その後商品ラインナップも増やしていきますので、
マウイ
その後商品ラインナップも増やしていきますので、
アップカントリーにパープルのジャカランダが咲き始めるのは3月初め頃、夏の終わり頃まではアップカントリーのどこかしらで見る事ができます。
ジャカランダがさきほこっている5月は卒業式のシーズンです。
ハワイの学校の新学年新学期は長い夏休みが終わって8月からなので、夏休みの前が学年末そして卒業式です。
(パープルのジャカランダがきれい〜。クリックして見てください)
同じ町でエレメンタリースクール(小学校)、ミドルスクール(中学校)、ハイスクール(高校)とずっとパブリックスクールだった息子のカイにとっては、ハイスクールの卒業は大きな節目です。 パブリックスクール(公立)は高校受験はないので、エレメンタリースクールから一緒の友達は13年、公立のエレメンタリースクール5校分が1カ所に集まって大きくなったミドルスクールから一緒の友達は7年、ずっと一緒に学び育ちます。
日本語の「卒業」という言葉は、「終わり」や「別れ」的な要素が多く、「達成感」や「旅立ちへの希望」よりもむしろ物悲しかったような気がします。
英語の卒業=Graduationという言葉は、別の言葉でCommencement(始まり)とも言われます。
卒業式のパンフレットには "Leaving the shore"(岸を離れる=出航、船出、旅立ち)と書いてありました。
終わりではなく「始まり」であり「旅立ち」です。 先生や親など送り出す側から見たら「巣立ち」といったほうがしっくりくるかもしれませんが(母親的にはちょっと涙だけど。。。)、
「始まり」という前向きな視点はとても好きです。
Class of 2012(2012年卒業生)が年度始めに自分たちで選んだ学年テーマは "This is not the end."でした。
高校生最後の年ですが、This is not the end. = これで終わりじゃないゼ! というわけです。
こちらの学校システムは小学校であっても義務教育であっても規定の学業成績を達成しなければ自動的に落第するので(慈悲なし、根回しもききません)、
高校卒業は大きな達成でもあります。
(ちなみに、学校側から一方的に落第させられるだけではなく、特に小学校や中学校位のときは本人と親が自発的に同学年にもう1年とどまったり1年遅らせたりすることはまったく普通のことで、逆に頭がよすぎて学年を途中でとばしで進級する人も時々います。 どちらにしても個人にあったペースで確実に必要なことを学ぶことが最も重要ということです。入学してしまえば自動的に卒業できるようなうやむやなシステムではありません。)
落第一歩手前ぎりぎりで卒業できたディーは校長先生から卒業証書を受け取った瞬間、2000人位の観衆の前で半べそで狂ったようにそれは派手に喜んでいました。。。このディーは小学校のとき息子のカイと同じ野球チームで、コーチのサインを100年たっても覚えず、バッターボックスに立つたびに頭の上は?マークだらけで、毎回バントかスイングしていいのかジェスチャーでコーチに確認(よって、サインをだす意味ぜんぜんなし)していたことを思い出しました。 よかったね〜。
かと思えば、優秀な成績をおさめて学業表彰されてさらにスポーツ選手としても表彰されていたマックスは、卒業式2週間前に下級生とふざけていたのがマジ喧嘩に発展し停学となってしまった為、
卒業式に出席することができず。。。(学校行事や遠足行事の数週間前に停学をくらうと、自動的に行事には参加できなくなります。慈悲なし、謝罪による挽回なし)
ついでに言うと、高校のスポーツリーグでは該当のスポーツシーズン中には2週間ごとに「学業成績チェック」というのがあり、その時点で宿題や課題が提出されていなかったり落第点をとっていたりすると2週間試合にでることができません。時々これにひっかかる選手がいてそれがまたベストプレイヤーだったりなんかすると、特にチームスポーツの場合には勝敗に大きな計算違いが生じてしまったりもするので、高校生のリーグは何があるかまったく予測もつきません。
卒業式の2日前に学業表彰やスポーツ表彰、奨学金表彰がされる表彰式がありました。
校長先生はじめ各科目担任の先生や学生行事の先生、そしてこの日は特別ゲストもきています。
特別ゲストは奨学金を寄付した市民団体の代表や個人です。
表彰式の中で、ある生徒が奨学金の目録と一緒にマカデミアナッツチョコレートの大箱1箱をもらいました。
まだ表彰式は進行していますが、席についた生徒はチョコレートの箱をあけて食べはじめ、隣近所の生徒にも「食べる?」というジェスチャーをして分け与え、一瞬で空っぽになった箱を椅子の下においていたのでした。 私ももうマウイで長いのでこんなことが起こっていてももはやまったく違和感ないのですが、後でよ〜く考えたら「これ、日本の学校でやったら、すっごく怒られるのでないか、奨学金もとりあげられるのではないか」とちょっと思いました。
こんなハチャメチャなパブリックスクールライフですが、私も含めて今までよくがんばりました。
私がマウイで一番好きなことは、
「かっこつけたり見栄をはったり世間体を気にしなくていいこと」=「いつも自然な自分でいられること」
だから すべての人を受け入れるパブリックスクールが合っていました。
時々日本からのお客さまのウエディングをお手伝いしていますが、
私自身のウエディングではなくても、ウエディングに関わる度に毎回「始まり」を感じることができます。
卒業式も別れではなく「始まり」、なぜなら旅はまだまだこれから続くからです。
「成功」というのは、毎日朝起きてその日自分がやる仕事に対してわくわくしながら一生懸命することができることです。
(卒業生主席が自分たちで考えてきたスピーチの一部です)
マウイの卒業生たちは、「達成感」と「羽ばたいていくことのできる自由への希望」にあふれており、
まさに「始まり」であり「船出」でした。
(卒業生が選んだ卒業の歌の歌詞の一部です。Andy Grammarの "Keep Your Head Up"より)
生きることは大変で時々うまく行かないこともあるけれど、
僕たちはただ旅をしているだけなんだ
だから「心配」なんかは投げ捨てて
頭を上げて前を向き続けるんだ
君は大丈夫さ、すべて大丈夫になるのさ
雨が降れば必ず虹がでる
朝になれば必ず太陽が昇ってくる
すべてはつながっていて必ず巡り巡ってくるのさ
だから頭を上げて前を向き続けるんだ
君は大丈夫、大丈夫さ、すべてはうまくいくよ。。。。
この人たちは卒業生ではありません。卒業式に参加した卒業生の父親2名。卒業式だというのにこんな超普段着(うちのだんなはサーフショーツをはいているので普段着以下)
それから、リサイクルも忘れずにね。
2012年1月1日 by Fede
未来は不確かなもので事前に手にいれることはできない、
今どのように過ごすか自分で決めることができるもの、
皆様にとって今日が素敵な1日でありますように! Have a Good Day !
