内側3センチ位の部分までヤスリをかけてなめらかにし、(ここからの仕上げは大人がやりました)ニスを塗って、ドリルで穴をあけて紐をとおします。 自然からの贈り物であるひょうたんはひとつひとつ大きさも形も色も違って個性的であり、まったく同じものはないのでまるで人間のようです。置いたときの傾き方や表面の模様で自分のイプがどれかすぐにわかります。
昔、娘がまだ小さかった頃、フラの先生が子供たちの為に、イプヘケ(イプヘケ=ひょうたん2つを組み合わせて作られたタイプです)を調達してきてくれました。子供たちがそれぞれ好きな形のイプヘケを選び、自分のイプヘケに名前をつけ、皆の前でそれぞれのイプヘケの自己紹介をしました。
そのときに娘のレイがつけた名前は「Crashing Waves 力強い音をたてて砕ける波」でした。
(右:イプヘケ = Crashing Waves)
(左:イプ=子供たちの手作り。
今回のコンサートに使用。)
いつものことながらコンサート直前10日前からのラストスパートは準備に追われました。
10日前には衣装の仕立て屋さんへ採寸をしに行き、8日前には夕方6時から集まり Ti Leafスカート(ティーリーフという長い葉っぱをたくさん紐で結んでスカートをつくる)を作成。
Ti Leafはとてもしっかりした葉っぱで生命力繁殖力が強く、ハイクやアップカントリーなどの緑の多い田舎の一軒家の庭にはよく生えています。昨年カアナパリビーチホテルでパフォーマンスをした時には、ティーリーフがジャングル状態になって山のように生えているワイルクのある人の家に全員で行き、ティーリーフを刈りにいきました。
ティーリーフスカートは、真ん中の一番太い茎(葉脈)を葉っぱから割いて取り除いてから、しっかりと1枚づつ順番に紐で縛っていき、水で濡らした大きなビーチタオルに包んでゴミ袋にいれて口を閉じ、冷蔵庫で保存、冷蔵庫の温度が冷たすぎないことだけ気をつければこれで1週間は余裕でフレッシュなまま保存できます。コンサート2日前の夜に、1週間前につくったティーリーフスカートを持って再び集まり、スカートの裾をまっすぐにカットし、葉っぱをフォークをつかって細く割く作業です。 そしてまた濡れタオルに包みゴミ袋にいれて口を閉じ、冷蔵庫へ。
(ちなみにこのティーリーフスカートがうちの冷蔵庫のスペースを使って寝ている間は、大きなジュースパックは買えず、おかずの残り物保存もできません。)
コンサートの1週間前の土曜日には朝8時から大きな体育館でリハーサル。クムほかミュージシャンたちは音合わせをしながらプログラムにあわせて順番にダンサーたちの立ち位置や登場退場のタイミングをフルミュージック、フルキャストであわせます。 いつ自分たちの出番が来るかわからないので、ひたすら待ち続け、待っている間には大人ダンサーの人や子供たちの親などから食べ物の差し入れがありと、食料持ち込み長丁場体制も万全です。
こういう時の差し入れというのはなぜかどれもこれも気がきいた美味しいもので、ホームメイドのヌードル(Chow Fun:チャウファン=ローカルの好物フードのひとつ。平べったいうどんのような麺と野菜をシンプルに塩こしょうでソテーしたものです)に、ホームメイドベーカリーから買って来たマラサダ(=ハワイ名物のドーナツです。買って来たばかりのホカホカで美味しかった。。。)に、自分でパン屋さんをやっているクレアはホームメイドのミニチョコレートマフィンを子供たちに配り、、、、クムたちミュージシャンは休憩なしのエンドレスで音合わせをしているというのに、子供ダンサーたちの待ち時間にまぎれて何もしていない私までもが、クムの素敵なハワイアン生歌を聞きながら美味しい差し入れフードを幸せにいただいていたのでした。
この日は午後3時近くにやっと子供達は終了しました。
コンサート当日だというのに、娘のレイは学校で午前中バレーボールの練習です。「今日の練習は、飛び込んでレシーブしたりとか、一生懸命ジャンプしたりとかチャレンジしなくていいからね。今日この後におよんで手首足首捻挫でもしたら、今晩踊れないからね。」要は一生懸命練習するな!と、普段言っていることとはまったく逆のつじつま合わずのことを言っている私。
午後1時からは実際の舞台でのリハーサル、その間に私はプルメリアの花で首につけるレイ (lei a'i レイアイ) と髪につけるレイ(lei po'o レイポオ)を作り、舞台リハーサルが終了したのは午後3時過ぎ。 本番前のダンサーの集合時間は午後5時です。 家に帰る時間はなくなりました。 娘のレイはコンサート会場近くの私の通うスポーツジムでシャワーを浴び、今日もマウイに吹いているトレードウインドで髪は自然乾燥、そして5時に集合して控え室でヘアスタイルを作り、私の準備に関わる役割は一応終了しました。(私はダンスしないのに、この時点でこの日やっとまともに息ができるようになりました。フーっ。。。。ダンサー娘は朝から冷静に普通に息していました。。。)
今日も吹いているマウイの風と身体を包み込んでくれる空気、肌で感じる太陽の光、広い空、植物の匂い、ハワイの花たちの色と匂い、潮風の香り、波の音、海に生きている魚や貝や海藻たち、いつもそこにあり見守ってくれているハレアカラ山、生まれ育ったハワイの土地とそれを共有する人たち。。。ここハワイに在るものすべてを長い時間をかけて肌で心で感じ、細胞の奥までその感覚すべてが記憶されている大人のフラダンサーたちは、身体の内側の奥のほうから美しさがあふれでています。 そんな内面からの美しさあふれるフラダンサーを見て、ダンスはムーブメント(身体の動き)だけではなく、その土地を愛する感情とカルチャーの表現なのだということを発見させてくれました。
コンサートは、マウイの土地と自然と人への愛情でいっぱいでした。
ビートのきいた激しい音楽にのせて、身体を動かしステップをしているというのに、すごく楽しい時間のはずなのに、涙が止まりません。 泣きながら運動しているなんてバカみたいと思い涙をこらえていたら、遅れてエアロビクスルームにはいってきたローラの目も赤くなっていました。
私の好きなエアロビクスステップのクラスの先生が今日で最後です。17年間マウイの各所でインストラクターをしていた先生が、だんな様の退職にあわせてアメリカ本土へ戻ることになりました。
マウイに長く住んでいると、多くの別れを体験します。
マウイ島に引っ越してくる人も多いけれど、マウイ島からでていってしまう人も多いのです。
アメリカ本土から引っ越してきた人が、また本土へ帰っていったり、マウイに住んでいた人が職を求めて、よりよい生活を求めてアメリカ本土へ引っ越したりという理由がほとんどです。
島の生活が肌にあわずという人も実はたまにいます。便利で物に困らない都会に比べると、海以外何もない退屈な島ということになるわけです。
もちろん結婚や家族の事情や、そして病気治療の為によりよい医療施設をもとめてという場合もあります。
こうして今までも何人もの親しい友人たちが、お別れしたくない人たちが、それぞれの理由でマウイを離れて行きました。
私がケイトのクラスに参加するようになったのは7年前からです。私がちょっとした病気をしてしまったこと、そしてそもそもそれ以前から仕事をしながらの歳の近い子供2人の子育てで無理をしており、運動をする時間もなかった為か腰痛になりやすくなったりとその時期身体はボロボロになっていました。 やはり人間「身体が一番の基本」ということに気づき、まずはゆるやかなヨガのクラスから初め、筋力や持久力をつけるためにケイトのエアロビクスステップのクラスへも参加しはじめました。
初めてクラスに行きだした最初の2、3回は5分位ステップを踏み続けただけで心臓は爆発寸前に呼吸困難、こんなことでは強盗に襲われたりでもしたらとても追いかけられない逃げられない、子供どころか自分の命さえも守れない、どんな状況でも生きぬくためにはまずはタフな身体!と思ったわけです。車と同じで人間の身体もメンテナンスをしてなければどんどんポンコツになっていきます。 調子良くスムーズに動くには身体もやはりメンテナンスが必要です。
「今日は疲れたな〜、めんどくさいな〜」と億劫に感じたときもありましたが、「だからこそ行こう!」と、とりあえずクラスへひとたび行けば、60分後には必ず心地よい筋肉疲労と達成感で身体も頭もすっきり生まれ変わり、笑顔になっています。 使用前、使用後というわけではありませんが、運動をする前と運動を終えた後では、まったく違う自分になっており、気持ちがリフレッシュされ、頭の血のめぐりもよくなっているのか、新しい考えや解決方法などがひらめくようにうかんだり、超前向きに物事を考えられるようになります。
ちなみに、ウインドサーフィンの場合には、海からの癒し効果も加わり、身体と気分のリフレッシュトランスフォーム効果はさらにテキメンであることはいまさら言うまでもありません。
やっぱり、人間も所詮動物なので身体を動かさないとね。。。
ケイトはインストラクターという仕事として、決まった時間に同じことを繰り返し繰り返し17年間やってきました。 たまたまきっかけがあってケイトのクラスへ行き始め、ケイトのクラスが好きになり、この7年間で私はケイトからたくさんの汗とエネルギーと笑顔をもらいました。 身体の芯の奥のほうに眠っているエネルギーを気持ちのいい汗とともに引き出して笑顔になれるように導いてくれました。
私の生活のほんのひとかけらの時間を共有しただけなのに、私は確実にケイトからたくさんのことを与えられていました。 汗、エネルギー、笑顔。。。。。
「たくさんいい汗かかせてくれてありがとう。 たくさんの元気をありがとう。 ケイトが助けてくれたおかげで今私はここに元気でいるのヨ。 Thank you for good sweat & positive energy. You put me back on the road.」と伝えたら、これからエネルギッシュな60分間のクラスがはじまるというのに、ケイトの目は涙をこらえて真っ赤になっちゃいました。。。。
