メイドオンマウイ元気のスパイス

元気のスパイスを、ハワイマウイ島からお届けします。 アロハエッセンスとマウイの風を感じてもらえるとうれしいです。

フレンズ/友達

Love your life - 心のままに導かれるままに

マウイドリームバケーションズ/マウイウインドサーフカンパニーのお客さまへ

こんにちは、マウイドリームバケーションズの内藤です。 
ハワイへのご旅行のお手伝いをさせていただきましたお客さまへ、
冬のマウイ島よりクリスマス便りをお送りしております。

12月のマウイ島は朝晩は19度前後と少し寒く常夏のハワイながらも「冬」を感じますが、昼間は27度前後と暖かくビーチでも快適に過ごせます。
冬の間アラスカからハワイの暖かい海まで出産の為にやってくる約12000頭ものクジラたちの季節でもあり、3月下旬頃まで岸からでも頻繁に目撃できます。
今日はマウイ島ホキーパ沿岸からも見えました。
通常その年で初めてのクジラの到着が確認されるのは10月初め頃ですが、今年はなんと8月30日にハワイ島コナ空港の南にあるホノコハウハーバー沖で確認されており、
記録されている範囲内では歴史上最も早い時期だとのことです。


クリスマス近くになると人と車で混雑している街を避けて、海へ逃避し砂浜で大の字になって波の音を聞きながらその年のことを振り返りますが、今年は人の心や親切に最も触れる機会が多かった年でした。

bouquet例えば一番分かりやすいのはお客さまのウエディングをコーディネートしている時。コーディネーターながら当日は私自身も大きく深呼吸をし毎回その瞬間の重みにドキドキします。
ウエディングの舞台裏は式を執り行う牧師から、フォトグラファー、ビデオグラファー、ハワイアンミュージシャン、フラワーデザイナー、ヘアスタイリストと「才能と個性」の結集であり、
それぞれの作品やパフォーマンスから情熱や魂を感じることができる時間です。 
 I love what I am doing.(大好きなことをやってるだけサ)と皆口をそろえて言います。 
ちなみにこの「好きなことをやる」が、ハワイの場合には海や波風の状況によっては、サーフィンになったりフィッシングになったりするわけで、その間は簡単に音信不通になってしまうところが、
仕事第一ではなく心のままに自然まかせに生きているハワイアンスタイルといったところです。


今年は私自身結局ウインドサーフィンよりもボランティア活動に費やした時間のほうがはるかに多い年でした。 
こちらの子供達の学校生活では「コミュニティサービス(社会貢献ボランティア)」が中学生の時から不可欠であり、例えば学業成績が良くてもコミュニティサービスの実績がないと、表彰もされず、大学進学時の奨学金ももらえません。 学業、課外活動(クラブやスポーツなど)、コミュニティサービスが均等に重要な3本柱です。
そんな子供達の影響もあり、高校のスポーツイベントでの売店準備、ノースショアのビーチ清掃、そして一番の大仕事は娘の社会貢献ボランティア活動を手伝い、高校の代表として総計約70時間におよぶ家庭訪問によりマウイの非営利団体日系2世ベテランメモリアルセンターの為の募金活動を行い、一緒に手伝ってくれた友達や実際に募金してくれた方々の親切に触れることができたことが大きな財産でした。
I am very happy to help you. (あなたを助けることができて幸せです)と皆言います。
ホキーパ沿いでゴミ拾いボランティアをしていると、通りがかる多くの車が警笛を鳴らしてサポートしてくれたり窓から Thank you!と叫んでくれます。こちらこそ I am very happy to help you and aina(土地)。という気持ちになります。 なるほど警笛というのはこういう時に鳴らすものなんだな(笑)と学びました。。。あとはウエディングカップルを目撃したときにも派手に鳴らして祝福しましょう!

beachclean(カナハビーチパークでごみ拾いボランティア:主人と娘です)

そのようなわけで仕事とウインドサーフィン以外でも忙しかったので、今年はブログはあまり書けませんでしたが、大切な友人の「旅立ち」で迎えた今年の元旦から、息子の「旅立ち」、そして私自身もボランティアを通して少しは成長したかもしれない年でした。

ブログ「Best Friends Forever - ずっと友達」http://mauiwind.livedoor.biz/archives/1880473.html
ブログ「Journey - 卒業、そして旅はいつも始まりから」http://mauiwind.livedoor.biz/archives/1935564.html

フェイスブックをしていない方でSign Up画面が出て来た場合には右下のClose(閉じる)をクリックすれば、マウイドリームバケーションズのフェイスブックを見られます。


お客さまにはいつもバケーションのお手伝いをさせていただき感謝しています。
これからもそれぞれのお客さまの夢を実現するために人間性と情熱を持ってお手伝いしていきます。
ハワイのことを思い出しましたらどうぞお気軽にご連絡ください。

皆様にとって今日が素敵な1日でありますように!  Have a Good Day !
そして2013年が皆様にとってよい年になりますように! 
メリークリスマス&ハッピーニューイヤー そして ALOHA!


onegoalphoto
"One GOAL - Work TOGETHER"

(追伸)
秋のお便りでご案内しました期間限定で販売していましたマウイメイドのハワイアンシェルジュエリー、ご好評により引き続き販売を続けます。
ジュエリーデザイナーの旦那様は素潜りフィッシャーマン、マウイの海で集めた貝をひとつひとつ丁寧に愛情を込めて美しく仕上げました。
メイドオンマウイのシェルジュエリーをマウイより直送いたします。
リッツカールトンカパルア、グランドワイレアリゾート、ショップスアットワイレア、ホエラーズビレッジ、パイア、マカワオ でも販売されている期間限定デザイナー直送料金です。
その後商品ラインナップも増やしていきますので、
メールオーダーまたはマウイへいらっしゃる方はカフルイ空港から車で3分の当社ウインドサーフショップでの受け取りも可能です。

ハワイアンシェルジュエリーカタログはコチラをご覧ください。

/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
Maui Dream Vacations / The Maui Windsurf Company
YOKO NAITO   内藤 葉子 
e-mail : nainai@aloha.net(メインメールアドレス)
e-mail : mauidreamhawaii@hotmail.co.jp(サブメールアドレス:メインがエラーになる場合)
=============================================================      
マウイ島ハワイ諸島宿泊施設ホームページ
フェイスブック http://www.facebook.com/pages/Maui-Dream-Vacations/247230385378937
ツイッター  www.twitter.com/MauiDream4ever
=============================================================  
マウイウィンドサーフカンパニー日本語ページ
フェイスブック https://www.facebook.com/MauiWindsurfCompany
=============================================================  
Maui Dream Vacations  宿泊予約スペシャリスト
P.O. Box 1098, Haiku, Maui HI96708-1098
Phone : (808)871-8085 日本語OK
Fax : (808)575-5438 
=============================================================
The Maui Windsurf Company マウイ島ウインドサーフ&サーフレンタルショップ
22 Hana Hwy, Kahului, Maui HI96732
Phone : (808)877-4816     Fax : (808)877-4696
=============================================================



Journey - 卒業、そして旅はいつも「始まり」から

アップカントリーにパープルのジャカランダが咲き始めるのは3月初め頃、夏の終わり頃まではアップカントリーのどこかしらで見る事ができます。

ジャカランダがさきほこっている5月は卒業式のシーズンです。

ハワイの学校の新学年新学期は長い夏休みが終わって8月からなので、夏休みの前が学年末そして卒業式です。

jac (パープルのジャカランダがきれい〜。クリックして見てください)

 

同じ町でエレメンタリースクール(小学校)、ミドルスクール(中学校)、ハイスクール(高校)とずっとパブリックスクールだった息子のカイにとっては、ハイスクールの卒業は大きな節目です。 パブリックスクール(公立)は高校受験はないので、エレメンタリースクールから一緒の友達は13年、公立のエレメンタリースクール5校分が1カ所に集まって大きくなったミドルスクールから一緒の友達は7年、ずっと一緒に学び育ちます。

日本語の「卒業」という言葉は、「終わり」や「別れ」的な要素が多く、「達成感」や「旅立ちへの希望」よりもむしろ物悲しかったような気がします。

英語の卒業=Graduationという言葉は、別の言葉でCommencement(始まり)とも言われます。

卒業式のパンフレットには "Leaving the shore"(岸を離れる=出航、船出、旅立ち)と書いてありました。

終わりではなく「始まり」であり「旅立ち」です。 先生や親など送り出す側から見たら「巣立ち」といったほうがしっくりくるかもしれませんが(母親的にはちょっと涙だけど。。。)、