Best Friends Forever
1970.1.21 - 2012.1.1
http://www.mauiwindsurfcompany.com/jp/jfede.php
コスコ( Costco ) に買い物に行きました。
アメリカサイズの大型スーパーマーケットよりもさらに大きな店舗内、会員制卸し売り価格の巨大倉庫なので、例えばトイレットペーパー36ロール入り、ティッシュペーパー8ケース入り、パンは2斤まとめ買い、水ボトル36本入りケース、缶詰24個入りケースといった具合に、一度にボリューム買いをしなければいけない代わりに1つあたりの単価は最終的には非常に安いというシステムです。
巨大倉庫店舗内には有り余るほどの食糧が並んでいます。調理をしなくてもすぐに食べられるパンやスナックに野菜類果物類、すでに調理がされているチキンやピザ、解凍さえすれば食べられるもの、開ければすぐに食べられる缶詰類、水、赤ちゃんのオムツやミルク、暖かい毛布やクッションも。。。
閉店間際の遅い時間、買い物客も少なくゆっくりと立ち止まる余裕のある店内、あふれそうなほどの食糧に圧倒されそうになりながら、暖めるだけですぐに食べられるスープが並んだ棚の前で泣きたくなりました。
「おねがい、誰かこの店舗ごと今すぐ被災地へ持って行って。。。 この店舗ひとつなくなったって、今マウイは困らない。。。それより今物資が足りていない人々がどれだけ助かることか。。。」
今まで何とも思っていなかったコスコの中のものすごい量の物資に激しい違和感を感じ、いつもなら「安いから買っておこう」と手にしていたものも買うことをためらい、最低限今必要なものだけを「すみません、買わせていただきます」と半ば申し訳ないような気持ちさえも少し感じながら買ってきました。
自分だけ今普通の生活をしていていいのかな、、、今すぐ私ができることは何?、、、答えがでずにあせり悩みます。
友達のマリアがとても悪そうに小さな声で電話をしてきました。
「ヨウコの家族や友達は大丈夫??? 主人はこんな時に電話なんかして聞くなって何度も私に言うんだけど、心配で我慢できないし、日本人が大好きだし、私は女だから男とは感性が違うし、イタリア系とスペイン系の血がはいっているからだまっていることができないの。 今主人がいなくなったから、電話しちゃった。。。」
いつもは気軽に電話をしあう仲なのに、この電話を私にする為に、かなりの時間私の心中を想像したりいろいろと考え巡らしたであろうことはその声の様子から容易に想像でき、逆になんかかわいそうになってしまったと同時にこんなに私のことを日本のことを気にかけ心を寄せてくれる友達が傍にいることに、私は感謝し心はとても暖かくなりました。
8時間後にハワイに到達した津波警報により夜10時から午前2時過ぎまでの1時間おきのサイレンを聞きながら、テレビニュースとラジオをつけて徹夜した日の朝、ステファンが寝起き声で電話してきました。「昨日は疲れて早くに寝ちゃったんだけど、朝起きたら大変なことになってて。。。。ヨウコの家族大丈夫??? マサトは???」
その後、ウインドサーフショップで会っていつもより長いハグ(愛情をこめて抱きしめる挨拶)をしてくれたステファンの目は、日本にいるたくさんの友達(ショップで会ったお客さんたち)とその国に心を寄せ、泣いていました。
ニナとは言葉をしばらくかわさないままの長い長いハグ(愛情をこめて抱きしめる挨拶)、でもニナの感情は十分すぎるほど伝わってきて、これ以上ハグしてたら泣いちゃうなっていう位暖かく、行きつけのワイルクのレストランの店長とおかみさんは私の家族や友達は大丈夫かと安否を気遣ってくれ、命は大丈夫だけどたくさん不便をしていると言ったら、おかみさんは何も言わずに私の手をとってしばらく握っていてくれました。
沿岸部より山のほうへ避難していて徹夜だった写真家のニコルとは、その夜「眠いね、疲れたね」などと言い合いながらもショックと心の痛みを慰め合うかのようにE-mailでチャットし、仕事で毎日のように電話で話しているウエンディは「今、私の心と祈りはすべて日本の為に捧げているわ」と言います。
今はアメリカ本土に住んでいる親友キャシーは、カトリック系クリスチャンです。キャシーは言いました。
「毎日毎日、日本の為に祈っているわ。私がキリスト教徒であるとかないとかはもはや関係ないの、私は地球上のすべての宗教の神様とユニバーサル(宇宙)の神様に祈るのよ。」
なんてみんな暖かく優しいんだろう。。。
人間を支えてくれるのはいつも人間です。
何をしていいかわからなくなったら、
今日1日の枠の中で、自分ができることに集中しよう。
自分の為にではなく、人の為に自分ができること。
あまりに日常で忘れてしまいがちだけど(更には疲れた〜めんどくさ〜いとさえ思う事も時々あるけれど)、家族にご飯をつくるのも、子供を送り迎えするのも、人の為。
今日会った人に笑顔でいるのも、人に道を譲るのも、人の為。
目の前にいるお客さんの為に、一生懸命働くのも、人の為。
生きている限りは、自分は人に支えられ、そして人を助けるのが、生きているということなのかもしれないな。。。
だから今日、自分ができることをしよう。
昨日、マウイへの旅行者のご夫婦でサーフィンのレッスンをしている間、その赤ちゃんをベビーシッターしました。ベビーシッターのお仕事が終わり、私は WholeFoodsにランチを買いにいったら、American Red Crossの日本への募金箱がすべてのレジに並んでいました。 なんだかそのタイミングに日本へ渡る募金箱が目の前にあったことがすごくうれしく、「おっ、今この瞬間私にできることがあるぜよ〜」と思って、募金しました。 その日働く事ができた私、私に働く機会を与えてくれたご夫婦、そしてまだこの世に生まれて8ヶ月の赤ちゃん、アナタの存在があったから、私、日本の為に何かができたよ。
さて、あと今日私ができることは、昨日8日ぶりに水が来たと言っていた茨城の義父に「気持ちのいいお風呂にはいれたかどうか」E-mailして確認しよう。
あとは、娘のレイが Jamba Juiceの店内に書いてあったと言ってたんだけど、携帯電話で指定の番号にテキストメッセージを送ると自動的に電話会社の請求書から$10が引き落とされて日本へ募金されるそうなので、それもやっておこう。
あと、今日私ができること、、、、できることというか「本日の重大な任務」です、これは。。。
息子のカイの高校へ、モロカイ島の高校生がバレーボールの試合をしに遠征にやってきます。今夜のモロカイボーイズたちの宿舎はうちの高校の体育館(柔道場)、よって夜ご飯はうちの高校チームの親達で持ち寄り、だから早く帰ってモロカイボーイズの為に、メシ炊きです、メシ炊き!