自分が何気なく毎日行っている日常的なことでも小さなことでも、ケイトが私に与えてくれたように、もしかしたら私でも何かを人に与えてることがあるかもしれない、誰かの人生のほんの少しのかけらの一部にでもなれてるかもしれないな。。。
そう思ったら、毎日の決まりきった仕事でも人との些細な会話でも、なんだか楽しく思えてきました。
涙をこらえながらはじめた今日のケイトの最後のクラスもついに終わってしまいそうです。大汗かいてすっきりして、心臓を打つ早い鼓動も落ち着き、やっとクールダウン、ストレッチタイムです。
「今日家で引っ越し荷物の整理をしてたら2007年の新聞の切り抜き記事が床に落ちてたの。 どうしてこういうタイミングでこんな記事が私の目の前に落ちてたのかちょっとびっくりしちゃったんだけど、読むわね」と前置きをしてから、ケイトはみんなに素敵な言葉をプレゼントしてくれました。
すべてのパワーは貴方の身体の中にある。
もし貴方が人生の宝物を見つけたければ、
外に目を向けるのではなく、
自分の身体の中に目を向ければ宝物は見つかる。
「私はここで17年間教え続けてきました。みなさん、明日から20年間はここに通いつづけていい汗かいてね。マウイは大好きだから、また来るわ。」
5月9日はマウイでも母の日。
母の日のプレゼントは
ウインドサーフィンやりたい放題の1日。
ごちそうさまでした。
4月だというのに日本では雪が降っているという便りが届いていた頃、こちらマウイも温度が下がっておりこの季節にしては寒々としていました。 夜、標高の高いアップカントリーに行くと空気は冷たく、ハレアカラの山裾をおりてくる少し強い風は、ココはスキー場か?!と思わせるほどの寒気で(ちなみにこの場面での私の服装はいつもどおりの半袖短パンですが)、駐車場の車へ50メートルダッシュをせずにはいられないほどでした。
そんな一時的な季節はずれの寒さも、マウイ特有の強い貿易風とともにどこかへ吹っ飛び、すっかり暖かくなりました。
ノースショアにはまだ時折ハイサーフアドバイザリー(高波注意報)がはいっていますが、この波もこれから夏へ向かって徐々に小さくなり、サウスに波がはいってくる季節へと変わります。
→4/26に追記:
(と言っている矢先、4/26日にサウスにスウエルがはいりました〜)
マウイの春の訪れはジャカランダの花、毎年春になると満開に咲き乱れる紫色の花は、標高の高いアップカントリーのあちこちで見ることができます。
アップカントリーとは、マウイの場合ハレアカラ火山の山腹で海岸線よりだいぶ上にあがった標高の高い場所のあたりのことで、具体的にはマカワオ、プカラニ、そして本当にいよいよハレアカラ山頂へ向かういう高原地帯クラなどを総称して言います。
マカワオやプカラニは一般住宅が密集しているところですが、クラは観光リゾートの喧噪からはかけ離れたのんびりとした田舎の高地で、やしの木やサーフィンやビーチといったハワイのイメージとはまったく違う景色です。
私は海に近いところに住んでいますが、アップカントリーへ行くと気温は確実に低いことがいつでも体感できます。もっともハレアカラ山頂(標高3055メートル)に日の出を見に行った日には防寒ジャケットや毛布と暖かいコーヒーでもないといてもたってもいられない位ですから、常夏のハワイとはいえ、山があるだけで気温の違いや様子のまったく異なる景色を楽しむことができるマウイは、自然が好きな人にとってはいつまでもまったく飽きさせない魅力があります。
クラからハレアカラ山頂へ向かう道、ハレアカラハイウエイをそのまま直進してクラハイウエイでテデスキーワイナリーまでいく道も、道端から見えるなにげないそこにあるだけの景色が、飾り気のない自然そのままでとてもいいのです。 そこはただの道端だったり草むらだったり、原っぱだったりただの公園だったりなのですが、とにかく空が大きく、遥か彼方の海岸線まで続く雄大な大地と少し冷たい澄んだ空気は、海で感じるのとはまた違うところの感性に働きかけ、心洗われます。
牧草地でのんきに草を食べている馬、どこからともなく聞こえてくるヤギの合唱、ここはヨーロッパの田舎?と思ってしまうような山腹の牧草地。 遥か下界を見下ろすと、つい先ほどまで自分が走っていた道路は(当たり前だけど)地図で見る形とまったく同じで、遥かかなたにミニチュア模型のように見えるワイレアのリゾートホテル(これもまた地図とまったく同じ、当たり前だけど)を眺めていると、「そんなお城の中に閉じこもってないで、今すぐこっちへおいでよ〜、ここからの絶景を見て〜」と叫びたくなります。
マウイで私が最高に好きな、最も一番景色のいいスポットがあります。 そこへ行くと、キヘイの海岸線とノースショアの海岸線が同時に見え、後ろを振り返るとハレアカラが堂々とそこにあり、ヤギの合唱(笑)がかすかに聞こえます。 夕方は、キヘイの海へ沈んでいく太陽の光が空の色を刻々と変化させながらゆっくりと時間が過ぎて行きます。 ここはまわりには何もないけど、最高のデートスポット(?)です。。。 ガイドブックには絶対載っていない場所、いえ、あまりに何もない普通のところなのでガイドブックの記事にもできないようなところです。 こういうところは、ガイドブックに書いてあるとおりに出かけて行って場所確認作業をするよりもむしろ、自分の足で自分にとっての最高のスポットを発見することに価値があるのだと思います。 クラへ行けばきっと発見できますよ。
さて、マウイの春の訪れのジャカランダの花は、ハレアカラハイウエイから山へ向かってのぼっていったアップカントリーのあちこちに咲き乱れています。普通は南国の花の色といえば、赤、黄色、オレンジ、濃いピンクなどの元気のいい濃い原色ばかりですが、ジャカランダは少し青みがかったような紫色で、桜のような大きな木にたくさん咲いているので、咲いているだけでその辺りの景色の様子ががらっと変わります。 普段は緑だけの道端が、パープルに染まり、思いっきりドレスアップをしているように見えるこのジャカランダ、4月頃から6月頃までアップカントリーを彩っています。
マウイのアップカントリーに咲く
ジャカランダ Jacarandaの花。
南国っぽくないブルーパープル色が
とてもきれい。。。
私がよく通る道端からの景色。
ハレアカラの山に向かって牧草が広がっています。上のほうに点々とみえるのは牛さんたちです。
久しぶりに人ごみの中へ行きました。 駐車場もお店の中も人でいっぱい、大変な混雑でした。
マウイで ”人多いなあ〜”と感じるような人ごみに遭遇するのは大変稀なことで、せいぜい1年に1回のカウンティフェア(物産展と移動遊園地)や、これも1年に1回の11月末感謝祭直後のクリスマスセール程度、あとは数年に1度、マウイに新しい大型店舗がオープンした時くらいです。
マウイ島カフルイ空港より車で3分のマウイモール内に Whole Foods Marketがオープンしました。
(我がマウイウインドサーフカンパニーのすぐ裏側です。)
ナチュラルオーガニック食品の大型スーパーマーケットです。
ヘルシーフードやオーガニックフードブランドの食品やサプリメント、ボディケア商品に加え、野菜果物コーナーには、マウイやハワイ島などの農家から仕入れたローカル産物がたくさんあります。
お魚コーナーとお肉コーナーにも、ローカルものを見つけることができます。
ベイカリーコーナーには美味しそうなケーキやパイが並び、こんなに小さなサイズは日本にしかないと思っていたプチケーキまであります。(一口サイズのケーキ。でもハワイアンやアメリカンには小さすぎると思うけど。。。こんな小さなサイズのものをハワイで見た事はありません)
そして充実のデリコーナーには、サンドイッチ、ピザ、ブリトー、サラダバーに、うどんやお寿司、丼スタイルの弁当(チキン弁当など)まであります。デリコーナーのすぐ横と、ストアの外にもテーブルとチェアがあり、デリコーナーで買ったものをゆっくり食することができます。
以前のブログで、遠くアメリカ本土から運ばれてきている野菜や果物よりも、ハワイローカル産のものがどんなに美味しいかをご紹介しました。
→*ローカル野菜が新鮮!(マウイローカル美味しい情報その1)http://mauiwind.livedoor.biz/archives/637310.html
私は特に野菜はできる限りローカル産のものを、青空マーケットやローカルの小さなストアで買い求めます。新鮮だし、新鮮だから数日経っても腐らないし、しかも安いし、美味しいしといい事づくめだからです。 お魚もできる限りハワイローカルのアヒ(まぐろ)、オパカパカやマヒマヒ(白身魚)を買ったり、肉はローカル産は限られているので、ローカルストアにその日にあればラッキーという範囲内で、時々新鮮なマウイ産ビーフを買ったりしています。
今回はオープン直後で人のあふれている Whole Foods Marketにてハワイ島産のオレンジを迷わず買いました。 独特の自然のままの姿形をしたオレンジは、暖かい土地でのびのびと育つオレンジの木にぶらさがっているのが目に見えるようです。
ぜいたくにそのまま絞ってオレンジジュースとしてゴクゴクと飲み干します。甘〜くて美味しい〜〜、自然の恵みの甘さ。。。
人も素顔のまま素のままが一番人間らしくその人らしく味わいがあるものですが、オレンジも自然そのまま、素のままが最高に美味しい〜、身体の細胞にも何の抵抗も無理もなく吸収されていくようです。
Whole Foods Market はアメリカの大型チェーンストアにもかかわらず、ローカル産のものがたくさんあり、朝8時から夜9時まで開いていますので、朝から晩まで遊びに忙しい観光客の方でも、新鮮で美味しい産地直送のものを十分に楽しめます。
ハワイに来たら、ハワイで日本のものを探し求めるのではなく、ハワイにあるもの、産地直送のものを発見し、堪能し、存分に楽しんでいってください。
(身体に美味しい海遊びも忘れずに!)