「始まり」という前向きな視点はとても好きです。



grad

Class of 2012(2012年卒業生)が年度始めに自分たちで選んだ学年テーマは "This is not the end."でした。

高校生最後の年ですが、This is not the end. = これで終わりじゃないゼ! というわけです。

こちらの学校システムは小学校であっても義務教育であっても規定の学業成績を達成しなければ自動的に落第するので(慈悲なし、根回しもききません)、

高校卒業は大きな達成でもあります。 
(ちなみに、学校側から一方的に落第させられるだけではなく、特に小学校や中学校位のときは本人と親が自発的に同学年にもう1年とどまったり1年遅らせたりすることはまったく普通のことで、逆に頭がよすぎて学年を途中でとばしで進級する人も時々います。 どちらにしても個人にあったペースで確実に必要なことを学ぶことが最も重要ということです。入学してしまえば自動的に卒業できるようなうやむやなシステムではありません。)


落第一歩手前ぎりぎりで卒業できたディーは校長先生から卒業証書を受け取った瞬間、2000人位の観衆の前で半べそで狂ったようにそれは派手に喜んでいました。。。このディーは小学校のとき息子のカイと同じ野球チームで、コーチのサインを100年たっても覚えず、バッターボックスに立つたびに頭の上は?マークだらけで、毎回バントかスイングしていいのかジェスチャーでコーチに確認(よって、サインをだす意味ぜんぜんなし)していたことを思い出しました。 よかったね〜。

かと思えば、優秀な成績をおさめて学業表彰されてさらにスポーツ選手としても表彰されていたマックスは、卒業式2週間前に下級生とふざけていたのがマジ喧嘩に発展し停学となってしまった為、

卒業式に出席することができず。。。(学校行事や遠足行事の数週間前に停学をくらうと、自動的に行事には参加できなくなります。慈悲なし、謝罪による挽回なし)

ついでに言うと、高校のスポーツリーグでは該当のスポーツシーズン中には2週間ごとに「学業成績チェック」というのがあり、その時点で宿題や課題が提出されていなかったり落第点をとっていたりすると2週間試合にでることができません。時々これにひっかかる選手がいてそれがまたベストプレイヤーだったりなんかすると、特にチームスポーツの場合には勝敗に大きな計算違いが生じてしまったりもするので、高校生のリーグは何があるかまったく予測もつきません。


卒業式の2日前に学業表彰やスポーツ表彰、奨学金表彰がされる表彰式がありました。

校長先生はじめ各科目担任の先生や学生行事の先生、そしてこの日は特別ゲストもきています。

特別ゲストは奨学金を寄付した市民団体の代表や個人です。

表彰式の中で、ある生徒が奨学金の目録と一緒にマカデミアナッツチョコレートの大箱1箱をもらいました。

まだ表彰式は進行していますが、席についた生徒はチョコレートの箱をあけて食べはじめ、隣近所の生徒にも「食べる?」というジェスチャーをして分け与え、一瞬で空っぽになった箱を椅子の下においていたのでした。 私ももうマウイで長いのでこんなことが起こっていてももはやまったく違和感ないのですが、後でよ〜く考えたら「これ、日本の学校でやったら、すっごく怒られるのでないか、奨学金もとりあげられるのではないか」とちょっと思いました。


こんなハチャメチャなパブリックスクールライフですが、私も含めて今までよくがんばりました。

 

私がマウイで一番好きなことは、
「かっこつけたり見栄をはったり世間体を気にしなくていいこと」=「いつも自然な自分でいられること」
だから すべての人を受け入れるパブリックスクールが合っていました。


時々日本からのお客さまのウエディングをお手伝いしていますが、

私自身のウエディングではなくても、ウエディングに関わる度に毎回「始まり」を感じることができます。

卒業式も別れではなく「始まり」、なぜなら旅はまだまだこれから続くからです。


「成功」というのは、毎日朝起きてその日自分がやる仕事に対してわくわくしながら一生懸命することができることです。


(卒業生主席が自分たちで考えてきたスピーチの一部です)


マウイの卒業生たちは、「達成感」と「羽ばたいていくことのできる自由への希望」にあふれており、

まさに「始まり」であり「船出」でした。

 

haikuboys

 

(卒業生が選んだ卒業の歌の歌詞の一部です。Andy Grammarの "Keep Your Head Up"より)

生きることは大変で時々うまく行かないこともあるけれど、

僕たちはただ旅をしているだけなんだ

だから「心配」なんかは投げ捨てて

頭を上げて前を向き続けるんだ

君は大丈夫さ、すべて大丈夫になるのさ
雨が降れば必ず虹がでる
朝になれば必ず太陽が昇ってくる
すべてはつながっていて必ず巡り巡ってくるのさ
だから頭を上げて前を向き続けるんだ 

君は大丈夫、大丈夫さ、すべてはうまくいくよ。。。。




この人たちは卒業生ではありません。卒業式に参加した卒業生の父親2名。卒業式だというのにこんな超普段着(うちのだんなはサーフショーツをはいているので普段着以下) 
graddad

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Best Friends Forever - ずっと友達


      rainbowhp

毎日訪れる新しい1日に感謝して生きよう。
この瞬間を愛さずに過ごしてしまわないように気をつけよう。
大きく酸素を吸って感謝して、周りに広がる自然を楽しもう。
地球を大事にして、他の人の手本になるようにしよう。
それから、リサイクルも忘れずにね。
2012年1月1日 by Fede


   

「プレゼント(贈り物)」は 英語でPresent、「今現在」のことも 英語でPresent と言います。
過去は過ぎ去ったことで変えることができず、
未来は不確かなもので事前に手にいれることはできない、
時間軸の中で「現在」目の前の瞬間だけが誰もが今必ず持つことができるもの、
今どのように過ごすか自分で決めることができるもの、
だからプレゼント(贈り物)と言います。


皆様にとって今日が素敵な1日でありますように!  Have a Good Day ! 

   


               sunsetb


       sunsetsail forever 
    
                         Best Friends Forever  


     fede1054     1970.1.21 - 2012.1.1

 http://www.mauiwindsurfcompany.com/jp/jfede.php


Hydrotherapy, Wind ( Go! Fede ) - 癌とともに生きるフェデリコの海療法、ウインドサーフィンセラピー

(今回のブログは特別記事です)

フェデリコが、癌とウインドサーフィンと自分の命とどのように対峙しているかを語っている記事 の 日本語訳 です

                
               米雑誌 -WINDSURFING-6月号掲載

             
                 wsfmgzn


 

記事タイトル:

HYDROTHERAPY

Cancer Patient Federico Pecora Has an Ally in his battle for Health - IT'S THE WIND.

海療法

癌と戦うフェデリコの味方ーそれは風


 


今日は美しく晴れ渡った気持ちのいい快晴、

僕が住んでいるのはカリフォルニアのシールビーチ、

今日の海上予報は、サウススウエル(南からはいってくる波)に25ノットの適度な強風、

ウインドサーフィンには最高のコンディションで、気持ちは興奮しワクワクしています。


でも今日は海へ行く前に、朝一番でドクター(医者)へ行かなければなりません。

昨日は4時間かけて抗がん剤を投与したので、その作用により白血球数が減少することを防ぐ為の注射を打ちに行くのです。


僕は今から4年前に食道ガンであるという診断を受けました。

その頃僕はマウイに住んでいて、いつものように毎朝起きてはカフルイのマウイウインドサーフカンパニーへ働きにでかけていました。

そしてウインドサーフィンをすることが僕のライフ(生きる喜び)でした。 

その頃の僕の生活の中では、妻と子供、そして仕事が最大の優先順位を占めていました。

今僕の生活において最大の優先順位を占めているのは、「癌と戦うこと」です。


今日はドクターへ行ったあとに、妻と子供たちと一緒に海へ行き、僕はウインドサーフィンをする予定です。

妻はいつも僕がウインドサーフィンをする事に協力してくれます。

抗がん剤の副作用で体調が最悪の時でさえも、妻はウインドサーフィンに行くように励ましてくれます。

ウインドサーフィンをすることが僕の最悪の体調と最悪の気分を浄化させ吹き飛ばしてくれることを、妻は知っているからです。


12時頃、ドクターのオフィスから戻ってきました。

僕はすでに風を感じ始めています。 まだお昼だというのに、風はすでに20ノット吹いています。

最高にワクワクし、心臓は高鳴り、すでに自分が滑走している波の斜面の感覚を想像し始めています。

ミネラルウオーターと栄養価の高いキノワとアボガドとオーガニック野菜でつくったサラダを食べて、いざ海へ!