(注釈:島間で遠征試合するときは、高校の体育館に宿泊が定番、宿泊費無料夕食込み!)
ブログアーカイブ: http://mauiwind.livedoor.biz/archives/1047077.html
GIVING - 遠征試合、そのときの歓迎ともてなし)
マウイの夜明け
(ハレアカラとアップカントリーへの道。
カフルイ空港より撮影)
(拡大写真はクリック)
マウイはしょっちゅう虹がでるよ〜
(拡大写真はクリック)
マウイのサンセット、山と海へ沈む夕日
(アップカントリーのクラより撮影)
オマケ:
カナハビーチへ行く道、津波で上陸してしまった海ガメが消防隊にレスキューされたところ。http://www.facebook.com/album.php?fbid=158172294239141&id=150618851661152&aid=34929
Aloha for Japan
ハワイでは地震津波災害による日本復興をサポートする為の基金集め活動キャンペーンが発足しています。
American Red Cross アメリカ赤十字ハワイ支部 と Japan-America Society of Hawaii を通して、アロハが日本へ届きます。 http://www.alohaforjapan.com/press-01.html
「。。。。。」
「見た、見た??」
「Yeah, I did ! 見たよ!」
ホキーパの海沿いをいつものとおり海をちらちらと眺めながらゆっくりと車で走っていました。
風は弱いけれども波がはいっているので、海には波目当てのウインドサーファーがたくさんいます。
波待ちをしながらゆらゆらとセイリングしているウインドサーファーたちのその先の直線上少し沖で、ものしごい水しぶきをたてているのは冬の間ハワイの海を訪れているクジラです。 ずいぶんと元気満々の真っ黒な大きな図体のクジラで平水面の海に大きな石を落とした様な水しぶきをたてているので、海に視線を移した瞬間にすぐ目に留まります。
そして翌日、スウエル(大波)が去り湖のようにしずまりかえった平水面の海には、水しぶきや海面から空に向かって吹き上がる潮があっちにもこっちにもよ〜く見えます。
そしてそのまた翌日には次のスウエル(大波)が大波注意報とともにやってきて、風はコナウインド(南西の風)。 オフショアの風なので、沖に向かって吹いている風に流されないようにがんばって抵抗しているかのように、沖からセットではいってくる波は、波しぶきをとばしながら重力に逆らって海面から押し上げられたツルツルの美しい水の斜面を形作っています。
ハイクからカフルイに向かって行くホキーパ沿いのハナハイウエイ、谷を超えて目の前に海がウワ〜と開けた瞬間「ウワ〜、きれい、気持ちいい〜」と毎日毎回必ず感動し心躍り、今日もそんな美しい景色に包まれているという安堵と、一瞬で癒されリラックスしたため息が身体を一気に軽くしてくれます。
例えその時に日々の懸念事項や悩みごとで頭がパンクしそうなときでも、「海きれいだし、山もきれいだから、もおど〜でもいいや、なんとかなるサ」と本気で思えてしまうところがスゴイというか、こういうのをいい加減な人生というのかこれまた悩むところですが、、、、何もせずともそう思わせてくれるパワーというか癒し力は本場のナチュラルヒーリング、はたまたこれがナチュラルハワイアンライフと言えるかもしれません。
最近は元気になるために、パワースポットと言われるところ(=広告されているところ)をめがけて訪れる人がほんとうにたくさんいるようですが、ココは島自体全部がパワースポットだと思います。そこに居るだけで空気に包まれているだけで心も身体も気持ちよくなれるのですから。
新年明けたばかりの1月2日、弱いトレードウインドが吹いていたカナハビーチパーク、東のほうから大きな雲がやってきたな〜と思ったら、沖の水平線から陸の緑をくっきりと結ぶ虹がかかりました。
「。。。。。」
「見て、見て!」と、子供達に叫びます。
虹のかかった海の沖のほうでは、大きな虹の輪っかの下でアッパーリーフの波乗りを楽しんでいるウインドサーファーたちがとても幻想的で、私たちは随分長い間そこに存在していた虹に圧倒されていました。
「見て見て! ピンクの夕日きれい!」
「見て見て! 今日の波すっごいきれい!」
「見て見て! 山きれい!」