※ウインドサーフカンパニーにて
海遊び道具各種レンタル中!
おかあさん(私)は、山へのこぎりと作業用手袋を持って、 クリスマスツリーの収穫に行きました。
息子が小さかったときは、ボーイスカウトでさんざん行っていたので、収穫スポットや手際はわかっていますが、今年は主人も息子も忙しかったので、今回は娘のレイと女2人だけで行ってきました。
特に今年は不況と失業率10%が影響しているのか、マウイではクリスマスツリーを購入している人は明らかに激減しており、町もクリスマスデコレーションはいつもよりも地味な感じがします。
クリスマスツリーを買おうかどうしようかと考えながら、ローカルの売ります買いますオンライン掲示板見てたら、
「WANTED, Xmas Tree. お金がなくてクリスマスツリーを買えません。トラックとのこぎりは持っています。」という記事があり、なんだ、これまさに私じゃん、みたいな。。。 山のあたりは自分の家の庭や土地でクリスマスツリーを育ててる(または自分の土地に勝手に生えている)人がいるので、タダでくれる人もいるかもしれません。
でも、なにはともあれ今年もクリスマスツリーをタダでゲットできてよかったよかった。ハレアカラの自然保護にも貢献したし、姿形はパーフェクトシェイプじゃないけど、夜ライトがチカチカ光ってるとやっぱりいいものです。
今年のクリスマスは、娘のレイが中学校で所属しているウクレレバンドのマウイ島内6カ所クリスマス巡業ツアーで忙しく、12月初旬のアップカントリーマカワオの点灯式から始まり、カフルイのクイーンカアフマヌセンター、ラハイナキャナリーモール、パイアの町、老人ホーム、マウイモールと、巡り巡って演奏しておりました。
ウクレレバンドは中学校2年生で選択科目で選択することができ、この時点である程度のレベルに到達した生徒は中学校3年生で晴れて学校代表正規のウクレレバンドとして選択科目として授業を受ける事ができ、こうしてマウイ島内ショッピングセンターなどへのコンサート巡業へ参加できます。 秋にはマウイでは恒例となったローカルも観光客も皆が無料で楽しめるウクレレフェスティバルで演奏しました。春には小学校へでかけていって演奏したり、そして5月にはカリフォルニアのディズニーランドへ行って演奏する予定があります。
ユニフォームはアロハシャツ、フラダンサーはアロハシャツとおそろいのフラスカートでそろえ、クリスマスソングもウクレレの音色とビートでハワイアンスタイル。きよしこの夜をハワイ語で唄ったり、クラシックなクリスマスソングや、ヒップホップ歌手のポップなクリスマスソングをカバーするだけでなく、子供達が自分たちで作詞作曲したクリスマスソングも演奏します。
4人ほどのグループに別れて1ヶ月位かけて自分たちだけで作詞作曲し、できあがった曲を授業の中で発表しあい、全員で気に入った曲を投票して選ばれた4曲が演奏曲として組み込まれます。 ウクレレのコードとリズムをほかの子たちに教えて、ボーカルとメロディのピッチは作詞作曲者が行い、ビートは全員で演奏といった具合です。
娘のレイは男の子3人との4人グループ、本当は仲のよい女の子グループでやりたかったそうですが、ちょうどグループ分けをした週にバスケットボールの遠征試合にでかけており授業を休んだ為、同じ遠征試合にでかけていた男の子3人+レイが余り物(?)として、グループ結成となってしまったそうです。 それでも普段から仲良くしているバスケットボール仲間であり、特にそのうちの1人オースティンは歌とブレイクダンスが大好きな根っからのパフォーマー、オースティンがウクレレを弾きながらメロディをつくり、レイがその曲に詩をつけたそうです。
ほかの2人は、歌が完成するのをひたすら祈りながらじっとして暇そうにぼ〜っと待っていたそうです。 アイランドポップミュージック調のその歌のタイトルは「クリスマスラブ」、演奏曲に選ばれました〜。 レイは得意のフラダンスも踊り、ソロで唄う子もいたりと、中学生のウクレレバンドの演奏巡業はとても楽しく、ウクレレの音とフラであふれたハワイアンクリスマスをたくさん楽しむことができました。
ウクレレの音とハワイアンソングはなぜか心をフニャフニャに溶かし、「今が楽しければそれでいいや、あとはどうでもいいや」的ななんともお気楽な気分となり、すべての人を笑顔にしてくれます。
(ウクレレやハワイアンソングを聞きながら怒っていたり暗くなっている人は見た事がありませんので不思議。。。車を運転しながらハワイアンソングやアイランドミュージックを聞いていると、リラックスしすぎてしまい、気づいてみるとすご〜くスロウにノロノロ運転してしまっているので不思議、安全運転にはロックを聞くよりもハワイアンミュージックがいいのかもしれません。ラジオステーションは FM93.50 Island Music MAUI Style )
子供達も一緒に演奏して一緒に唄うのが本当に楽しそうで結束力もすごいです。
子供の親たちも毎回毎回、喜んで巡業についてきていました。
というわけで、今年のクリスマスはウクレレクリスマス。。。
ブログを訪れてくれた皆様へ、いつも読んでくれてありがとう。
太陽が暖かなマウイより
マウイ島の空港近くカフルイの町はよく晴れています。
南マウイのほうの空もよく晴れています。
暖かい太陽の温度を感じながら、自宅への帰路ハナハイウエイをドライブしていると、ハレアカラの裾野マカワオのあたりからずっと下は灰色の厚い雲で覆われており、ちょうど私の家のハイクのあたりは、雲の下の部分が崩れていていかにも雨降り中という様子が15キロ手前からでも見えます。
連日ノースショアには波がはいっており、今日もパイアの町すぐ傍のパイアベイはローカルサーファーでにぎわっています。
息子のカイが突然車の窓を全開にし、上半身を外につきだして、"What's up, brah !" (よ〜、元気か?何してんだよ?)と叫んでいます。上半身裸で裸足、濡れた髪の毛からしずくをしたたらせ、ブギーボードを抱えた男の子軍団が歩いていました。学校の友達です。"Shoots !"(じゃあな!)
このローカルボーイズたちの言語はいったい何語???、、、とにかく超スーパーローカル語。(旅行者の方はマネして使わないように。。。使い方と相手を間違えると危険。)
パイアを過ぎて、ホキーパビーチパーク直前のカーブを曲がり終えた瞬間、大きな虹が現れました。
ホキーパの海上ど真ん中から大きく空に向かい、ハナハイウエイをはさんで反対側のさとうきび畑のど真ん中までのびた大きなアーチです。 赤系からブルー系へ変わるハッキリとした色合いの帯が空に浮かび、どこにも切れ目なくぼやけているところもなく、しっかりと連続した完璧なアーチ。 そしてその虹の影でさらにもうひとつの透明感のある虹色がすぐその下に二重に見えています。 ダブルレインボーです。 あまりに美しくて壮大でもったいなくて、こんなところくぐっていっちゃっていいのかな、いいのかな、と思いながら車を走らせます。 そして海を見ると、もうひとつ太い虹がしっかりとかかっています。 海面から虹がとびだし、そこに白い波がやってきて、虹の影が一瞬波に映ります。
大きな虹のアーチをくぐりぬけるときは、一瞬自分とこの虹しかこの空間に存在していないのではないかというような錯覚にさえ陥り、祝福されているような、虹にしっかりと見守られている様な虹に包まれそうな暖かな感覚さえあり、この貴重な一瞬のひとときを楽しみました。
虹をくぐりぬけると、そこは雨林気候のハイク、緑を繁らせる恵みの雨、トレードウインドが吹くことを確約しているトレードシャワー (Haiku Rain) が降っていました。
マウイ島ノースショア、オアフ島ワイキキからも見えるマノアの山や、カウアイ島の東海岸からノースショアにかけて、ハワイ島のヒロや滝で、ハワイでは虹を本当に頻繁に見る事ができます。
虹を見ると、理由もなく、”あ〜、よかったな〜、幸せだな〜”といった気持ちになります。
雨と太陽の光との融合によって偶然生まれたその姿を見せるだけで、そう思わせてしまうなんて、すごいパワーです。
そういえば、2年前の夏にガンだと宣告された友達フェデのことで感情的に混乱していた頃、私の主人がある日帰宅するやいなや、ひさしぶりに見せる明るい顔で言いました。
「フェデは、もう大丈夫だと思うよ。」
「どうして?」
「今、そこですっごいきれいな虹がでてて、それ見たらはっきりとそう感じたんだよ」
ハワイアンのことわざ、生きる知恵でもある、
NO RAIN NO RAINBOW(雨が降って虹がでる)ー。
苦難の先は、必ず状況はよくなる
涙を流した人は、愛にあふれる暖かい魂を得られる
人間が生きていることも自然界で起こっていることの一部、
だから雨も苦難も涙も、ずっと永遠には続きません。
必ず、虹に、よりよい状況に、笑顔に変わります。
だって、雨が降らないと虹に会えないんだから。
NO RAIN NO RAINBOW, NO RAIN NO RAINBOW ー。
もしも今この瞬間に、涙を流していたり、心が疲れて立ち止まってしまっている友達がいたら、こんな素敵なおまじないのような言葉、虹の島ハワイから、届けます。
(写真を撮りながらの片手運転はやめましょう!)
(クリックすると拡大写真が見られます)
ダブルレインボウ(虹の少し上に虹の影がもうひとつ)になっているのわかるかな?