今日の体調はよくありません。抗がん剤の副作用で、吐き気、頭痛、胃もたれと疲労感がひどいです。

でもひとたび海に来ると、僕の心は「喜び」だけでは到底足りないそれ以上の「幸福感」で満たされます。

僕が闘病を始めて以来、マウイに居たときに仕事でもプライベートでも良き友人だったゴヤセイル、クアトロ、マウイフィンカンパニー、チノックの人たちが今なお好意で道具のサポートをしてくれることはとてもありがたいことです。

それというのも、みんなこのウインドサーフィン療法が僕にとってどんなに効果的であるかを、同じウインドサーファーの身をもって知っているからです。


ギアのセッティングも完了し、ゆっくりと海へ向かって歩いて行きます。

海から運ばれてくる純粋な酸素を胸いっぱい吸い込み、大きな空を見上げて神様に祈ります。

「今ここに生きていること、今日ここでウインドサーフィンができることに感謝します」


はやる気持ちをおさえて軽くストレッチをしてから海にはいると、5.3のセイルは一瞬にして風をはらみ、くずれたばかりの波で白い泡がまだ残っている平水面を勢い良く滑り出し、すぐその先に今にも割れようとして盛り上がっている新しい波に向かって突進していきます。。。。       「本日最初のバックループ! 決まった!。。。あ〜最高だ〜」


僕の身体はすでにいい気持ちになっています。

ついさっきまで僕の身体を強固に支配していた抗がん剤の副作用は、まるで魔法のようにすべて消え失せていきます。

それから2時間余り最高の波のコンディションの中で、両手がブームをつかむことができなくなるまで、僕はウインドサーフィンをし続けました。

あ〜疲れた〜、お腹すいた〜! 妻の手作りの美味しいご飯が待ち遠しい! さあ早く家に帰ろう。


僕にとってウインドサーフィンというのは、もうどうしようもなく好きで好きでたまらない離れる事のできないものです。

ウインドサーフィンとの出会いは僕の人生を変え、世界中からたくさんの友達を与えてくれました。

僕の最高の友達のひとりでもある弟のマリアーノとも、この愛すべきウインドサーフィンというスポーツの楽しさを分かち合えるのは、最高に幸せなことです。

かつて僕はウインドサーフィンをしたくてアルゼンチンからマウイへ来て、そこで妻となるマーシーと出会い、マウイで2人の子供を授かりました。

そして今、神キリストに守られている事を信じ、僕の今までの人生において最大の苦難障害である癌との戦いにチャレンジしています。

僕は癌になったことによって、もし癌になっていなかったら知る事もなかったであろう多くのことを知り学んでいる事に、感謝しています。


僕は自分が癌になって以来、小さな子供からお年寄りまでのあらゆる年齢層の、想像もできないほどの多くの人々が癌という病気に苦しんでいることを知り、その人たちが癌と戦っている姿を間近で目撃してきました。

人間は誰でも生きている間に、必ず何かしらの大きな苦難や障害に立ち向かわなければならないことが起こります。

そんな時、そのような苦難や障害に対して、どういう姿勢でどう対応すればいいのか???


I Will Never Give Up. 僕は僕の強固な意志で絶対あきらめない。

もし「癌」がもっともっと強い苦しみを武器にして僕に戦いを挑んできたら、僕はそれよりももっと強くなって戦いに真っ向から挑みます。

時々僕は、冗談でまわりの人に言います。「癌はウインドサーフィンが絶対大っきらいだと思うよ。だって、ウインドサーフィンをすると僕は最高に気持ちよくなるし、それに知ってる? ウインドサーフィンしている間って癌細胞がどんどん死んでいってるんだよ。」


今この僕の記事を読んでくれている世界中の友達たちにぜひしてほしいこと、、、
 

「今生きている自分の命に深く感謝し、身体を大切に健康管理に気をつけること」

栄養のある身体によい食事を摂ることは、身体を強くし身体のあらゆる機能も順調に良く働くようになるのです。

無添加の穀類やオーガニック野菜、ホルモンや抗生物質を含まない肉類、オーガニック乳製品、種やナッツ類、ミネラルウオーター などを身体に摂り入れてあげるような食事に気を配ることが健康管理には重要です。


「LIFE is TODAY. 生きるということは、今日の今目の前の瞬間のことなんだ。」

テレビの前に居る時間を減らし、インターネットをする時間を減らし、携帯電話を使う時間を減らし、

愛する人と大切な人と一緒に過ごす時間を増やそう。 

そしてその愛する人たちと過ごすかけがえのない時間の為に、愛する人たちの為に、自分の身体を命を大切にしようよ。




この4年間、僕は人間の身体にとっては最も害毒であると言われている薬を投与し続けています。

つい最近僕の身体に投与されたものは、僕にとってはこれで4種類目の抗がん剤で、3つの新しい薬成分を含む最新の抗がん剤です。


4年前に癌の診断を受けた時点で、すでにステージ4(4段階中の最悪のレベル)で、1年生きられないと言われました。

僕は愛する妻と幼い子供の為に、なんとしてでも戦って生きると決めました。

それから4年経った今、僕は生きており、生きていることを最大限に楽しみ、気持ちは元気満々です。


今日、僕はここカリフォルニアの海で最高に幸せです。

そして今日という瞬間に生きていることを神様に心から感謝します。


明日もまた風が吹くといいな。 

予報は上々、僕はいつでも海へ行ける態勢!

fedeinmag
 


fedeinmag2



去年2010年6月マウイ島カナハでフェデリコと。
(左から:私の主人、ちょうど日本からマウイを訪れていたテリーさん、フェデリコ、私)
fedeinkanaha



       


フェデリコのことを書いたブログアーカイブ

Now & Today 今を生きる今日1日を生きる http://mauiwind.livedoor.biz/archives/285695.html

One Foot on Sand いつもあの砂浜で(のつづき)http://mauiwind.livedoor.biz/archives/1412956.html

Summer Sunset 夏のマウイサンセット http://mauiwind.livedoor.biz/archives/1447576.html


フェデリコのブログ(英語とスペイン語のみ)  http://vivoalive.blogspot.com/

フェデリコのブログの日本語訳: http://www.mauiwindsurfcompany.com/jp/jfede.php

 


フェデリコの記事への感想やフェデリコへの応援メッセージがありましたら、ぜひお送りいただけるとうれしいです。
上記のフェデリコ本人のブログ(英語とスペイン語のみ)へ英語またはスペイン語で投稿されるかまたは、
このブログのコメント欄へ日本語でご投稿下さい。英語に通訳して本人へ転送します。


 


LIVING -  今日、誰かの為にできること。。。

コスコ( Costco ) に買い物に行きました。
アメリカサイズの大型スーパーマーケットよりもさらに大きな店舗内、会員制卸し売り価格の巨大倉庫なので、例えばトイレットペーパー36ロール入り、ティッシュペーパー8ケース入り、パンは2斤まとめ買い、水ボトル36本入りケース、缶詰24個入りケースといった具合に、一度にボリューム買いをしなければいけない代わりに1つあたりの単価は最終的には非常に安いというシステムです。

巨大倉庫店舗内には有り余るほどの食糧が並んでいます。調理をしなくてもすぐに食べられるパンやスナックに野菜類果物類、すでに調理がされているチキンやピザ、解凍さえすれば食べられるもの、開ければすぐに食べられる缶詰類、水、赤ちゃんのオムツやミルク、暖かい毛布やクッションも。。。

閉店間際の遅い時間、買い物客も少なくゆっくりと立ち止まる余裕のある店内、あふれそうなほどの食糧に圧倒されそうになりながら、暖めるだけですぐに食べられるスープが並んだ棚の前で泣きたくなりました。

「おねがい、誰かこの店舗ごと今すぐ被災地へ持って行って。。。 この店舗ひとつなくなったって、今マウイは困らない。。。それより今物資が足りていない人々がどれだけ助かることか。。。」