「Look ! It's so cooool !」(見て、すっげえきれい!)なんて、夕日を見ながら高校生の男の子同士でも普通に会話するほど、ここではあるがままの美しい自然が当たり前の身近な存在、そしてそんな自然から毎日元気やエネルギーをもらっています。
先週娘のレイがオアフ島へ4日間滞在していました。高校のバスケットボール部の遠征試合です。
試合と言っても1日1試合でしかもトーナメント勝ち抜き戦で早々に負けてしまったので、宿舎(ローカルご用達の宿パゴダホテル)から歩いて行けるアラモアナショッピングセンターにワードウエアハウスに、さらにちょっと遠出をしてパールリッジショッピングセンターにと、暇な時間と言えばショッピングセンターばかり行ってたそうです。マウイローカルから見たらホノルルは超大都会、最初はマウイには売っていないものだらけで目新しく楽しかったそうですが、マウイに帰ってきたときは「あ〜助かった〜もうショッピングセンターには飽き飽きした。 I am SICK of shopping. 」なんて言いながら帰ってきました。マウイのカントリーガールにとっては、物質文化ばかりの連続3日間はきつかったようです。
そして昨日、バケーション休暇をとっていたウインドサーフショップのステファンがマウイに帰ってきました。ステファンは、昨年末から旅行づいており、年末には奥さんの実家のあるカリフォルニアに10日ほど滞在し、クリスマス休暇シーズンで美味しいものはたらふく食べ、のんびりしてきました。。。はずでした、
がしかし(BUT)、雨模様曇り模様の天候つづきで外で過ごした時間が2日位しかなくずっと家の中に居たそうで、この人も「あ〜助かった〜」と言いながらマウイに帰ってきました。そして今回は1月の末から約2週間ものあいだフィリピンでバケーション。今回は島だし海もあるし、魚でもつかまえながら少年のように海で遊んでるだろうと思っていました。。。。
がしかし(BUT)、「あ〜マウイに帰ってきてよかった。もうこの先2年間はどこにも行きたくなーい、マウイが一番いいよ。」
マウイに住んでいる人が、ハワイ以外のところに旅行にでかけて帰ってくると、ほとんど必ずと言っていいほど全員が、BUTとかHOWEVER(=しかしながら、でも)と言うのです。
「バケーションどうだった?」
「すごく楽しかった、○○は最高だったし、○○は美味しかったし、○○に行ったときは 〜 。。。(永遠と旅行話が続く)。。。。(( BUT )), I am very happy to come back to Maui. Here is the best. (( でも ))、マウイに帰ってきて幸せ、ここが一番最高だよ! 」 全 員 が、そう言います。
そうなんだ、そんなにマウイっていいところなのね〜と、旅行で動き回っている人の感想を聞いては第三者的に認識している私。
でも、マウイから都会へでていく人が多いのも事実。 先日カフルイ空港の集荷場所へ荷物を取りに行ったときに偶然そこで会った人はマウイ育ちのアメリカ人なのに日本の大学で勉強したそうで日本語を流暢に話すことができ、日本でしばらく働いていたけどマウイの太陽が恋しくなって戻ってきた、でもやっぱりここには自分のやりたい仕事がないから、来月東京へまた戻って銀行で働くことにすると言っていました。
大きな空と海と山に支配された景色が目に写れば、顔が自然と笑っちゃうし、
ザワザワとトレードウインドが吹いているだけで胸がすごくドキドキする、
今のところ(といいつつ16年も経ってしまったけど)それだけで十分、マウイが一番! Maui No Ka Oi.
$500 airfare
$70 Gas (for pap's truck)
$8 Plate Lunch
Coming home, Priceless
エアチケット 500ドル
父さんに借りるトラックのガソリン代 70ドル
昼ご飯弁当代 8ドル
マウイに帰ってくること 貴重すぎて値段なんかつけられないゼ!
(ローカルボーイご用達808 Naluで売っているT-Shirtsに書いてありました)(注釈:アメリカ本土で生活しているハワイ育ちの人の視点です)
冬でも風が吹けばウインドサーフ天国
(1月@ カナハビーチパーク)
ホキーパには
冬の間ノーススウエルが次から次へと
はいります。
(オマケ)
ところでこれ、
1月19日にハレアカラ山頂に一瞬積もった雪!