マウイは今日も太陽が眩しい、
気持ちい〜な〜
私の住むノースショアハイクの家にはエアコンはありません。 私の家だけではなく、ハイクのほとんどの家にはエアコンはないのですが、マウイは風がいつも吹き抜けている気候柄、エアコンは必要がないのです。 天井からさがっている大きなファン(扇風機)だけで十分です。
マウイを吹き抜けるトレードウインドは、気温の高い夏でも心地よい天然エアコンとなり、湿気がないのでじめじめとした不快な暑さはなく、外では日差しは強くとも日陰に行くととても涼しいのです。
こんな快適な常夏の島ですが、時折気温の高い夏の間に風向きが変わったりトレードウインドが弱まり風が吹かない日があると、突然体感温度が上昇します。 普段冷暖房完備のオフィスで働いているわけでもないので、冷蔵庫のような温度のエアコンはどちらかというと不快を感じる身体=アイランドスタイル になっていますが、それでも暑いと感じる日は年に10日位はあるかもしれません。 そんなときは、各人が思い思いの動物的本能で暑さをしのぎますが、男の子や男の人の場合には、まずはシンプルに”脱ぐ”という行動にでます。 脱ぐといっても、もともとシャツ1枚なので、それを脱いで上半身裸という状態ですが、うちのウインドサーフショップの従業員も仕事中によく上半身裸になっている人がいました。 それでもまだ暑い時はウインドサーフィンの道具を洗うホースで頭から水をかぶれば極楽浄土、上半身裸で仕事ができる希少な職場です。
私の家に息子カイの友達3人が遊びに来ており、テレビゲームをして楽しんでいました。 暑いものですから、案の定、全員シャツを脱いで上半身裸になっています。 しかしその日は本当にめずらしく夏なのに風がなくて暑い日で、汗で頭をぬらしながらゲームをしています。 当然エアコンなぞはないし、おまけに日当りだけよくて風とおしの悪い部屋、”あの〜、君たち暑かったら冷たいシャワー浴びていいよ、冷たいシャワー。 クローゼットにあるタオル自由に使っていいからね。” と言っておきました。 冷たいシャワーを浴びたデイブが幸せの放心状態でバスルームからでてきました。 ”おばさん、ありがとう。こんな最高に気持ちのいいシャワーは生まれて初めてだよ!”
”今日のシャワーは今までの人生で最高だ!”とまで言いながら、次々と冷たいシャワーを浴びてでてくる男の子たち。
夕方バスケットボールの練習にでかける時はさすがにシャツは着なければならないので、暑がりデイブはまた考えて、ビニール袋に氷をつめて氷嚢状態にし、首の後ろにくっつけて ”あ〜気持ちいい〜”といいながら暑さをしのいでいます。
練習場所まで車で移動時間約20分、その間にデイブの氷嚢の氷は半分以上溶け、デイブは氷の溶けた水をゴクゴクと飲み干し、”あ〜ウマい!”。 このクーラー作戦、電気も使わずに地球にやさしいエコそのもの、しかも一定温度でエアコンがきいた冷蔵庫状態と違い、暑い状態の中での一時的な快感の為、その快感度はかなり高いです。
もうひとつ暑さをしのぎ快感を得る方法、私のだんなの直伝です。暑いと思ったら、外にでて働くか運動をしてもっと暑い状況に自分を置く。
家の中に居て暑いな暑いなとやや不快指数があがってきたならば、外にでてランニングをするか庭仕事をする、炎天下の中で蒸発する位だらだらと汗を流しながら動きまわった後、家に戻ると、さっきまで暑い暑いと思っていた家がすご〜く涼しく感じ快感を感じる事ができます。 ここでさきほどのデイブの氷嚢作戦をしたら、こんなに快適なことがあるものかと。。。もう何もいりません。
私が最近参加しはじめたフラ教室のスタジオは光熱費上昇の為という理由でエアコンの使用ができなくなりました。(レンタル料をあげるか、エアコンをストップするかどちらかの選択だったそうです。先生も生徒さんもお金は払いたくないので、これは迷いなくエアコンなしです。) タイミングよく先週まで吹いていたトレードウインドが一時休止してしまい、汗が吹き出しまくりの汗だくフラレッスンとなりました。 こんなことになるのはわかっていたので、いくら汗をかいてもいいように私は水着にフラスカート+凍らせた水を持参の体制で参加です。 先生はフラスカートをまくりあげて汗をふいています。 フラだというのに、前日にやったエアロビクスよりも汗をかき、充実感のあるレッスンでした。
旅行でコンドミニアムの予約をしてくるお客さまより”マウイはエアコン必要ですか?”と聞かれることがあります。ホテルは当然全室エアコン完備ですが、コンドミニアムの場合にはエアコンのある物件とない物件があるからです。
”ハワイは風が吹き抜けていて湿気がないので、昼間部屋にいる時間が少ないのであれば、エアコンはなくても大丈夫です。ただし、特に暑がりだったりなど個人差はあるので断言はできません。” と答えます。 湿気の多い日本の夏に比べれば、朝晩は暑くないし、ハワイは随分過ごしやすいです。
アメリカ本土のお客さまから同じ質問を受けたので、同じように答えました。 しかしその方は少し考えてから、”いや、やっぱりエアコンだけは必須にしてください。僕はアイランドスタイルには慣れていないから、エアコンなしで過ごせる自信がないからね。”と言っていました。
さて、15年間私の家にはエアコンがありませんでしたが、どういうわけかついにエアコンがやってきました。実際、ハイクでエアコンというのはとっても贅沢というか不要なのですが、ウインドサーフショップのビル内で一台余ってしまい置き場がなく邪魔だったので、仕方なく私の部屋に設置されました。
昼間ちょっとだけ暑かったので、ドアを閉めてエアコンをつけていたら、私のだんながドアをあけて部屋にはいってきました。
”なんだこれ、これじゃ冷蔵庫だよ、寒いよ〜”と言って不快そうに逃げて行きました。
その5分後には、私も身体がどうも拒否反応を起こして来たので、エアコン使用を中止しました。
アイランドスタイルは、やっぱりシャツぬいで、水シャワーに氷嚢作戦、運動をして汗だくになる、のが一番快適な天然クーラーです。
10月某日の新聞に掲載されていた写真。
全員上半身裸のアイランドスタイル。
ローカルストアの前でシェイブアイスを買い食いしています。
今のこの世の中でも、タダで寝泊まり食事つき!
息子のカイ(14歳)はマウイ島の高校のバスケットボールチームにいます。
マウイ島にはパブリックスクール(公立)の高校が5校、プライベートスクール(私立)の高校が4校あります。
そしてマウイ島の隣の小さな島モロカイ島とラナイ島に1校づつあります。マウイ島/モロカイ島/ラナイ島の3島は同じ政治区域の為、いわゆる地区リーグはこの中で行われます。さらに正確に説明してしまうと、本戦では学校の生徒数の大きさに基づいて1部リーグと2部リーグに分かれて、そのリーグ内で戦います。
シーズン中は練習試合、本番試合、トーナメントと何戦も試合があり、陸続きではないモロカイ島とラナイ島については泊まりがけで移動しなければならないのでこれはもうすっかり遠征ということになります。
このような近場遠征する時の宿泊先は、試合をする体育館です。シーズン中お互い行ったり来たり、ホテルはまったくもって不要です。
体育館には温水シャワーもロッカールームもトイレも完備しており、スペースは広々としているから何人いても全員で1室(?)だし、なんの不便もありません。各自寝袋持参で、宿泊料は完全無料!
バスケットの試合はたいがい夕方から夜にかけて行われます。
モロカイ島チームが、マウイに遠征にきた時はカイの高校の体育館に宿泊しました。
カイの高校はホスト(受け入れ高校)として、その日は各家庭より食べ物を持ち寄り、試合が終わった後、体育館で両チーム集まり一緒に食べます。持ち寄りパーティのことを英語ではPot Luck Partyといいますが、私のこの日の担当はRice(白飯)、大きな炊飯器で炊いたご飯を炊飯器ごと持っていくだけで、そのほか持ち寄りで集まった10種類以上の食べ物をいただけるのですから、みんなの力をあわせるとスゴイ、今日の晩ご飯は超豪華版といったところです。 チキンや牛肉と野菜のソテーや、春巻きやサラダ、焼きそばのようなヌードル類に、チャーハン、ピザ、そしてクッキーやチョコレートブラウニーなどのデザート、アイスボックスにはよく冷えたコーラやジュース。
遠征しに来ているチームにとってはこれほどありがたいことはありません。 試合後のリフレッシュと腹ごしらえの為に団体でマクドナルドやレストランまででかけていかなくてもいいし、お金もつかわなくていいし、なによりも美味しい手作りのものが食べられるというのは、本当にありがたいことです。
”モロカイボーイズって聞いただけで、あいつら、すっごい食べそうだ!”なんて思いながら、かなり多めにご飯を炊いてきました。
案の定、選手たちは皆うれしそうにガツガツ食べています。 用意した食事をそんなふうに食べてくれると、なんだかとってもうれしいんだな〜。
ホストにとっては、遠征に来ている対戦相手チームへの最高の歓迎ともてなし、ここまで試合にきてくれてありがとうといった感謝がそこにはあります。自分の家に友達を招待してごちそうしているのと同じです。 ”同じ釜の飯”を分け合うことほど、友好関係の証はありません。
カイの高校は昨シーズンは1度だけラナイ島へ1泊で遠征にでかけました。 ラナイ島はとてもとても小さな島で、ラナイシティという町にお店とローカルの住居があるだけです。学校は幼稚園から高校まで同じ場所で1校だけ、よって体育館というものも島には1つだけ。その体育館で夜行われた練習試合には、ラナイ島の住民全員が見に来ているのではないかという位体育館はラナイ島民でうめつくされて大騒ぎ、その空気の中、カイの高校はコーチ4人とプレイヤー12人だけでほとんど捕虜状態です。試合を終えた後、そこでもラナイ高校の持ち寄りパーティでごちそうになり(すっごく美味しかった!とカイは大満足していました)、体育館寝袋お泊まりでした。翌日マウイに帰るだけだった為、朝4時まで体育館の中でかくれんぼ&鬼ごっこをやっていたそうです。アシスタントコーチ3人は思いっきり寝ており、ヘッドコーチは責任感が強く、皆が悪さをしないようにずっと見張っていたとのことでした。
スポーツはチームメートやコーチ、サポーターがいないと試合ができません。
スポーツは対戦相手がいないと試合ができません。
寝袋もって遠征試合、
体育館を宿泊施設として提供したりされたり、
食事を用意したりされたり。
自分のできる小さなことをするだけで、与えて与えられて平和になる、ここにはギブアンドテイク(Give and Take. =与えた代わりに得る)ではなく、ギブアンドギブ(Give and Give=与え続ける)の精神がいっぱいです。
ハワイの古人の言葉にこういうのがありました。
Giving....