今まで何とも思っていなかったコスコの中のものすごい量の物資に激しい違和感を感じ、いつもなら「安いから買っておこう」と手にしていたものも買うことをためらい、最低限今必要なものだけを「すみません、買わせていただきます」と半ば申し訳ないような気持ちさえも少し感じながら買ってきました。

 

自分だけ今普通の生活をしていていいのかな、、、今すぐ私ができることは何?、、、答えがでずにあせり悩みます。

 

友達のマリアがとても悪そうに小さな声で電話をしてきました。

「ヨウコの家族や友達は大丈夫??? 主人はこんな時に電話なんかして聞くなって何度も私に言うんだけど、心配で我慢できないし、日本人が大好きだし、私は女だから男とは感性が違うし、イタリア系とスペイン系の血がはいっているからだまっていることができないの。 今主人がいなくなったから、電話しちゃった。。。」

いつもは気軽に電話をしあう仲なのに、この電話を私にする為に、かなりの時間私の心中を想像したりいろいろと考え巡らしたであろうことはその声の様子から容易に想像でき、逆になんかかわいそうになってしまったと同時にこんなに私のことを日本のことを気にかけ心を寄せてくれる友達が傍にいることに、私は感謝し心はとても暖かくなりました。

 

8時間後にハワイに到達した津波警報により夜10時から午前2時過ぎまでの1時間おきのサイレンを聞きながら、テレビニュースとラジオをつけて徹夜した日の朝、ステファンが寝起き声で電話してきました。「昨日は疲れて早くに寝ちゃったんだけど、朝起きたら大変なことになってて。。。。ヨウコの家族大丈夫??? マサトは???」

その後、ウインドサーフショップで会っていつもより長いハグ(愛情をこめて抱きしめる挨拶)をしてくれたステファンの目は、日本にいるたくさんの友達(ショップで会ったお客さんたち)とその国に心を寄せ、泣いていました。

 

ニナとは言葉をしばらくかわさないままの長い長いハグ(愛情をこめて抱きしめる挨拶)、でもニナの感情は十分すぎるほど伝わってきて、これ以上ハグしてたら泣いちゃうなっていう位暖かく、行きつけのワイルクのレストランの店長とおかみさんは私の家族や友達は大丈夫かと安否を気遣ってくれ、命は大丈夫だけどたくさん不便をしていると言ったら、おかみさんは何も言わずに私の手をとってしばらく握っていてくれました。

 

沿岸部より山のほうへ避難していて徹夜だった写真家のニコルとは、その夜「眠いね、疲れたね」などと言い合いながらもショックと心の痛みを慰め合うかのようにE-mailでチャットし、仕事で毎日のように電話で話しているウエンディは「今、私の心と祈りはすべて日本の為に捧げているわ」と言います。

今はアメリカ本土に住んでいる親友キャシーは、カトリック系クリスチャンです。キャシーは言いました。

「毎日毎日、日本の為に祈っているわ。私がキリスト教徒であるとかないとかはもはや関係ないの、私は地球上のすべての宗教の神様とユニバーサル(宇宙)の神様に祈るのよ。」

 

なんてみんな暖かく優しいんだろう。。。

人間を支えてくれるのはいつも人間です。

 

何をしていいかわからなくなったら、

今日1日の枠の中で、自分ができることに集中しよう。

自分の為にではなく、人の為に自分ができること。


あまりに日常で忘れてしまいがちだけど(更には疲れた〜めんどくさ〜いとさえ思う事も時々あるけれど)、家族にご飯をつくるのも、子供を送り迎えするのも、人の為。
今日会った人に笑顔でいるのも、人に道を譲るのも、人の為。
目の前にいるお客さんの為に、一生懸命働くのも、人の為。 

生きている限りは、自分は人に支えられ、そして人を助けるのが、生きているということなのかもしれないな。。。

だから今日、自分ができることをしよう。



昨日、マウイへの旅行者のご夫婦でサーフィンのレッスンをしている間、その赤ちゃんをベビーシッターしました。ベビーシッターのお仕事が終わり、私は WholeFoodsにランチを買いにいったら、American Red Crossの日本への募金箱がすべてのレジに並んでいました。 なんだかそのタイミングに日本へ渡る募金箱が目の前にあったことがすごくうれしく、「おっ、今この瞬間私にできることがあるぜよ〜」と思って、募金しました。 その日働く事ができた私、私に働く機会を与えてくれたご夫婦、そしてまだこの世に生まれて8ヶ月の赤ちゃん、アナタの存在があったから、私、日本の為に何かができたよ。

 

さて、あと今日私ができることは、昨日8日ぶりに水が来たと言っていた茨城の義父に「気持ちのいいお風呂にはいれたかどうか」E-mailして確認しよう。

あとは、娘のレイが Jamba Juiceの店内に書いてあったと言ってたんだけど、携帯電話で指定の番号にテキストメッセージを送ると自動的に電話会社の請求書から$10が引き落とされて日本へ募金されるそうなので、それもやっておこう。

あと、今日私ができること、、、、できることというか「本日の重大な任務」です、これは。。。
息子のカイの高校へ、モロカイ島の高校生がバレーボールの試合をしに遠征にやってきます。今夜のモロカイボーイズたちの宿舎はうちの高校の体育館(柔道場)、よって夜ご飯はうちの高校チームの親達で持ち寄り、だから早く帰ってモロカイボーイズの為に、メシ炊きです、メシ炊き!

 

(注釈:島間で遠征試合するときは、高校の体育館に宿泊が定番、宿泊費無料夕食込み!) 
ブログアーカイブ: http://mauiwind.livedoor.biz/archives/1047077.html
GIVING - 遠征試合、そのときの歓迎ともてなし)

 

sunrise

マウイの夜明け
(ハレアカラとアップカントリーへの道。
カフルイ空港より撮影) 

(拡大写真はクリック)

 

rbow

マウイはしょっちゅう虹がでるよ〜

(拡大写真はクリック)

 



sunset
マウイのサンセット、山と海へ沈む夕日
(アップカントリーのクラより撮影)





オマケ:
カナハビーチへ行く道、津波で上陸してしまった海ガメが消防隊にレスキューされたところ。A4J logo 
Aloha for Japan
ハワイでは地震津波災害による日本復興をサポートする為の基金集め活動キャンペーンが発足しています。
American Red Cross アメリカ赤十字ハワイ支部 と Japan-America Society of Hawaii を通して、アロハが日本へ届きます。  http://www.alohaforjapan.com/press-01.html

Summer Sunset - 夏のマウイサンセット

サンライズ 午前5時47分
サンセット 午後7時11分

マウイは夏真っ盛り、
夕方5時でも太陽はまだ斜め45度以上西の空高く、日が長いので外で遊べる時間が長く、トレードウインドは毎日吹き、海は暖かく、大好きな季節です。

マウイの学校は5月末からすでに夏休みにはいっていますので、パイアベイあたりではボディーボードを抱えたローカルの子供たちも昼間からたくさん出没しています。

ウインドサーフィンのスポットであるカナハビーチパークはコンディションの安定する午後1時頃からウインドサーファー達が出艇しはじめ、午後はウインドサーフィン天国です。

仕事を一段落し、子供たちをバスケットの練習場所であるアップカントリーの体育館に降ろしてから、やっと午後4時頃カナハへ行きました。 
日はまだ高く、風もまだガンガン吹いています。


マウイを訪れている友達のフェデリコ(前回のブログ参照)を見つけました。弟のマリアーノと友達のルーシーも一緒です。

「Yoko, it is nice to see you here.  I am so happy to be here.  Did you go out ?  やあ、ようこ、会えてうれしいよ。僕もここにまた来れて幸せだよ。海でたの?(ウインドサーフィンした?)」

「今、来たばかり。これからでようかな〜と思って」

 

カナハに来たときはいつでも、今日も海はきれいだな〜と目と脳と全身とでまずはその日の海を十分に堪能します。

海の青さを目に焼きつけて、風と戯れるウインドサーファーたちの鼓動を感じて、潮風を身体中いっぱい吸い込んで、その日の海の空気に馴染んでから、「さて、やりますかっ!」といった具合に道具をセットして海へでます。 海では風も水も波もすべてのものが絶えず動いて生きていて、その中に自分の身体が溶け込んで協和していく時間は至福の瞬間です。