=====(お知らせ)=============
マウイ島とカウアイ島は2011年1月11日より、自然環境保護の為、法律施行に基づき、スーパーマーケットや店舗でのビニール袋 (Plastic Bag) の提供は全面撤廃となります。
スーパーマーケットではエコバッグ(簡易布製の買い物用手提げバッグ)が1ドル〜3ドル位で販売されていますのでそちらをご利用ください。
==========================
ようやくこの法律が施行されます。
店舗でのビニール袋の提供は「違法」になる為、お買い上げになったものをビニール袋にはいれてくれません。一部店舗ではリクエストがあれば紙袋を準備しているところもありますが、紙袋はビニール袋よりもはるかに高い仕入れコストがかかるのと法律で40%以上リサイクル処理された紙袋の使用のみに制限されていますので、本当にごく一部のお店だけになると思います。
スーパーマーケットや店舗で当たり前のごとく際限なく提供され続けていたビニール袋は、ゴミ処理場で土に帰ることもできずにどんどん増え続けアメリカの「国花」とまで揶揄されるほど悪評高い大問題となっていました。 軽いので風でどこまででも飛んで行き、海上でも鳥や生物が食べてしまったりからまって動けなくなってしまったりと自然破壊にもつながっています。
ビニール袋(プラスチック)は、土に帰るための塵に分解されるまで450年から1000年かかるそうで、それだけかかってようやく塵になったとしても完全に土に同化されることはなく、あくまでもプラスチックの塵として残ってしまうそうです。
私が昔東京で働いていた頃に、初めてオランダに出張をしたときのこと、スーパーマーケットで食材を買い、レジでお金を払いましたが、お店の人は私が買ったものを袋にいれてくれようともせず、レジカウンターの上でそのまま放置状態です。 両手ではとても持ちきれない量だし、どうして購入したものが放置され無視されているのかな? これどうやって車まで持っていくのかな?と半混乱状態になっていたところ、一緒に居た現地在住の人が言いました。「すみません言うの忘れてました。ここでは袋は自分で持ってくるか、ビニール袋にいれて欲しい場合はお金払わないといけないんですよ」 レジの列に並んでいる人を見たら、ほとんどの全員が布製のバッグを持っていました。 知らない場所でも、自分の慣れ親しんでいるルールが当然と勝手に思っていた私は、このときとてもびっくりしたことを覚えています。
レジから駐車場の車までの短い距離を運ぶ為だけに(しかもカートもあるのに)ビニール袋(ゴミ)を配っているのはアメリカ商業が初めた悪しき習慣といったところのようです。
法律施行までの移行期間が1年半ほどはありましたので、私はすでにエコバッグ5つほどは常に車の中にいれてあり、ようやく忘れずにエコバッグを抱えてスーパーマーケットへ入るという習慣が確立しました。 習慣を変えるのには時間が多少かかり、最初の頃は車に忘れたまま手ぶらでスーパーマーケットへ入り、カートにしこたま買うものをいれてしまってからレジで気づき、ゴミ問題の張本人であるビニール袋を5つも6つも消費することに加担してしまう罪悪感を味わっていたものでした。
私がスーパーで日常使うものは99セント位で買った安いものですが、中にはお店のロゴがはいったものやオリジナルの絵柄がはいったものなどもあり簡易布製のものや簡易ビニール製のものは高くても5ドル位です。
なんでもはいる、軽い、安い という気軽さが気に入っており、
=ビーチグッズ用(タオルや日焼け止め、水着、着替えものなど)
=フラの教室へ行く時の持ち物用(スカート、水、ノートなど)
=スポーツジムへ行く時の持ち物用(タオル、ストップウオッチ付き時計、着替え、靴)
=仕事お遣い用(外出時に持ち出す仕事道具や、郵便物など)
=車内用の飲み物持ち運び用(空になったペットボトルも車のフロアにころがらず便利)
といった具合に最近はいろいろな行動場面にあわせてひとつづつ便利に使いこなしています。
ハワイ滞在中もビーチバッグや着替え物バッグ、おみやげをスーツケースにいれるときのパッキング用になったり、またハワイでしか買えないエコバッグはおみやげにもなるかもしれませんね。
この法律施行(2011年1月11日より)は今のところはマウイ島とカウアイ島だけです。
ハワイ島とオアフ島は、いろいろと各方面からの抵抗などもありまだ正式な施行決定までに至っていませんが、最終的にはそのうち追随することになるのではないかと思います。
その昔(たぶん14年位前?)国際空港ができる案が住民の猛反対により消滅し、最近では、2007年に開通した海上移動手段の豪華なスーパーフェリーは環境保護に対する多くの抵抗とジレンマの中、2009年に違法となり消滅したという出来事のいずれも、マウイ島とカウアイ島でした。
あるがままの自然を頑に守り続けようとする強い意志、この島には神様がいるなあと思わずにはいられません。
でも本当はこの土地に居るまたは訪れるひとりひとりの私たち人間自身が強い意志を持った神様にならなければいけないのだと思います。
いつまでも世界中の人から愛されているこの土地がいつまでもあるがままの美しさを持ち続ける為に。。。
Whole Foods Marketで買った
エコバッグ
小さいサイズはランチバッグ用に便利。
手前はフードランドのエコバッグ
(ハワイローカルフードの絵が書いてあります。このフードが何かをすべて把握説明できる方はローカル度100%です)
とても気に入っているハワイ柄の
エコバッグ。かわいくて内側が温熱保存処理のビニール張り。
$3.50-$5.00位です。
常夏のハワイも12月にはいると朝晩の気温がぐっと下がり、朝6時起床時には思わず「寒っ。。。」とつぶやきこの時期にしか着ない長袖に腕を通します。
スクールバスが来るのは6時50分、バスを待つ子供たちも寒さで固まり背中を丸めています。
しかし遠い過去の記憶で日本の冬の寒さを十分に知っている私にとっては、こんなのは寒いとはいいません。
半袖短パンが当然だと思っているところに、長袖のフリースやパーカーなど羽織るものが必要になった時点でハワイの感覚では十分に「寒い」という、年中夏気候に甘やかされ毛穴の開ききった人たちというわけです。
それでも数時間後にはぽかぽか太陽で半袖短パン海水浴もOKなので、やっぱり常夏ではあります。
今年もまたバスケットボールシーズンが始まります。