What I gave, I have;
What I spent, I had:
What I kept, I lost.
私が何かを与える(してあげる)ことができるのは、あなた(与える相手)が今ここにいるから。
(私なりの英文の意訳)
私が与えたもの(してあげたこと)は、今も私の心に誰かの心に、どこかに生き続けている。
私が費やしたモノは過去に持っていただけで今はどこにもない。
私が所有していたモノは今はどこにあるかさえもわからない。
ジョニーに初めて会ったとき、けっこう真剣にドキドキと一目惚れをしました。
マウイ育ちのジョニーは地元のちょっとおぼっちゃま系私立高校に通うシニア高校生(高校4年生)、サラサラとした長めの金髪に、いかにもスポーツマン的な体格、もちろん文句なしのハンサム、そして何よりも私の気をひいたのは教育をしっかり受けてきていい子に育ってきたことを表している知的で正直な目の輝きでした。ジョニーに自分の息子の将来を重ね合わせ、私の息子もこんな知的で正直な目の輝きを放つ高校生に育ってほしいなと思ったのでした。 ですから一目惚れといっても、彼氏にしたいとか結婚したいとかそういう感情とはちょっと違って、この場合は残念ながら母親的(私も歳とっちゃったな〜)な感情です。(もちろん私が若かったら、状況も感情も違うので間違いなく夢中にだったと思いますが。。。) このジョニー君、はるかずいぶん前に我がウインドサーフショップでバイトで働いていました。高校生で仕事経験はないけれど、人間性重視で即採用でした。
ジョニーは高校のフットボールの選手、シーズン中は怪我をするといけないのでコーチからウインドサーフィンはするなと言われていました。 でも風が吹くとたまらず、そーっと(かどうかはわかりませんが)やっていました。 そんなジョニーも高校を卒業し、海関係の仕事に就きたいから海洋学を勉強すると言ってマウイを離れ、アメリカ本土オレゴンの大学へ進みました。 それから1年後位のこと、風の噂でジョニーが大学辞めてマウイに戻ってきたと聞きました。 ”なんで〜???” ”大学が超ド田舎にあって、まわりにな〜んにもなくて、最も最悪なのが、チキンカツがないからだって!” (チキンカツ=ご飯とマカロニサラダが付け合わせになっているハワイローカル好物プレートランチメニューの定番。ハワイにはどこでもあるけど、アメリカ本土にはこの食文化はありません。)
それからしばらくは、”チキンカツが恋しくてマウイに戻ってきたジョニー”と長いあだ名をつけられて、勝手に噂をしていました。 そのジョニーに、ラハイナハーバーで偶然会いました。 子供のボーイスカウトでキャンプをしにいく為にラナイ島行きのフェリー待ちをしている時、うれしそうにひとなつっこい笑顔で近寄ってきてしっかりと Hug(愛情を込めて抱きしめる=こちらではあいさつです)してきました。 クジラの研究とボートツアーを行っているパシフィックホエールファウンデイションで働いていると言います。 マウイのほうがいいから戻ってきたと言っていました。 なんだかジョニーはすごくうれしそうで、僕はマウイが好きなんだと全身で語っている幸せなローカルボーイそのものでした。 そんなはじけそうにうれしそうなジョニーを見て、”自分がハッピーな場所に戻ってきて良かったね!”と言いました。 (チキンカツも食べられるしね!とは言いませんでしたが。。。)
”バイトで働いてもらう人、ついに決まったよ!” 誰だと思う???” と私の主人が言いました。
今回は不況の嵐の中仕事を探している人はとてもたくさんいて、経験や技能適正が明らかに文句なしの候補者も何人かいたそうですが、この難関(!?)を突破したその人は、まさに今私の息子が通っている高校を1昨年前に卒業したばかりのジャレッド、マウイで生まれ育ったローカルボーイです。”今日ショップにのぞきに行ってジャレッドに会ったよ。一目あった瞬間からもう好きだったよ。” というのが私のその後の反応でした。
ジャレッドは起こる状況にいちいちほとんど反応しない大らかなハートを持っていて、マウイの空気に同化している木や植物のように最初から自然にそこに居るような、そんなローカルボーイです。 何でも受け入れる優しい目が、いい子にのびのびと育ってきたことを物語っています。(また母親の目になっている私)
ジャレッドはサーファーなので、”君の新人研修はまずウインドサーフィンからです”というわけで、ある朝、インストラクターをジャレッドの為に派遣しカナハビーチでレッスンを受けてもらう予定にしていました。 ところが当日になってほかの生徒さんが朝寝坊をした為レッスン開始の時間が急遽変更になってしまい、ジャレッドは1時間ほど1人でカナハで待ちぼうけ、大慌てでやっと連絡をとって謝ると ”そうなんだよ、誰もいないんだよ〜。でもここにいると気持ちいいからまったく問題ないよ” なんて言って、本当にまったく動じていません。 逆に、それよりもなぜ連絡をとろうともせずそんなに長い時間人を待てるのか、そっちのほうが不思議です。。。
さすがサーファーボーイは、ウインドサーフィン研修は難なくパス。 こだわりのないローカルボーイはショップではどんな仕事だって嫌な顔ひとつせず、なんでもこなします。 店番でお客さまの相手をするだけにとどまらず、時には敷地内の植木をきれいに刈ったり、ショップ内のペンキ塗り、壊れた器具の修理 まで何でも自分たちでします。
そう、ハワイではこだわりがあると生きていけません。 例え店長という肩書きがついていたって、仕事はゴミだしにトイレ掃除から始まり、この私にしたって、汗と飛び散った草にまみれて脱水症状になりながら重い手押し芝刈り機に手動草刈り機で庭仕事をし、ゴキブリやムカデに遭遇すれば自分でやっつけないといけません。
さて最近、今回は真剣に”私が好きなタイプ!”と惹き付けられた人がいます。
私の息子カイが大好きな学校の歴史の先生ステファンです。 学校のオープンハウス(親のクラス訪問)にて、ステファン先生は自分の自己紹介を兼ねてどういう子供時代を過ごして育ってきたかということをトクトクと話しており、日本で育った私としては、マウイで育つとどういう風な人生を歩むのか興味津々で、耳を傾けていました。 マウイ育ちのステファンは、アップカントリーで育ち、私の息子が通う高校を卒業して、ハワイ大学(オアフ島)へ進みました。 修士課程を終了し、博士課程に進み大学に在学していたところ、卒業した高校の校長先生から、歴史の先生に空きがでたから今すぐ来ないかと誘われました。 ”自分を育ててくれた地域社会に恩返しができることほど幸せなことはない。 だいたいオアフ島はマウイに比べて大都会だし、マウイの田舎者が大都会で先生やるってのもどうも似合わないな”と思い、マウイに戻ってきたそうです。 ”成績は妥協しないで厳しくつけるからな!”なんて言いながらも、先生というよりも、生徒のお兄さんって感じで、日に焼けたごっつい体格と大きな声ときらきら光る目と元気指数120%で、フットボールと男子バスケットのアシスタントコーチをやっています。息子のカイはバスケットボール部です。ある日練習を見ていたら、その日は体力強化の日だったようで、コートのはじからはじまでの往復を何度も何度も決められた時間制限内で永遠に走らされています。 男の子たちはみんな吐きそうなほどに苦しそうです。”疲れたよ〜、もう走りたくないよ〜”というオーラを全員が体中から発している空気の中、”おまえら〜、うちの高校のプライドはないのか! 苦しくなったらココ(ゲンコツで自分の胸の真ん中を叩きながら)で走るんだ、ココで!” と怒鳴っており、青春ドラマを地でいっているピュアな体育会系魂を感じます。この熱いステファン先生のほかのアシスタントコーチ3人とも、かつて昔一緒にバスケットボールをしていた友達同士とのこと、そのまま一緒に大きくなってまだ一緒にバスケット(今回はコーチだけど)をしているというわけで、地域社会の結束をとても強く感じてしまいます。
私は自分自身が男っぽい性格なので、男の子は大好きで、話がとても長〜くなってしまいましたが、、、
最後にこの人は私が一番愛しているローカルボーイ。
日本で生まれ、2ヶ月の時に親に勝手にマウイに連れてこられたマウイ育ち。 親が日本人なのにも関わらず、日本語を話したがらず、思いっきりピジョンイングリッシュ(ハワイ訛りの英語)。
親は共働きで忙しく日本語を落ち着いて教える時間もとれず、日本人会もないし(実はなんとなくあるようですが時間がなく関わったことがない)、英語社会の中でほかの友達やその親が一緒に居るときに自分たちだけ日本語で会話するのはとても失礼だと感じていた為、家の外では親子でも英語で会話をすることがほとんど、結果、本当に日本語を使えない2世になりつつあります。 高校では、言語の選択科目で日本語かスペイン語を選べるのですが、非国民なことに日本語を選ばずに、スペイン語を選んでいます。 スペイン語のほうがカッコいいからだそうです(母親は理解不可能。。。)。
日本人の親としては多少危機感を感じ、ある日言ってみました。 ”あのさ〜、高校生の間に半年か1年位、日本の高校へ行ってみたら? そうすれば日本語も話せるようになるよ。 あんた、ラーメン好きでしょ?”(ものすごい思いつき発言)
息子のカイは車の助手席でホキーパの海風に吹かれながら私に言いました。
"NO, Mom. This is perfect, THIS LIFE is perfect here." (マウイは完璧に最高なんだよ! もう完璧に最高!)