「協和」=互いに心をあわせて仲良くすることという意味ですが、まさに心をあわせてという安心感に、飾る言葉なく「海って気持ちいい〜、海大好き!」と叫びたくなります。


海を見ながらフェデリコやほかのウインドサーファーらと会話をしていたらすでに午後5時を過ぎてしまいました。 多くのウインドサーファーたちは夕食時間が気になるかのようにほとんど一斉に陸にあがって片付け始めており、人の少なくなった海は大きく広々とした空間になっています。

風はもったいないほどにまだ吹いています。 インサイドでチョロチョロとやっている私のまわりにはほとんど誰もいません。沖の波の立っているところには緑と赤色のゴヤセイル4つが親指程度に小さく見えており、マサトとフェデリコたちの4人だということがすぐにわかります。

自分ひとりだったらこんな遅い時間からはリスクがあってやらないけれど、今日はみんながいるので安心してでられます。 シャバシャバと心地よい音をたてて海面を沖に向かって滑走していると、西に傾いた太陽の光が海面と自分のセイルに反射しキラキラ光っていてとてもとてもきれいです。 
海はやっぱり気持ちい〜な〜

風がおちてきたのと、そろそろ帰宅するであろう子供たちの夕食の準備が気になったので、海からあがりました。

急いでバタバタと片付けはじめていたら、息子のカイから携帯にメッサージがはいっていることに気づきました。
「バスケットボールキャンプで配ったピザがたくさん余っていて、大きなピザ3枚もらったから、夕食の準備はしなくていいよ」

 

急いで帰らなくてもよくなったのでビーチに戻ると、誰もいなくなった海でま〜だしつこく海面を滑走しているセイルが2つ(もうこの時点で、ウインドサーフィンをしているヤツは本当の本当にこの2人=マサトとフェデリコのみ)、夕闇に向かう海面をまるで追いかけっこしているように並走しながら、インサイドの海を行ったり来たりしています。

昼間強く吹いていた風はだいぶ落ちておりセイルでやっとつかめるほどに穏やかです。
人がいなくなった静かなビーチでは、2人が海面を滑走する音がはっきりと聞こえます。

さっきまで青かったはずの西マウイマウンテンの背景の空が明るいパステルオレンジに変わり、山の影から強く光を空へ放ちはじめ、やがて西の山の夕日は突然加速しはじめたかのように1分ごとに色を濃くしながら傾き始めました。

そこにあるすべての景色を包み込んでいくあまりにも優しい夕方の光の中で、2人のウインドサーファーと海、風、波、空気、夕日が心をあわせて仲良くしているのがはっきりと私の目に映りました。ゆっくりと流れていたその時間その瞬間、私たち3人は世界で一番幸せを感じていました。



sunsetsail「マウイで過ごした7日間は夢のようだったよ。 マウイの植物の匂い、マウイの自然の美しさ、マウイの色、そして何と言ってものんびりとリラックスしたアイランドスタイルはやっぱり最高だよ。 カリフォルニアより愛をこめて、フェデより。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

One Foot on Sand - いつもあの砂浜で。。。(のつづき)

(2009年12月にお客さまへお送りしたクリスマスメールの一部抜粋、そしてその ”続き” です)

(以前にブログにも書いたことのある私の大切な友達、ウインドサーフカンパニーで長い間働いていたフェデリコは、癌の治療の為2007年夏にカリフォルニアへ引っ越し、2008年3月に一度完全に消えて治癒した癌が、2009年春にまた再発してしまい、今もまだ癌治療を続けながら気分のいい時にはサーフィンをしたりウインドサーフィンをしたり小さな娘と息子の面倒を見て、神様を信じ生きています。)
ブログアーカイブ(今を生きる、今日1日を生きる):http://mauiwind.livedoor.biz/archives/285695.html


ある日、私が海で気持ちよくぼーっとしていたら、まるでフェデリコもその時この場所に来たいと思ったのかどうかはわかりませんが、私の携帯がなりフェデリコのなつかしい声を聞きました。

「ヨウコ? メールくれたから電話しようと思って。。。元気?」

「フェデリコにプレゼントしようかなっと思ったCDがあったんだけど、Justin Kawika Young知ってる?」

「知らないよ。その人ハワイのミュージシャン?」

「そう、ハワイ育ちのばりばりのハワイアン、でも今はカリフォルニアにいるんだけど、ハワイが恋しいっていう歌をたくさん唄ってるのよ」

「そうなんだ。。。なんか僕みたいだな。。。」

 

One Foot on Sand というタイトルの歌ですが、日本語に直訳すると 片足は砂の上(???) 歌の意味も含めて私なりにかっこよく訳してみると、”My Home - いつもあの砂浜で といったところでしょうか。。。
数年前にローカルラジオステーションでかかりまくった歌です。

車の窓を開けてボリュームやや大きめでこの曲を聞いていたら、信号待ちで、2車線隣の車の人がニコニコしながら手を振ってきました。(Justinの親戚かも。。。?)
この曲グッドだよね〜とお互い手話で会話しました。

自分を育ててくれた大地と深い愛情でつながれているハワイアンボーイの心が感じられる歌ですが、

ハワイの地に感謝する気持ちやハワイに惹き付けられてまた戻ってきたくなる気持ちは、一度でもハワイを訪れたことのある人は誰でも同じような気がします。

*********************

ひとり風に吹かれ、自由を求めて新しい場所へやってきた

だけど僕の心のどこかではいつも遥か遠くのあの場所を見ている

新しい世界が広がり、ここには可能性がたくさんある

今まで知らなかったたくさんのものが見える

だけど夜はすごく冷たくて寂しい

時々僕の目は心に馴染んだ景色を探している

遥か遠く海の彼方のあの島を見つめている

心のどこかで、僕はいつもあの場所を歩いているんだ

 

クリスマスにこの場所に帰ってきた

暖かい海に、知り尽くした馴染みのこの場所に

天国のようなこの場所に、感謝の気持ちがこみあげてくる

うれしくてうれしくてしょうがない

ここはいつまでも変わらない

 

遠すぎて忘れてしまったり、自分が見えなくなってしまうことも時々あるけれど、

心のどこかで、僕はいつもこの場所を歩いている

そこはこの暖かい砂浜なんだ

どこにいても、心のどこかで僕は確実にいつもこの場所にいるんだ

僕が心から愛するこのハワイの地に。

One Foot on Sandの歌詞を、日本語でわかりやすく意訳しました by Yoko

*********************

windypalm25月は卒業式シーズンです。

ハワイ大学(マウイ校)でマスターコースを卒業したバレーボールのコーチの卒業式、高校でハワイ語コースを修了した友達の純ハワイアン卒業式、高校のフットボール競技場で行われる高校の卒業式へは卒業してしまうバスケットやバレーボールの仲間や友達(先輩)を祝いにと、卒業式ウイークでした。

ハワイで高校を卒業した後の進学先は、ハワイ州内の大学に行くか、または、メインランド(アメリカ本土)の大学へ行くかで大きく別れることになります。 ハワイで育った人にとっては、メインランドへ行く事は、ハワイ文化とはまったく違った場所での暮らしのチャレンジです。 たまたまハワイもメインランドもアメリカという同じ国の同じ言語ですが、環境も価値観も生活のスピードも一部の食べ物も違います。 それでもそこに自分のめざすもの(行きたい大学、やりたいことがある大学)があれば、ハワイの若者はメインランドへ旅立っていくわけです。

ハワイで育ってハワイを離れたことのある人、いままさにハワイを離れてメインランドにいる人は、この One Foot on Sand の歌を聞くと、ハワイへの愛着や恋しさに共感し泣けてしまうそうです。

自分の夢をかなえるには、小さな片田舎ハワイではなく、多くの可能性やチャンスがあるメインランドでなければいけないんだという気持ちと、慣れ親しんだ大好きなハワイにいたいという気持ち、このジレンマとの狭間にいる複雑な気持ちは、ハワイを離れてメインランドにいる人にとっては誰でもが感じるそうです。 でもどこで何をしていても、ハワイが育ててくれた自分はいつまでも永遠にハワイアンボーイのままサ、というテーマの歌です。 
この歌のアルバムのジャケットがまた最高にかっこよくうまくできており、
" Hollywood "(ハリウッド)と書かれた山を背景に、ギターを抱えてロスアンゼルスの町並みを歩くジャスティンの後ろ姿、そのTシャツの背中には”808”と書かれ、ジャスティンの歩いている部分だけ砂浜(そこ以外は舗装道路)になっているのです。
ちなみに808は、ハワイのエリアコード(電話の市外局番)。