こちらはスポーツが季節ごとに変わるので小学校から高校まで、ひとりで違うスポーツができます。
例えば高校の場合、
秋:バレーボール女子、フットボール、マラソン、
冬:バスケットボール、サッカー、バドリング、レスリング
春:バレーボール男子、野球、テニス、柔道、陸上
といった具合で、本人がやりたければ季節の違うスポーツはいくらでもできるのです。 私は日本の中学高校では部活で1年中来る日も来る日も一つの同じスポーツだけをやっていたので、この季節ごとにスポーツが変わるシステムは短いシーズン中でたくさん試合があり、中だるみもなく、違うスポーツを経験でき、違うスポーツの違うチームで友達もたくさんできて、、、といいことばかりだと思います。 要は学校の部活は部活なのですが、1年中ではなく季節で終わるので、なんのしがらみもおとがめもなく、シーズンが終わったら次のシーズンスポーツの部活に参加します。
ただし、部活といっても誰でもが入部できるわけではなく、シーズン初めに「トライアウト Tryout」と言われるいわゆる入部試験があり、正式にチーム登録できる人数枠分上手な人だけ選抜されます。さらにこちらでは、学校社会でも一般社会でも「年功序列」という文化は存在せず、「実力主義」なので、高校1年生でも高校4年生でも年齢は関係ありません。
実力があれば1年生でもレギュラー入り、4年生がベンチにいる といった図も違和感なくごく一般的です。
先輩後輩といった上下関係も、入部してから1年間はずっと球拾いなんていう時間もまったく存在しません。
日本語の「先輩」「後輩」という語源もおそらく年功序列文化から生まれたのかと思いますが、英語には「先輩」「後輩」にあたる単語は存在しません。 年齢はまったく意識していない、その人の実力やその人なりを判断する材料にはならない のは明らかで、子供たち同士も年齢に関わりなく、普通に友達になり普通に友達語で話しています。
私の中学時代(中学では最も厳しかったバレー部)は、1年生から2年生途中まで毎日「球拾い」をするために部活へ行き、先輩は恐れ多くていつもビビっており、先輩と友達になるなんてありえませんでした。こちらの中高校生はなんて自由闊達で自然で人間らしいライフなんだろうとうらやましく思います。
昨年のシーズンは息子のカイのチームで、涙4つ、ありました。
(涙1つめ)勝てた試合なのに、最後の最後に「勝利」がするりと手からすりぬけていって惜敗したとき。 勝利の女神というのは必ず居て、手中にあった「勝利」がまぼろしとなって消えてしまうことがあります。 欲しいものを手にできなかった悔し涙。
(涙2つめ)最後のホームゲーム(自身の高校が会場となって行われる最後の試合)は、最終学年である高校4年生を祝福する儀式が行われます。まるでお誕生日会のようにチームメートによってたかって頭まで埋まりそうな程のレイ(花輪)で祝福された2人のシニアボーイズ(高校4年生)は大泣きモード。 チームメートへの感謝の涙でした。
(涙3つめ)シーズンでリーグ1位だった高校相手に最後の最後に勝ったとき。 「コーチと僕たち笑いすぎて涙がでちゃったよ」と言ってました。 勝利のうれし涙。
(涙4つめ)シーズン最後のトーナメント。要は勝ち抜き戦でチャンピオンを決める大会で負けたとき。勝ち抜き戦は英語で " Win or Go Home."と言い、(勝つか、負けたら家に帰れ)というとてもとても直接的な表現です。 負けたあと、ミーティングから戻って来た男の子たちは泣いていました。息子のカイは " I don't wanna go home ...."(家に帰りたくない=負けたくなかったんだ)と言って泣いていました。 悔し涙。
たくさんのことを感じて、悔しい涙や挫折の涙がたくさんあればあるほど、いろいろな感情を感じれば感じる程、心暖かく強い人間になれるよ。
男の子が泣いていると私まで泣きたくなっちゃうんだけど、「感じる」ことは人生経験では最高の教科書。
1秒先に何が起こるかわからない、ヒーローになるのか負け犬になるのかもわからない、勝利の保証もなにもない、そんな最後まで勝敗のわからない試合に挑み、汗を流すマウイボーイズたち。
一寸先がどうなるか何が起こるのかわからないからスポーツはやる方も観る方も楽しい、良い事も嫌な事も仲間と一緒だから強くなれる。 人生も同じだね~。
シーズンオープンにあたり、コーチが選手に配ってくれた言葉の一部です。
If you're not making mistakes, then you're not doing anything. I'm positive that a doer makes mistakes.
失敗をしない人は何もやっていないから失敗しないのだ。 たくさん行い、たくさん失敗しろ。
「失敗を恐れず積極的に動く」
Life is ten percent what happens to you and ninety percent how you respond to it.
貴方の人生は、貴方の身に起こることが10%、起こったことに対して貴方がどう反応するかが90%を占めている。
「幸せな人生は与えられるものではなく、自分が創るもの」
次にやってくる波は来るまでわからない、来たらどう反応するか。。。
今日もマウイ島の海はまぶしい太陽の光と目がくらみそうなほどの優しく透きとおったブルーです。
この水の色ーオーシャンブルーがこの世で私が一番好きな色です。やっぱりここは世界で一番心地のよい美しい場所です。
ノースショアには今年は9月末にファーストスウエル(ビッグウエイブ)がはいりました。 マウイの秋の訪れです。
ファーストスウエルがはいる前の日は、(すでに予報もでており)「明日だよ Tomorrow !」「明日はスウエルが来るよ! It's coming tomorrow!」と言うやりとりがまるで挨拶がわりのようになっており、ざわざわワクワクしていました。 ファーストスウエルがはいったのは9/19の日曜日、そして1週間後の日曜日9/26には第2弾のさらに大きなスウエルです。
9/27お昼には High-Surf Advisory(ハイサーフアドバイザリー=ビッグウエイブ注意報)は取り消されたと思ったら、その日の夕方にはまた次のスウエルで新しい High-Surf Advisory大波注意報です。