5月の末、娘のレイは学校のウクレレバンドの演奏旅行でカリフォルニアのディズニーランドへ3泊4日の旅行へでかけました。 ちょうど4月末頃からあまりにもタイミングよく豚インフルエンザ騒ぎが起こり、”この旅行はどうなるの???”という心配はありましたが、結局旅行は決行され、ある1人を除いて、誰も取りやめることなく全員参加しました。
日本の学校だったらきっと中止になっていたかと思います。マウイで初の新型インフル感染者がこのウクレレ演奏旅行からでる可能性は十分にあったし(マウイの新聞の一面トップ記事になる!?)、マウイとカリフォルニアでは人口密度があまりにも違いすぎるし(ましてやディズニーランド!)、人ごみの中でウイルスを避けることは不可能です。新型インフルエンザの大量同時感染が起こったメキシコとの境界に近いというのも大変気になります。今頃、校長先生とウクレレの先生、引率の親たちとで大会議だな〜、こういうケースの場合マウイの学校だとどう対処するのかな〜などと半分心配、半分興味津々で、成り行きを傍観体制。 一言で旅行と言っても、この旅行の為に子供たちはウクレレの楽曲約13曲を練習し、選ばれし女の子はフラを練習し、アロハシャツのユニフォームをそろえ、旅行費用捻出の為に11月頃からお菓子やソーセージを売ったり、学校で夕食付きの演奏会を開いたり(スパゲティ、サラダ、ガーリックトーストの夕食をつくって売ります)、生活中古品のバザーや洗車サービスなどをして旅行資金集め活動をしてきました。(こちらではこのような資金集め活動を Fund Raisingと言い、特に子供のスポーツチームなどが試合遠征費用や試合のエントリー代金、ユニフォーム購入代金を捻出する為に、このような活動をせっせとするのです。できるだけ親の金銭的負担を少なくする為にも自ら働き努力するという行動姿勢でもあります。) 私の娘はまだ中学2年生ですが、中学3年生の子供たちにとっては最後のウクレレ演奏旅行です。このようなことを考えると、この旅行が中止になるのは心理的被害的には大きいものがあります。
早々に先生からきた通達は、
(1)現時点においては旅行は決行します。インフルエンザは感染しても症状は軽いということ、カリフォルニアにおいても危機的警告的な状態になるほどの大量感染は起きていないという状況が明白である為です。そしてさらに現時点でキャンセルをしても旅行代金は戻ってきません。空港が閉鎖されない限り、旅行代金(特に飛行機代)の一部が返金されてくる可能性はありません。
(2)旅行は決行しますが、この状況においてお子様を参加させるか否かの最終的な判断はご両親におまかせします。もし不参加の場合にはすぐに知らせてください。
事実情報だけに基づいて判断し、かつ最終的な判断選択は親に委ねた、冷静かつかなり事務的な対処だと思いました。 何かあっても学校のせいにしたり校長先生のせいにしたりというような責任おしつけ集団ではなく、あなたの子供のことはあなたが責任を持って判断してくださいというアメリカ的な個人主義がよくわかりました。 そうです、自分のことは自分で決めて、自分で決めたことには自分で責任を持つということです。ここまで明確なほうが、自分はどうするかその時点で真剣に考えるし、ほかの人に流されて自分の意思かどうかわからないうやむやな判断をすることもありませんから、あとで人のせいにすることもありません。なるほど。。。
(さて、ここまでは長〜い前置き)
そのようなわけで、娘は喜んでカリフォルニアへでかけて行き、初めてのアメリカ本土でディズニーランドでも思いっきり遊んで、帰ってきました。 マウイとはあまりに違う世界でありなんでもある大都会、”マウイはなんにもない、なんでもあるカリフォルニアに住みたい” なんて言い出すんじゃないかと思いながら、”カリフォルニアどうだった?”と聞くと、けっこう予想外な答えが返ってきました。
”ディズニーもショッピングセンターも楽しかったけど、カリフォルニアは日本と同じで空が青くなかったよ。夜空なんてもっと最悪だったよ。” ”夜、星見えなかったの?” ”星は、ディズニーのスペースマウンテンの中でしか見えなかったよ(笑)”
夜遅く、ノースショアホキーパの先、街灯もセンターラインもなにもない真っ暗な谷をゆっくり注意深く運転していると、誰もいないはずの真っ暗な景色の中で何か動くものが視界にはいっています。星がちりばめられた宝石箱のような空に、ひとすじの光が目的地にでも向かってまっすぐと元気よく突き進むように動いています。流れ星? 流れ星はたいがいまばたきをしている間に消えてしまうはずなのに、まだ動いています。しかも細字ではなく太字の銀白色のサインペンで誰かが意思を持って線を書いているかのようなはっきりくっきりとしたライン。その間たぶん約6秒位でした。そして空の暗闇に吸い込まれるように消えました。 やっぱり流れ星でした。 (6秒ってけっこう長いです。私は声もだせずに、その状況を伝えようと助手席にいる息子の肩を強くたたきまくっていました。) 今まで見た流れ星の最長時間記録です。
バスケットボールの練習をしている息子をいつも夜9時30分頃に迎えに行きます。ハレアカラの裾野アップカントリーにある学校は、夜は街灯もなく真っ暗で、星の光だけが輝いています。あまりにもきれいでずーっと上を向いて眺めていると、自分の心も身体も吸い込まれそうになってきます。
ワイレアのゴルフコースで夜行われた屋外映画上映会(マウイフィルムフェスティバル)へ行きました。バスケットボールの映画を見に、息子のバスケットボールチームにくっついて行きました。映画上映の前に、HAPAのミニコンサートがあり(HAPAは本当にローカルボーイでマウイの自然と文化に感謝しているのが素直に伝わってきます)、主催者のあいさつがあり、さていよいよ上映という時に、照明が約5秒位すべて消えました。その瞬間、すきまがないほどのいろいろな明るさの星がちりばめられた夜空が、頭の上からウワーっと降ってきて私の身体全体を包み込みました。その瞬間、私は星の宝石箱の中にいました。 こんなに美しい贈り物を届けてくれる自然の神様に感謝しました。
マウイでは当たり前のようにほとんど毎晩、星の宝石箱が見られます。 こんな当たり前のことが、実はとっても感謝するべき特別な贈り物であり、マウイはとてもスペシャルな場所なのだということを、マウイ生まれの娘のレイがマウイを離れてほかの場所へ旅行をして気づいたことでした。
青い空のもと青い海と白い砂浜で昼間存分に遊び疲れ、夜はお部屋でゆっくりしたりレストランへ美味しいものを食べにいったりと屋内で過ごしがちですが、ハワイに来たらぜひぜひ夜空を見上げてみてくださいね。
(追伸その1:普通だったらここで夜空の写真がはいるのが常道ですが、写真ではとてもその美しさを見せられません。マウイにハワイにカウアイ島にきて=要は夜の繁華街やワイキキ以外という意味です= 肉眼で見てください)
(追伸その2:ある1人を除いて、全員旅行参加しました。参加しなかった1人は、旅行の3週間前に学校で悪さをし反省室へ送られ3日間の停学となった為、旅行参加できませんでした。 その学期中の校外行事や遠足には自動的に参加できなくなる情け容赦言い訳なしの学校ルールです。)
(追伸その3:心配された新型インフルエンザには誰も感染せず、全員元気に旅行から帰ってきました。 しかしながらディズニーの乗り物で、手足をつきだしてディズニーの係員から怒られた男の子たちがいて、その日その子たちは部屋に戻って反省文を書かされたとのこと。 結局、この旅行の心配の種は、新型インフル以外のことばかりでした。)
「Dave's Dad is so cool ! デイブの父ちゃんって、すっごくかっこいいよ」と息子のカイが言います。
どうして? と聞くと、
"He is so Hawaiian, relax and laid back unlike you who always keeps busy yourself."