 

癌の治療の為にロスアンゼルスに引っ越してしまったフェデリコと奥さんのマーシー、このアルバムをとても気に入ってくれました。たぶん、ハワイへの恋しさに共感し、泣けてしまったんだと思います。


5日前に " I am GOING !  マウイに行くよ!" というメールをフェデリコから受け取り、そして今日(5/30)、マウイ島のホキーパの海にフェデリコはいました。

昨日まで約2週間ほど波が消えて平水面だったホキーパが、今日は迫力のある波が思いっきりはいっています。 まるでフェデリコがマウイに帰ってくるのにあわせて波がやってきて歓迎しているかのよう。。。 強いトレードウインドもはいっていて、久しぶりに最高のウエイブコンディション、当然のことながらフランシスコゴヤをはじめマウイに居るホキーパセイラーたぶんほとんど全員そこにいました。 (マウイの風波コンディションと、ウインドサーファーの行動パターンは、まったく本当にわかりやすいです)

Hookipa5-2いきなりこんな最高のコンディションじゃ、フェデリコ海にでっぱなしで岸になんて帰ってこないだろ〜な〜と思いながら、強風でとんでくる砂を顔でバチバチと受けながら、なんとか海上のフェデリコを確認しようと目を凝らして海を見ていたら、"Yoko, Yoko, ヨーコ!"と聞こえた気がしました。振り返ったら、友達に借りたであろうオンボロのトラックの横でフェデリコがニコニコして手を振っていました。


「マウイの空港はまったく最高だよ。なんでこんなに空気も人もメロウなんだ。マウイの空港に着くと、花の匂いっていうのかなんて言うのか、マウイの匂いがするんだよ。 それでもって、ハナハイウエイを車で走っただけでもうトロけそうだよ。。。。」と、いつものごとくフェデリコがどんなにマウイに惚れているかという話がはじまりました。

 

私には、フェデリコが着ているTシャツのその奥に、
”808” と書いてあったように見えました。

Hookipa5-1
5/30
波がはいる!

( at Hookipa )

 

 

 

 

 

Blue MOON - 同じ空の下で

1/29の今日マウイは満月です。

夜車を運転していたら、パームツリーの影で真っ白な月が力強く光っていて、雨上がりで空気が澄んでいたせいか月の表面の模様がはっきりと見える位視界がクリアで、そしてその隣には月の光に負けない位明るくまたたいている一番星がいます。思わず車を停めてしばらく見上げていました。

隣で息子のカイが叫んでいます。"Mom, it's just a Moon, let's go home, I am hungry."(ただの月だよ〜、お腹へって死にそうだから早く行こうよ〜)バスケットボールの練習の後だから仕方ありません。 しかし、とても立ち去りがたいほど美しくて、誰かにも一緒に見てほしくて、家に帰ってからもう一度外にでてひとりで月あかりの空を見上げました。

そういえば日本にいる友達が新年早々に「元旦はとてもきれいな満月で、娘と一緒に空を見上げて写真を撮りました」と言っていました。 マウイでは大晦日12月31日が満月で、満月の月明かりの下で年越し花火をしていました。

bluemoonマウイでは12/2が満月で、そして同じ月の12/31にまた満月だったので、2回目の月(12/31の月)はブルームーンでした。たまに周期の関係で1ヶ月に2回満月が訪れる月があり、月に2回目の満月はブルームーンと呼ぶそうです。学校で聞いてきた娘に教えてもらいました。 こんなに長く(?)生きているのに、今の今まで知らなかったなんて。。。世の中は自分の知っていることよりもはるかに知らないことのほうが多いので、人の話を聞く事と興味のあることはなんでもやってみるということはとても重要です。

なぜブルームーンと呼ぶか、Once in a blue moonという英語の慣用句から来ており、「めったにないこと」という意味だそうです。(勉強家の友達が調べてくれました、ありがとう)

ハワイは日本より時差で1日遅れです。

だから12/31ハワイで満月 = 1/1日本で満月 ということになります。

満月って世界中のどこで見ても同時に満月なの??? 見る場所によって形が違うのかと思ってた。。。と私の勉強家の友達はかわいらしいことを言っていましたが、、、同じ満月が世界で同じ時に見られるということを初めて意識しました。

ということは、私が見ているこの同じ月を、ハワイから離れた日本で、アメリカ本土で、ヨーロッパでもきっと見ているということ。ある一時期に同じ場所で一緒に笑っていた友達、でも今は離れた場所に居る大好きな人たちも、私がきれいだな〜と見上げている同じ月をきっと見ていると思います。 もしかしたら忙しくて月を見上げる暇もない友達もいるかもしれないけれど、きっと月にはそんな人の姿も写っていると思います。

そして今日1/29ハワイで満月、日本は1/30に満月(1/1にも満月だったから)ブルームーンです。

ブルームーンに願いごとをすると叶うと言っている人もいたけれど、あまりにきれいな満月で願いごとをすることなんて忘れてしまいます。
自分の願いごとをするよりもむしろ、「今離れた場所に居る友達や大好きな人もきっとこの満月見てるだろうな〜」と遠く離れている人のことを思い出し、その人たちと一緒に居るような気分になれることのほうが楽しいような気がします。

月を見上げていると、空がつながっているように、同じ空の下で生きている人ともつながっているように感じ、心暖かく元気がわいてきます。


bluew
こちらはブルームーンではなく、
ブルーウオーターです。 

(マウイ島ホキーパ)

 

 

GIVING - 遠征試合、そのときの歓迎ともてなし

今のこの世の中でも、タダで寝泊まり食事つき!

息子のカイ(14歳)はマウイ島の高校のバスケットボールチームにいます。

マウイ島にはパブリックスクール(公立)の高校が5校、プライベートスクール(私立)の高校が4校あります。

そしてマウイ島の隣の小さな島モロカイ島とラナイ島に1校づつあります。マウイ島/モロカイ島/ラナイ島の3島は同じ政治区域の為、いわゆる地区リーグはこの中で行われます。さらに正確に説明してしまうと、本戦では学校の生徒数の大きさに基づいて1部リーグと2部リーグに分かれて、そのリーグ内で戦います。

シーズン中は練習試合、本番試合、トーナメントと何戦も試合があり、陸続きではないモロカイ島とラナイ島については泊まりがけで移動しなければならないのでこれはもうすっかり遠征ということになります。

このような近場遠征する時の宿泊先は、試合をする体育館です。シーズン中お互い行ったり来たり、ホテルはまったくもって不要です。

体育館には温水シャワーもロッカールームもトイレも完備しており、スペースは広々としているから何人いても全員で1室(?)だし、なんの不便もありません。各自寝袋持参で、宿泊料は完全無料!

バスケットの試合はたいがい夕方から夜にかけて行われます。

モロカイ島チームが、マウイに遠征にきた時はカイの高校の体育館に宿泊しました。

カイの高校はホスト(受け入れ高校)として、その日は各家庭より食べ物を持ち寄り、試合が終わった後、体育館で両チーム集まり一緒に食べます。持ち寄りパーティのことを英語ではPot Luck Partyといいますが、私のこの日の担当はRice(白飯)、大きな炊飯器で炊いたご飯を炊飯器ごと持っていくだけで、そのほか持ち寄りで集まった10種類以上の食べ物をいただけるのですから、みんなの力をあわせるとスゴイ、今日の晩ご飯は超豪華版といったところです。 チキンや牛肉と野菜のソテーや、春巻きやサラダ、焼きそばのようなヌードル類に、チャーハン、ピザ、そしてクッキーやチョコレートブラウニーなどのデザート、アイスボックスにはよく冷えたコーラやジュース。

遠征しに来ているチームにとってはこれほどありがたいことはありません。 試合後のリフレッシュと腹ごしらえの為に団体でマクドナルドやレストランまででかけていかなくてもいいし、お金もつかわなくていいし、なによりも美味しい手作りのものが食べられるというのは、本当にありがたいことです。

”モロカイボーイズって聞いただけで、あいつら、すっごい食べそうだ!”なんて思いながら、かなり多めにご飯を炊いてきました。
案の定、選手たちは皆うれしそうにガツガツ食べています。 用意した食事をそんなふうに食べてくれると、なんだかとってもうれしいんだな〜。