毎年毎年季節が巡り、夏から秋へ季節が変わる時にこの波がやってきてずっと私たちと一緒に居て、冬が終わるとまるで出番が終わったかのように居なくなっています。 だから、秋の訪れを告げにまたやってくると、去年同じこの場所で出会った友達とまた再会したようなうれしなつかし気分となり、そんな海を見るといつも顔は思わず笑っています。
スウエルがはいったノースショアには、沖から次々とやってくる波の斜面を滑り降りるウインドサーファーやサーファーたちと、それを観賞するギャラリーでいっぱいです。
一方サウスショア(島の反対側のラハイナ近辺)に行くとこちらはうって変わって穏やかでカヤックやスタンダップパドルボードで楽しむ人にメロウな波にのるサーファーたちに浜でのんびりマウイの風に吹かれている人たち。
同じ島なのに、北と南で海の様子もぜんぜん違います。
海にはいらず陸にばかりいると、どうも身体も心も頭も渇いてひからびてきます。
「ちょっと海に濡れてくるからね I gonna go to get WET !」と言い残し、海へ。。。
10月だというのに、海の水はまだまだ暖かく、穏やかなトレードウインドも吹いており、平水面の夏とはちょっと違って海面は波で動きがあるので、インサイドでちょろちょろとウインドサーフィンをしている私でも、沖から岸に向かう時はいとも簡単に偶然波に乗せられ、波におされるパワーを足裏に感じサーフィン感覚を味わうことができます。 この感覚は癖になり中毒になるんだな〜、これが。。。
ウインドサーファーやサーファーがその海での快感を求めるがゆえに、陸の上でのほかのことをさておいてまで、時には超自分勝手になろうとも(笑)、海に向かうわけです。
海にでると、水に抱かれて風を感じて波の音を聞いてとても気持ちよく、瞬時で癒されます。
陸から離れて海にでると、ほかでは体感することのできないような自由「フリーダム」を感じ、自然と顔も身体も心も笑っています。
自分の中にもともと存在している素の自分を素直に外に開放し自由になれるのだと思います。
癒されるといってもこれはストレス解消ではなく、自分の中の「自由開放」といったほうがぴったりくるかと思います。
そしてウインドサーフィンの合間に誰もいない砂浜にあがり、波の音を聞いていると、波の音と自分だけになり、それもまた心地のよいメディテーション(瞑想)の世界にはいっていきます。
ヒーリンググッズもリラクゼーション音楽も何も必要ありません。 ここでは海がすべてを与えてくれていますよ〜。
カナハでウインドサーフィンをしていたある日、ウオータースタートをしようとセイルをつかみながら立ち泳ぎをしていたら、前方10メートル先位のところに誰かの頭が見えました。頭はすぐに水に引っ込みました。 大人のダイバーにしては小さすぎるし、かと言って赤ちゃんがこんな海のど真ん中でひとりで泳いでいるわけはない、ということは。。。。よーく見たらやっぱり大きな甲羅(約50センチ位)がぼわ〜〜んと浮かんでいます。海がめです。今日はこんな岸に近いところいるんだね、と思わずひとり海上でハハハと笑いながら、私が行こうとしている進行方向の直線上にいる海がめにぶつからないように注意しながらそろそろとセイリングしていきました。
私がいる場所よりも遥か沖でウインドサーフィンをやっている主人は、海がめにはしょっちゅう遭遇しており、ある時は3匹大きな甲羅があっちにこっちにいう感じでよけながらセイリングするときもあるそうです。 しかしこれだけたくさんウインドサーファーがいるというのに、海がめの背中にヒットして転倒したという話はほとんど聞いた事がないので、あちらはあちらで自然の勘で微妙によけてくれているのかもしれません。
最後に幸せなごちそうをひとつ。
ウインドサーフショップにいるステファンは素潜りをして銛や水中銃で魚を捕獲するのが大好きなフィッシャーマンです。
海は食糧の宝庫だと言います。
魚の種類によって性格もいろいろで、フィッシャーマンの経験と勘を研ぎすまし、ずるく逃げ足の早いヤツを捕らえたときは最高にうれしいそうです。
海に潜って魚と泳いでいると、自分の身体が海に溶けてしまったように、どこからどこまでが自分の身体でどこまでが海水なのかわからなくなってくるなんて言っており、それこそステファン自身が水を得た魚(自由開放!)というものです。
夏前に友達のフェデリコがマウイを訪れた特別な日に、たまたま前日に捕獲した大物を丸ごと差し入れてくれました。
オミル (Omile)という魚です。ステファンが慣れた手つきでさばいてくれて、私たちはそのまま生でしょうゆとわさび、刺身で一気に美味しく食べちゃいました。白身魚のちょっと弾力のある食感で今まで食べた事のない新しい味でしたが、鯛に似た感じでなかなかいけました(大満足)。
このオミルという魚、カヤックやスタンダップパドルボードで海にでて捕獲してしまうローカルフィッシャーマンもおり、こんなビッグボーイ (Big Boy=大物)が釣れた日には間違いなくごきげんです。
たくさんの幸せを与えてくれる海、
誰でもが自分の中の自由開放ができる世界一のナチュラルパワースポットです。
(海の中のオミル:ステファン撮影)
(捕獲されたオミル:ステファン撮影)
(まな板にのっかったオミル:私撮影)
まな板の長さは横51センチです。
「おとといまでに私が送った1万通のe-mailに加えて、これが1万1通目のe-mailです。 昨晩のコンサートは最高でした。ベストを尽くし心をこめて踊った子供たちを誇りに思います。 そして、直前まで大忙しのコンサート準備に最後まで辛抱強くサポートしてくれた家族の皆さんに感謝します。ありがとう。 (フラハラウのコーディネーターより)」
無事にコンサートが大成功で終わりました。
娘のレイがフラを習っている先生とそのフラダンサーのコンサートです。
クムフラ(フラの先生。クムKumu=ハワイ語で先生という意味)は、フラの先生であると同時に偉大なるハワイアンミュージシャンでもあります。
フラハラウ(Hula Halau = フラを習うグループ)に所属していると、マウイ島内のショッピングセンターや観光客の方々が宿泊されるリゾートホテルやコミュニティイベントなどでパフォーマンスをすることは日常茶飯事ですが、2年に1回行うこのコンサートは、コンサートホールにお客さんがチケットを買って観に来ていただくマジなコンサートなので、気合いの入り方も当然違います。