「いつもリラックスしてて大きくかまえてるしゆっくり話すし、まさにハワイアンスタイルそのものですっごくかっこいいよ。いつも急いでいて忙しそうにしているママとは大違いだよ」
へえ〜そうなんだ〜、せっせと忙しくしていないで、リラックスしてのんびり大らかにしているのがかっこいいんだ〜とは私の反応。
日本で高度経済成長期の親の姿を見て育ち、かつて東京のど真ん中で働いていた私にしてみれば、朝から晩まで仕事に追われて忙しくし、1日のスケジュールはびっしり、人よりも多くの仕事をこなす為に早口でしゃべり、いかにも仕事ができる人みたいに業界用語を連発し、どうやって人を説得し主導権をにぎるかという作戦に頭をつかい、さらに残業や休日出勤があるとちょっとかっこよく、国内出張に海外出張なんかがはいるとこれぞ日本のビジネスマンって感じで、そんな自分にけっこう酔いしれてたりしてたんだけど。。。
今マウイで仕事をしていても、長年身体にしみついているものは早々簡単には変わらず、リラックスしてのんびりしていることにはどうもなぜか罪悪感を感じ、いつもどこかで自分を忙しくしてしまいます。仕事をたくさんして忙しくしていることが、大人の責任と社会への義務であり、自分も成長できるとずっと思っておりました、、、がしかし、ハワイ育ちの我が子供達は、私の価値観とは全く違う価値観を持って育っておりました。
息子が言った言葉を逆に言うと、「いつも忙しく仕事ばかりしているママは、すっごくかっこ悪いよ!」と聞こえます。
忙しくしていることは誇りでありかっこいい大人なんだと思っていた私、”リラックスしている大人がかっこいい”なんて子供が言うのを聞き、衝撃的に拍子抜けをしました。
そういえばマウイに来たばかりの頃、仕事が休みの時にまでウインドサーフショップに出勤してきている私の主人に、ショップのスタッフたちは口々に "You are crazy! So crazy!!! "(休日まで仕事するなんて頭がおかしいゼ!)と言っていました。
ちなみにその頃のショップのスケジュールは完全週休3日制、人によってはほかにバイトをして足りない分を稼いだりしている人もいましたが、やはり基本形は仕事+海+友達(家族)=ライフスタイル。(海)の部分はもちろん人によって若干異なると思います。例えば、ウインドサーフィン、サーフィン、釣り、ゴルフ、音楽、バスケットボール、サッカー、テニス、ランニング と言った具合に。 少なくともここ(マウイ)では、仕事=自分、仕事=ライフスタイルという公式はありえません。 特にうちのウインドサーフショップの場合は人を雇う時にはその人のライフスタイルにあわせて、スケジュールを組みます。 風の吹く午後にはウインドサーフィンに行けるように午前中昼過ぎまで働いてもらって午後はオフ、土曜日は子供のサッカーの試合があるからオフ、午前中は別の仕事をしているから午後働く、火曜日と木曜日は奥さんが働いているからその日は奥さんの変わりに子供の面倒をみるからオフ、午後はコミュニティカレッジの授業がはいっているから午前中に働く などなど、完全に個々のライフスタイルを優先した勤務スケジュール体制です。 すごく大きなサウススウエル(大波)がはいったある朝、”キヘイにすっごいスウエルがはいっていて写真撮りたいから、今日はちょっと遅れて出勤するけどいい!?” なんてこともたまにはアリアリです。
もちろん小さなショップだし、なによりお互い信頼しあっているからこそ、こんなことができるとも言えます。 仲間に譲れるときに譲っておけば、自分が必要なときには自然と助けてくれるし、基本、友達や仲間が充実した楽しいライフを送っていれば自分も幸せになれるってことです。
さて息子のカイがかっこいいと言ったデイブのハワイアン父ちゃんですが、何年も前に(デイブのお父さんだと認識して正式に知り合いになる前)初めて学校行事でお見かけしたときは、”怖いっ!。。。”という第一印象でした。 色の黒い肌に筋肉質のでっかい体、髪はボウズに近い位短く刈っていていつも赤か青のバンダナをかぶっており、首には銀色のチェーンネックレス、当然のことながらハワイアン特有のタトゥー(入れ墨)をいれ、ごっついアーミー服(自衛隊のような服)を着ており、そしてサングラスをはずした目はものすごく眼光鋭く、本当に怖いと思ったのです。簡単に友達になるにはちょっとほど遠いって感じでした。
ところがところが、そんな私の第一印象はもう本当に今では申し訳ないと思う位実はものすごく間違っていて、今では会うと、くしゃくしゃに顔をくずして笑い、正面から優しく大らかな目で受け入れてくれます。 ちょっと遠くに居ても、気づくと人懐っこく近寄ってきてくれます。 息子のカイの面倒を見てくれたときがあり、”ありがとう”と言ったら、”カイは最高の男の子だよ”と言って、私を思いっきりハグ( Hug = 愛情をこめて強く抱きしめる。こちらでは親しい人に会ったときの挨拶です)しました。
デイブは自分のお父ちゃんの口調をマネをする時があります。ある日、息子のカイがほかの友達と口論になりそうになり、早口でまくしたて始めたときでした。
(すごーくゆっくりとした口調で)" Relax, Relax, just fine, everything all right, no problem." リラックスして、リラックスして、大したことないから、大丈夫、すべて大丈夫。。。
そんな風に言われると、感情的に熱くなって早口でしゃべっている自分がばかばかしく思ったのか(傍から見ていて、少なくとも私はそう思いました)、別にどうでもいいことだと気づいたのか、とにかく拍子ぬけしたようで、皆で笑って終わり、本当の口論(もしくはもっと最悪の事態)には発展しませんでした。
ところでRelax=リラックスの意味ですが、仕事も何もしないで怠慢にぐうたらしているという意味ではないということに気づきました。
”物事に動じない”と解釈するべきでした。
何か問題が起こったとき、何かトラブルが起こったとき、何か自分が欲していないような状況が起こってしまった時、腹をたてたり感情的になるのではなく、まずは状況を受け入れる大きな心を持っていることです。
生きていてすべて100%完璧に自分が望むとおりに物事が起こることはありえません。
ましてや人のせいにしたり環境のせいにしても何の解決にもならないし、かえってますます腹がたつだけです。
起こることは状況なだけであり、こんなことは大丈夫大丈夫と自分が思えば、すべては大丈夫なのです。そういう大きな気持ちでいたほうが、自分の中でストレスもなく、かえって冷静に問題解決ができたり、人をむやみに傷つけることもなく、皆平和で仲良くいられます。
"Speak Slowly, Wear Loud Shirts." という昔のハワイアンが書いたハワイアンのルールがあります。
=話す時はゆっくり、心は広く。
あ〜、そうなんだ、ここでは。
ちょっとのことで大きく反応したり感情的になったり早口でまくしたてたりすることが多いね〜私は。だからカイはデイブの父ちゃんをリラックスしていてかっこいいって言うんだね、きっと。
ゆっくり穏やかに話し、何が起こってもどうにかなるさ位のすべてを受け入れるでっかーい心をもつハワイアンスタイルが、ここではかっこいいのです。
(ここはハワイです。車のライセンスナンバーにもアロハの州とはっきりと書いてあります。ここではゆっくり話しましょう、そして心は広く!)
さらにオバマ大統領はその意味の説明を続けます。
2009年1月、フェデがマウイに戻ってきました。
ガンだと診断される前のフェデよりもずっと元気になって戻ってきました。
もともと明るくおおらかな人柄でしたが、さらに明るくなって私たちの居るマウイへ戻ってきました。
2007年夏、友達のフェデは食道ガンの治療の為、大好きなマウイを離れなければならなくなりました。
マウイの病院でガンだと診断されてから、2週間でばたばたと引っ越しをして突然私たちの前からいなくなってしまいました。カリフォルニアのガン専門の病院で治療に専念する為です。その時点で、食道だけでなく肺と肝臓へも転移しており、進行度は4段階中最悪の4、治癒する可能性は1%だと医者に宣告されました。
その後2007年夏より抗がん剤治療と自身でも食事に気をつけるなどの自然的治癒療法を初め、2008年3月の検査で奇跡的にガン細胞がほとんどすべて消えてなくなりました。その後も医者の指示により抗がん剤治療は続けており、3ヶ月に1度の定期検査を行っています。
ガン、転移、生存率1%と聞いた時点で、私たちを含む誰もが”絶望”に近いショックを受けました。
当の本人もその家族も最初のショックは計り知れません。もし自分だったら、そんなことを受け入れることができるのかどうかも想像がつきません。頭が混乱しすぎてパニックになってしまうと思います。
本人はこんな重大なことになっているとは想像もしていなかった為に、軽い気持ちで1人で病院へ検査結果を聞きに行き、そこでガンだと宣告されました。
涙をこらえ混乱した状態で病院をでたフェデは、思わず青く雲ひとつない澄みきった空を見上げ、太陽の暖かさを瞼と頬全体で感じ、髪の毛をゆらす潮風を全身で大きく吸い込み、あまりにも美しく晴れ渡ったマウイの空気にしばし陶酔し、その瞬間心から神様に感謝しました。その美しいマウイの自然と、今ここに生かされている自分の存在、そして自分とともに生きている家族の存在に心から感謝しました。
今ここに生きていること、そして家族がいることに感謝をし、神様にひとつだけ強くお願いをしました。”どうか妻と一緒に2人の小さな子供たちを育てあげることのできる可能性を私に下さい。どうか私をこのまま逝かせないで下さい。”
その後も、神様は必ず力を貸してくれる、必ずこの病気は治ると信じ、祈りつづけ、感謝をしつづけました。
検査結果、医者が告げる生存率、財政的な困難など、未知のことやこれからの将来のことへの不安に震える家族を精神的に支えるきっかけをつくったのもフェデ本人だったようです。
”今日の今この瞬間ここに家族と一緒に居ることに感謝している。6ヶ月先のことを毎日毎日心配しながら生きることで、今のこの瞬間成長している子供たちと一緒に居られるこの時間を無駄にしたくない。”
フェデは、ガンと宣告され、”今日この瞬間を生きる”と決めてから少なくとも1年6ヶ月は経ちました。
フェデは ”大好きなマウイで大好きな仕事はできなくなってしまったけれど、子供と一緒にたくさん時間を過ごすことのできたこの1年半はお金では買うことのできない貴重な時間だった。こんな時間をくれた神様に感謝している”と言います。
生存率1%と宣告された事実は、今のこの瞬間においては生存率100%という事実に変わっています。
毎日毎日先の心配をしながら生きることもできるし、毎日毎日その日生きていることに感謝し楽しく穏やかに1日を過ごすこともできます。 どちらの方法で生きても、毎日のように日は昇り日は沈み時間が経っていきます。
そして例えば1年6ヶ月経ったときに、1年6ヶ月前に心配したり恐れていたことがひとつも起こっていなかったとしたら、毎日何かに心配しつづけ不安におののきながら生きてきた時間は本当に無駄です。
先のことなんて誰にもわからないし、逆に100%保証された将来というものもありません。そのときそのときの状況は自分の望むような方向にすぐに解決しないこともたくさんあるけれども、時間とともに状況は必ず変わります。
でも今目の前にある時間の使い方は自分が選ぶことができます。
心配して恐怖にさいなまれていても、楽しく過ごしていたとしても、確実に同じ速度で時間は経っていきます。
だったら今日のこの日に自分ができることに集中し、今日を楽しく生きるというほうがいい。そんなこと言ったって苦しいし気分は滅入ってるし無理無理、そんなことできないとあきらめないで、”とりあえず今日1日”だけがんばってみよう。 1週間じゃなくて、たったの今日1日だけなんだからなんとかがんばれるよ。 自分にできることをする、なんでもいい。仕事でも遊びでもいいからとにかくできることを楽しく忙しくやる、今日1日だけ。
フェデは自分がどんなにマウイが好きかということを、トクトクと私に語り続けます。マウイの自然の美しさやマウイローカルの人たちの優しさ、マウイにいるだけでどんなに身体も心も気持ちいいかなどを、まるでほかに代わる人がいないほど身が引き裂かれるほどに惚れ込んでしまっている最愛の恋人のことでも語るかのように、気持ちを高ぶらせ泣きそうになりながら私に訴えるので、私は ”またすぐマウイに引っ越してきたら!?”と ”未来的”願望を言ってしまいました。フェデは、ニコニコしながら言いました。”僕は今のこの瞬間マウイに居るからそれだけで最高に幸せだよ。見て、少なくとも今日は間違いなくマウイに住んでいるよ!!”