ホストにとっては、遠征に来ている対戦相手チームへの最高の歓迎ともてなし、ここまで試合にきてくれてありがとうといった感謝がそこにはあります。自分の家に友達を招待してごちそうしているのと同じです。 ”同じ釜の飯”を分け合うことほど、友好関係の証はありません。

カイの高校は昨シーズンは1度だけラナイ島へ1泊で遠征にでかけました。 ラナイ島はとてもとても小さな島で、ラナイシティという町にお店とローカルの住居があるだけです。学校は幼稚園から高校まで同じ場所で1校だけ、よって体育館というものも島には1つだけ。その体育館で夜行われた練習試合には、ラナイ島の住民全員が見に来ているのではないかという位体育館はラナイ島民でうめつくされて大騒ぎ、その空気の中、カイの高校はコーチ4人とプレイヤー12人だけでほとんど捕虜状態です。試合を終えた後、そこでもラナイ高校の持ち寄りパーティでごちそうになり(すっごく美味しかった!とカイは大満足していました)、体育館寝袋お泊まりでした。翌日マウイに帰るだけだった為、朝4時まで体育館の中でかくれんぼ&鬼ごっこをやっていたそうです。アシスタントコーチ3人は思いっきり寝ており、ヘッドコーチは責任感が強く、皆が悪さをしないようにずっと見張っていたとのことでした。

 

スポーツはチームメートやコーチ、サポーターがいないと試合ができません。

スポーツは対戦相手がいないと試合ができません。

寝袋もって遠征試合、
体育館を宿泊施設として提供したりされたり、
食事を用意したりされたり。

自分のできる小さなことをするだけで、与えて与えられて平和になる、ここにはギブアンドテイク(Give and Take. =与えた代わりに得る)ではなく、ギブアンドギブ(Give and Give=与え続ける)の精神がいっぱいです。

ハワイの古人の言葉にこういうのがありました。

Giving....

What I gave, I have;

What I spent, I had:

What I kept, I lost.

私が何かを与える(してあげる)ことができるのは、あなた(与える相手)が今ここにいるから。



foot


(私なりの英文の意訳)

 私が与えたもの(してあげたこと)は、今も私の心に誰かの心に、どこかに生き続けている。

私が費やしたモノは過去に持っていただけで今はどこにもない。
私が所有していたモノは今はどこにあるかさえもわからない。

 

 

 

 

 

Now and Today : 今を生きる、今日1日を生きる

2009年1月、フェデがマウイに戻ってきました。
ガンだと診断される前のフェデよりもずっと元気になって戻ってきました。
もともと明るくおおらかな人柄でしたが、さらに明るくなって私たちの居るマウイへ戻ってきました。


2007年夏、友達のフェデは食道ガンの治療の為、大好きなマウイを離れなければならなくなりました。

マウイの病院でガンだと診断されてから、2週間でばたばたと引っ越しをして突然私たちの前からいなくなってしまいました。カリフォルニアのガン専門の病院で治療に専念する為です。その時点で、食道だけでなく肺と肝臓へも転移しており、進行度は4段階中最悪の4、治癒する可能性は1%だと医者に宣告されました。

その後2007年夏より抗がん剤治療と自身でも食事に気をつけるなどの自然的治癒療法を初め、2008年3月の検査で奇跡的にガン細胞がほとんどすべて消えてなくなりました。その後も医者の指示により抗がん剤治療は続けており、3ヶ月に1度の定期検査を行っています。

  
ガン、転移、生存率1%と聞いた時点で、私たちを含む誰もが”絶望”に近いショックを受けました。

当の本人もその家族も最初のショックは計り知れません。もし自分だったら、そんなことを受け入れることができるのかどうかも想像がつきません。頭が混乱しすぎてパニックになってしまうと思います。

本人はこんな重大なことになっているとは想像もしていなかった為に、軽い気持ちで1人で病院へ検査結果を聞きに行き、そこでガンだと宣告されました。 

涙をこらえ混乱した状態で病院をでたフェデは、思わず青く雲ひとつない澄みきった空を見上げ、太陽の暖かさを瞼と頬全体で感じ、髪の毛をゆらす潮風を全身で大きく吸い込み、あまりにも美しく晴れ渡ったマウイの空気にしばし陶酔し、その瞬間心から神様に感謝しました。その美しいマウイの自然と、今ここに生かされている自分の存在、そして自分とともに生きている家族の存在に心から感謝しました。 

今ここに生きていること、そして家族がいることに感謝をし、神様にひとつだけ強くお願いをしました。”どうか妻と一緒に2人の小さな子供たちを育てあげることのできる可能性を私に下さい。どうか私をこのまま逝かせないで下さい。”

その後も、神様は必ず力を貸してくれる、必ずこの病気は治ると信じ、祈りつづけ、感謝をしつづけました。

検査結果、医者が告げる生存率、財政的な困難など、未知のことやこれからの将来のことへの不安に震える家族を精神的に支えるきっかけをつくったのもフェデ本人だったようです。

”今日の今この瞬間ここに家族と一緒に居ることに感謝している。6ヶ月先のことを毎日毎日心配しながら生きることで、今のこの瞬間成長している子供たちと一緒に居られるこの時間を無駄にしたくない。”

フェデは、ガンと宣告され、”今日この瞬間を生きる”と決めてから少なくとも1年6ヶ月は経ちました。 

フェデは ”大好きなマウイで大好きな仕事はできなくなってしまったけれど、子供と一緒にたくさん時間を過ごすことのできたこの1年半はお金では買うことのできない貴重な時間だった。こんな時間をくれた神様に感謝している”と言います。

生存率1%と宣告された事実は、今のこの瞬間においては生存率100%という事実に変わっています。

毎日毎日先の心配をしながら生きることもできるし、毎日毎日その日生きていることに感謝し楽しく穏やかに1日を過ごすこともできます。 どちらの方法で生きても、毎日のように日は昇り日は沈み時間が経っていきます。 

そして例えば1年6ヶ月経ったときに、1年6ヶ月前に心配したり恐れていたことがひとつも起こっていなかったとしたら、毎日何かに心配しつづけ不安におののきながら生きてきた時間は本当に無駄です。

先のことなんて誰にもわからないし、逆に100%保証された将来というものもありません。そのときそのときの状況は自分の望むような方向にすぐに解決しないこともたくさんあるけれども、時間とともに状況は必ず変わります。

でも今目の前にある時間の使い方は自分が選ぶことができます。

心配して恐怖にさいなまれていても、楽しく過ごしていたとしても、確実に同じ速度で時間は経っていきます。

だったら今日のこの日に自分ができることに集中し、今日を楽しく生きるというほうがいい。そんなこと言ったって苦しいし気分は滅入ってるし無理無理、そんなことできないとあきらめないで、”とりあえず今日1日”だけがんばってみよう。 1週間じゃなくて、たったの今日1日だけなんだからなんとかがんばれるよ。 自分にできることをする、なんでもいい。仕事でも遊びでもいいからとにかくできることを楽しく忙しくやる、今日1日だけ。


hookipa1フェデは自分がどんなにマウイが好きかということを、トクトクと私に語り続けます。マウイの自然の美しさやマウイローカルの人たちの優しさ、マウイにいるだけでどんなに身体も心も気持ちいいかなどを、まるでほかに代わる人がいないほど身が引き裂かれるほどに惚れ込んでしまっている最愛の恋人のことでも語るかのように、気持ちを高ぶらせ泣きそうになりながら私に訴えるので、私は ”またすぐマウイに引っ越してきたら!?”と ”未来的”願望を言ってしまいました。フェデは、ニコニコしながら言いました。”僕は今のこの瞬間マウイに居るからそれだけで最高に幸せだよ。見て、少なくとも今日は間違いなくマウイに住んでいるよ!!”

(追記)

==もし自分がすぐに受け入れられないような苦しい状況が起こってしまったら、思い出そう。===

ACCEPT : 状況を受け入れよう。起こってしまった状況は変えることができない。

FOCUS : 今日1日を生きる。今自分ができることに集中し、今日1日生きることに集中する。

CHANGE : 状況は時間とともに必ず変わる。

HOPE : 感謝とともに奇跡は必ず起こりつづける。

Human - 人間はみな友達

私の息子(14歳)のカイのバスケットボールリーグ、今回のチームにはカイのひとつ年上の大きな女の子(名前はターシャ)がいます。

9人の男の子の中でただ1人の女の子、もちろん今回初対面のメンバーもいる中、ターシャは初めからみんなにとてもフレンドリーでいつもからだ中から笑顔をふりまいており、カイとももう10年来の友達なのではないかと思うほどうちとけて仲良くしています。 普通は初対面のときというのは必ずお互い無言の探り合いみたいな時間があって、完全にうちとけあうのに少し時間がかかるものですが、ターシャは最初からとてもリラックスして全員となじんでいました。そんな素朴で無邪気で”人間が大好き”みたいなオーラと笑顔をふりまいているターシャはとてもかわいく、いままでこんなかわいい女の子はいなかったな〜、またすぐ会いたいな〜とさえ思うほど”気になる女の子”(ただ無性にそのあふれでているオーラに惹かれるのです)でした。驚いたことに、この点は私のダンナもまったく私に同感していました。
 

シーズンが終わりに近づき、私はコーチに渡す感謝の贈り物を購入するべく、各プレイヤーから1人10ドルづつお金を集めていました。 
ターシャに ”10ドル持ってきた?”と聞きにいくと、ターシャが隣にいる女性に向かって、"Mom, Ten Dollars !"(お母さん、10ドル!)と手を出しています。 ターシャがMomと言ったその人は、練習も含めて約2ヶ月間続いていたこのリーグで、その日初めて姿を現しました。 いつもターシャにはお父さんがついてきていたので、その人がお母さんだということはその瞬間に初めて認識しました。

ターシャのママはその日、バスケットボール試合会場にはとても場違いなテニスウエアを着て、サンバイザーをかぶり、妙にとても目立っています。

その1週間後、最後の試合(2008/7/12)が終わったあとに私がそそくさとポットラックパーティ(Pot Luck = 食べ物持ちよりパーティのことです)の場所確保をしていると、ターシャのママ(名前はサオと言います)は私に近寄ってきて、何の前触れもなく突然テニストーナメントのパンフレットを見せながら、”見て、見て、ここに私が載っているのよ。私このあいだのトーナメントで優勝したのよ!” と自分のテニス話を唐突にすごく楽しそうに始めました。

サオとは前の週10ドル集金時に一言会話をしただけで、その日は会ってからまだ2度目。にもかかわらず、いきなり私の家のドアを呼び鈴もならさずに勝手にあけてズカズカとはいってきたような突然訪問攻撃にすごくびっくりしている私は、話を聞きながらも”私とこの人ってこんな親しかったっけ? この人、私のことを誰かほかの人と勘違いしているんじゃないかな〜”などと考えながらここはどういう風に反応するべきかを緊急で探っている状態です。その突然訪問攻撃は、”初対面からこの人馴れ馴れしくて失礼な人だな〜”と思ってしまうかもしれないヤバイ境界線を超える半歩手前位でウロウロしています。 こういうタイプの人はけっこうマウイにはよくいるので慣れているつもりなのですが、経験的にハワイアンではなさそうです。フィリピン人は初対面はシャイだし、トンガ人もありがちだけど違うような気もするしな〜、でも絶対ハワイアンではないな〜、などと私の中で今度はその人種を緊急に探っています。そんなこんなで内心かなり混乱気味であることを覆い隠しながら話につきあっている内に(この間およそ3分位という短い時間)、気づいてみたらそんな混乱状態も忘れ、私はサオの話に耳を傾けゲラゲラ笑っていました。サオはテニスがものすごく上手くて男性のプレイヤーよりもパワーがあるのでみんなから恐れられていること、ある時はサオがショットした球が相手プレイヤー(男性)の急所を直撃したこと、だからサオとプレーする男性プレイヤーは野球選手が着用するカップ(急所を保護する為の固いプラスチックのカップです。日本語で何と言うのでしょう?)をする必要があることなど、そんな話にウケて爆笑している私。 その後は気づいてみると、私も含め約7名ほどのチームの親たちが座っている真ん中にサオは仁王立ちになり、サオとだんなさんがどこで出会ったかとか、白人である自分のだんながどんなに自分よりもスポーツができないかとか、そんな自分の話をしつつ、ほかの夫婦にもどこ出身かとかどこで出会ったのかとかかなり個人的なことをつっこみながら、その日のその瞬間が初対面であるにもかかわらず完全に輪の中心で笑いをとりながらうちとけた空気を創りだしていました。
 

サオはウエスタンサモア出身(100%サモア人です)でした。 どういうわけだか知りませんがサンフランシスコのボーリング場で働いていた時に、そこにお客さんで来ていたアメリカ白人のだんなさん(ジム)と出会ったそうです。 サオは”白人男(ジムのこと)は痩せていてボーリングもへたくそでスポーツもできないし頼りないのよ”と言い、ジムは ”サモアっていう国は女ばかり強くて最悪の国だ”と言い返し、その様子はまるで夫婦漫才そのもので、私たちはみんなゲラゲラと笑っていました。

そんなごく普通の出会いでほんのひと時の時間でしたが、なぜか私にはカルチャーショックを受けたような不思議な”衝撃”が残りました。 
 

ターシャと同じ素朴で無邪気で”人間が大好き”オーラを振りまいており、何の壁もなく偏見もなく疑いもなく初対面の私の中へ無防備で飛び込んできました。なんだかすごくなつかしいような暖かいような安心感のあるようなそんな気持ちが残り、またサオに会いたいな〜と思いました。


なんでそんなに衝撃を受け、心に残ってしまったんだろう?何にそんなに惹かれているんだろう?としばらく考えていました。答えはすぐにわかりました。きっと私はずっとサオのようにターシャのように、誰にでも何の壁もなく偏見もなく疑いもなくすぐに友達になれる、人間が大好きな私になりたかったのです。正確に言うと、人間が大好きな私に”戻りたかった”のです。

小さな子供の頃はそうだったはずだということを思い出しました。”葉子ちゃんはいつもニコニコしているね”とよく言われていました。誰とでもすぐに仲良くなりました。 

都会のシステムの中で大人になるうちに、人間に対しての偏見や疑いや壁といったものが徐々に蓄積されていき、どうやって人を判断するかとか、どんな風にかっこよく自分をみせたいかとか、そんなテクニックみたいなものが優先されていったようなそんな気がします。ですから初対面の人とは最初から100%自分を出すことができません。サオとの出会いは、人間が大好きで、誰とでもすぐに友達になれる無邪気だった子供の頃の感性を私に思い出させたのです。私が私自身でいられた本質に引き戻してくれたのです。

サオとのカルチャーショック的衝撃の出会い以来約6ヶ月後、ハイスクールのバスケットボールシーズンが始まり、ずっと会いたいと思っていたサオに試合会場でついに再会することができました。

サオといると、たわいもないごくごく普通の会話をしているだけなのに、サオのナチュラルな人間愛のオーラのせいか、すごく暖かく平和な安心感に包まれます。なんかもう長い間友達であるようなリラックス感があるのです。 そして必ず毎回”笑い”が生まれます。子供の頃に何の心配もなく、無邪気に家族や友達と談笑していた時のような感覚に引き戻されるのです。私の本質はここにあったんだと気づかされます。

今日もバスケットボールの試合会場で、サオは(絶対初対面だと思う)隣の人の膝をたたきながら”ちょっと見て、あのコーチ騒々しいわね〜、あっはっは”なんて勝手に話しかけながら、喜んで試合観戦しています。

2009年1月

(サモアの話はまだもう少しだけ続きますが、また後日に。。。)

mhibiscus

 

 

*プロフィール*
内藤葉子 Yoko Naito
マウイ島にて現地旅行会社と
ウインドサーフショップをしています。
ぜひ遊びにきてください。


マウイドリームバケーション
のホームページ



マウイ島現在の時刻(24時間表示)
Click for Kahului, Hawaii Forecast

人気ブログランキングへ
スペシャルピック記事
友達がくれた元気が湧くエッセンス
きっと今日もまたがんばれるヨ!
NOW and TODAY:今を生きる、今日1日を生きる
最新記事
記事検索
ブログリンク集
テリーさんのページ 今日が私の一番若い日
御前崎発kugiの波風予想とゲレンデレポート
北村美佐代の心も身体もピースフル

*相互リンクしていただける方、nainai@aloha.net までどうぞメールをください。
  • ライブドアブログ