(追記)
==もし自分がすぐに受け入れられないような苦しい状況が起こってしまったら、思い出そう。===
ACCEPT : 状況を受け入れよう。起こってしまった状況は変えることができない。
FOCUS : 今日1日を生きる。今自分ができることに集中し、今日1日生きることに集中する。
CHANGE : 状況は時間とともに必ず変わる。
HOPE : 感謝とともに奇跡は必ず起こりつづける。
私の息子(14歳)のカイのバスケットボールリーグ、今回のチームにはカイのひとつ年上の大きな女の子(名前はターシャ)がいます。
9人の男の子の中でただ1人の女の子、もちろん今回初対面のメンバーもいる中、ターシャは初めからみんなにとてもフレンドリーでいつもからだ中から笑顔をふりまいており、カイとももう10年来の友達なのではないかと思うほどうちとけて仲良くしています。 普通は初対面のときというのは必ずお互い無言の探り合いみたいな時間があって、完全にうちとけあうのに少し時間がかかるものですが、ターシャは最初からとてもリラックスして全員となじんでいました。そんな素朴で無邪気で”人間が大好き”みたいなオーラと笑顔をふりまいているターシャはとてもかわいく、いままでこんなかわいい女の子はいなかったな〜、またすぐ会いたいな〜とさえ思うほど”気になる女の子”(ただ無性にそのあふれでているオーラに惹かれるのです)でした。驚いたことに、この点は私のダンナもまったく私に同感していました。
シーズンが終わりに近づき、私はコーチに渡す感謝の贈り物を購入するべく、各プレイヤーから1人10ドルづつお金を集めていました。
ターシャに ”10ドル持ってきた?”と聞きにいくと、ターシャが隣にいる女性に向かって、"Mom, Ten Dollars !"(お母さん、10ドル!)と手を出しています。 ターシャがMomと言ったその人は、練習も含めて約2ヶ月間続いていたこのリーグで、その日初めて姿を現しました。 いつもターシャにはお父さんがついてきていたので、その人がお母さんだということはその瞬間に初めて認識しました。
ターシャのママはその日、バスケットボール試合会場にはとても場違いなテニスウエアを着て、サンバイザーをかぶり、妙にとても目立っています。
その1週間後、最後の試合(2008/7/12)が終わったあとに私がそそくさとポットラックパーティ(Pot Luck = 食べ物持ちよりパーティのことです)の場所確保をしていると、ターシャのママ(名前はサオと言います)は私に近寄ってきて、何の前触れもなく突然テニストーナメントのパンフレットを見せながら、”見て、見て、ここに私が載っているのよ。私このあいだのトーナメントで優勝したのよ!” と自分のテニス話を唐突にすごく楽しそうに始めました。
サオとは前の週10ドル集金時に一言会話をしただけで、その日は会ってからまだ2度目。にもかかわらず、いきなり私の家のドアを呼び鈴もならさずに勝手にあけてズカズカとはいってきたような突然訪問攻撃にすごくびっくりしている私は、話を聞きながらも”私とこの人ってこんな親しかったっけ? この人、私のことを誰かほかの人と勘違いしているんじゃないかな〜”などと考えながらここはどういう風に反応するべきかを緊急で探っている状態です。その突然訪問攻撃は、”初対面からこの人馴れ馴れしくて失礼な人だな〜”と思ってしまうかもしれないヤバイ境界線を超える半歩手前位でウロウロしています。 こういうタイプの人はけっこうマウイにはよくいるので慣れているつもりなのですが、経験的にハワイアンではなさそうです。フィリピン人は初対面はシャイだし、トンガ人もありがちだけど違うような気もするしな〜、でも絶対ハワイアンではないな〜、などと私の中で今度はその人種を緊急に探っています。そんなこんなで内心かなり混乱気味であることを覆い隠しながら話につきあっている内に(この間およそ3分位という短い時間)、気づいてみたらそんな混乱状態も忘れ、私はサオの話に耳を傾けゲラゲラ笑っていました。サオはテニスがものすごく上手くて男性のプレイヤーよりもパワーがあるのでみんなから恐れられていること、ある時はサオがショットした球が相手プレイヤー(男性)の急所を直撃したこと、だからサオとプレーする男性プレイヤーは野球選手が着用するカップ(急所を保護する為の固いプラスチックのカップです。日本語で何と言うのでしょう?)をする必要があることなど、そんな話にウケて爆笑している私。 その後は気づいてみると、私も含め約7名ほどのチームの親たちが座っている真ん中にサオは仁王立ちになり、サオとだんなさんがどこで出会ったかとか、白人である自分のだんながどんなに自分よりもスポーツができないかとか、そんな自分の話をしつつ、ほかの夫婦にもどこ出身かとかどこで出会ったのかとかかなり個人的なことをつっこみながら、その日のその瞬間が初対面であるにもかかわらず完全に輪の中心で笑いをとりながらうちとけた空気を創りだしていました。
サオはウエスタンサモア出身(100%サモア人です)でした。 どういうわけだか知りませんがサンフランシスコのボーリング場で働いていた時に、そこにお客さんで来ていたアメリカ白人のだんなさん(ジム)と出会ったそうです。 サオは”白人男(ジムのこと)は痩せていてボーリングもへたくそでスポーツもできないし頼りないのよ”と言い、ジムは ”サモアっていう国は女ばかり強くて最悪の国だ”と言い返し、その様子はまるで夫婦漫才そのもので、私たちはみんなゲラゲラと笑っていました。
そんなごく普通の出会いでほんのひと時の時間でしたが、なぜか私にはカルチャーショックを受けたような不思議な”衝撃”が残りました。
ターシャと同じ素朴で無邪気で”人間が大好き”オーラを振りまいており、何の壁もなく偏見もなく疑いもなく初対面の私の中へ無防備で飛び込んできました。なんだかすごくなつかしいような暖かいような安心感のあるようなそんな気持ちが残り、またサオに会いたいな〜と思いました。
なんでそんなに衝撃を受け、心に残ってしまったんだろう?何にそんなに惹かれているんだろう?としばらく考えていました。答えはすぐにわかりました。きっと私はずっとサオのようにターシャのように、誰にでも何の壁もなく偏見もなく疑いもなくすぐに友達になれる、人間が大好きな私になりたかったのです。正確に言うと、人間が大好きな私に”戻りたかった”のです。
小さな子供の頃はそうだったはずだということを思い出しました。”葉子ちゃんはいつもニコニコしているね”とよく言われていました。誰とでもすぐに仲良くなりました。
都会のシステムの中で大人になるうちに、人間に対しての偏見や疑いや壁といったものが徐々に蓄積されていき、どうやって人を判断するかとか、どんな風にかっこよく自分をみせたいかとか、そんなテクニックみたいなものが優先されていったようなそんな気がします。ですから初対面の人とは最初から100%自分を出すことができません。サオとの出会いは、人間が大好きで、誰とでもすぐに友達になれる無邪気だった子供の頃の感性を私に思い出させたのです。私が私自身でいられた本質に引き戻してくれたのです。
サオとのカルチャーショック的衝撃の出会い以来約6ヶ月後、ハイスクールのバスケットボールシーズンが始まり、ずっと会いたいと思っていたサオに試合会場でついに再会することができました。
サオといると、たわいもないごくごく普通の会話をしているだけなのに、サオのナチュラルな人間愛のオーラのせいか、すごく暖かく平和な安心感に包まれます。なんかもう長い間友達であるようなリラックス感があるのです。 そして必ず毎回”笑い”が生まれます。子供の頃に何の心配もなく、無邪気に家族や友達と談笑していた時のような感覚に引き戻されるのです。私の本質はここにあったんだと気づかされます。
今日もバスケットボールの試合会場で、サオは(絶対初対面だと思う)隣の人の膝をたたきながら”ちょっと見て、あのコーチ騒々しいわね〜、あっはっは”なんて勝手に話しかけながら、喜んで試合観戦しています。
2009年1月
(サモアの話はまだもう少しだけ続きますが、また後日に。。。)
内藤葉子 Yoko Naito
マウイ島にて現地旅行会社と
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