コンサートの約3ヶ月前より、全員の気持ちをリハーサルモードにする為に、毎回の練習には髪をコンサートの時と同じように頭の上でポニーテールに結んでおだんごをつくりアップにしスプレーやジェルで固めた状態で参加することが義務となりました。 私は慣れない手つきで娘のものすごい量の髪の束と毎回20分の格闘です。娘には悪いけど、実は今までの過去のパフォーマンスやコンサートでも納得のいくヘアスタイルをつくれたことがありません。しかし、人間の慣れや練習の積み重ねとは素晴らしいもので、毎週毎週やっているうちにだんだん上手になり12分ほどで仕上げられるようになりました。 これはお母さんヘアスタイリストの練習期間だったのかもしれません。。。
約3時間弱のコンサートで子供たち(11歳から15歳位の年齢です)は3曲踊ります。 今回は3曲ともにマウイの歌で、ウリウリ('uli'uli:カラフルな羽がたくさんついたマラカス)、 プイリ(pu'ili:50センチ位の細い竹筒の棒)、 イプ(ipu:ひょうたんで作ったパーカッション)を使って踊るテンポの早い曲です。 イプは、ありがたいことに家の庭でごっそりと育ったひょうたんを寄付してくれた人がいて、子供たちが自分たちで作りました。 ひょうたんの一番上の部分を真っすぐ平行にカットし、中身をきれいにくりぬき、水できれいに中をあらって1週間ほど乾かした後、一番上のカットした部分と内側3センチ位の部分までヤスリをかけてなめらかにし、(ここからの仕上げは大人がやりました)ニスを塗って、ドリルで穴をあけて紐をとおします。 自然からの贈り物であるひょうたんはひとつひとつ大きさも形も色も違って個性的であり、まったく同じものはないのでまるで人間のようです。置いたときの傾き方や表面の模様で自分のイプがどれかすぐにわかります。
昔、娘がまだ小さかった頃、フラの先生が子供たちの為に、イプヘケ(イプヘケ=ひょうたん2つを組み合わせて作られたタイプです)を調達してきてくれました。子供たちがそれぞれ好きな形のイプヘケを選び、自分のイプヘケに名前をつけ、皆の前でそれぞれのイプヘケの自己紹介をしました。
そのときに娘のレイがつけた名前は「Crashing Waves 力強い音をたてて砕ける波」でした。
(右:イプヘケ = Crashing Waves)
(左:イプ=子供たちの手作り。
今回のコンサートに使用。)
いつものことながらコンサート直前10日前からのラストスパートは準備に追われました。
10日前には衣装の仕立て屋さんへ採寸をしに行き、8日前には夕方6時から集まり Ti Leafスカート(ティーリーフという長い葉っぱをたくさん紐で結んでスカートをつくる)を作成。
Ti Leafはとてもしっかりした葉っぱで生命力繁殖力が強く、ハイクやアップカントリーなどの緑の多い田舎の一軒家の庭にはよく生えています。昨年カアナパリビーチホテルでパフォーマンスをした時には、ティーリーフがジャングル状態になって山のように生えているワイルクのある人の家に全員で行き、ティーリーフを刈りにいきました。
ティーリーフスカートは、真ん中の一番太い茎(葉脈)を葉っぱから割いて取り除いてから、しっかりと1枚づつ順番に紐で縛っていき、水で濡らした大きなビーチタオルに包んでゴミ袋にいれて口を閉じ、冷蔵庫で保存、冷蔵庫の温度が冷たすぎないことだけ気をつければこれで1週間は余裕でフレッシュなまま保存できます。コンサート2日前の夜に、1週間前につくったティーリーフスカートを持って再び集まり、スカートの裾をまっすぐにカットし、葉っぱをフォークをつかって細く割く作業です。 そしてまた濡れタオルに包みゴミ袋にいれて口を閉じ、冷蔵庫へ。
(ちなみにこのティーリーフスカートがうちの冷蔵庫のスペースを使って寝ている間は、大きなジュースパックは買えず、おかずの残り物保存もできません。)
コンサートの1週間前の土曜日には朝8時から大きな体育館でリハーサル。クムほかミュージシャンたちは音合わせをしながらプログラムにあわせて順番にダンサーたちの立ち位置や登場退場のタイミングをフルミュージック、フルキャストであわせます。 いつ自分たちの出番が来るかわからないので、ひたすら待ち続け、待っている間には大人ダンサーの人や子供たちの親などから食べ物の差し入れがありと、食料持ち込み長丁場体制も万全です。
こういう時の差し入れというのはなぜかどれもこれも気がきいた美味しいもので、ホームメイドのヌードル(Chow Fun:チャウファン=ローカルの好物フードのひとつ。平べったいうどんのような麺と野菜をシンプルに塩こしょうでソテーしたものです)に、ホームメイドベーカリーから買って来たマラサダ(=ハワイ名物のドーナツです。買って来たばかりのホカホカで美味しかった。。。)に、自分でパン屋さんをやっているクレアはホームメイドのミニチョコレートマフィンを子供たちに配り、、、、クムたちミュージシャンは休憩なしのエンドレスで音合わせをしているというのに、子供ダンサーたちの待ち時間にまぎれて何もしていない私までもが、クムの素敵なハワイアン生歌を聞きながら美味しい差し入れフードを幸せにいただいていたのでした。
この日は午後3時近くにやっと子供達は終了しました。
コンサート当日だというのに、娘のレイは学校で午前中バレーボールの練習です。「今日の練習は、飛び込んでレシーブしたりとか、一生懸命ジャンプしたりとかチャレンジしなくていいからね。今日この後におよんで手首足首捻挫でもしたら、今晩踊れないからね。」要は一生懸命練習するな!と、普段言っていることとはまったく逆のつじつま合わずのことを言っている私。
午後1時からは実際の舞台でのリハーサル、その間に私はプルメリアの花で首につけるレイ (lei a'i レイアイ) と髪につけるレイ(lei po'o レイポオ)を作り、舞台リハーサルが終了したのは午後3時過ぎ。 本番前のダンサーの集合時間は午後5時です。 家に帰る時間はなくなりました。 娘のレイはコンサート会場近くの私の通うスポーツジムでシャワーを浴び、今日もマウイに吹いているトレードウインドで髪は自然乾燥、そして5時に集合して控え室でヘアスタイルを作り、私の準備に関わる役割は一応終了しました。(私はダンスしないのに、この時点でこの日やっとまともに息ができるようになりました。フーっ。。。。ダンサー娘は朝から冷静に普通に息していました。。。)
今日も吹いているマウイの風と身体を包み込んでくれる空気、肌で感じる太陽の光、広い空、植物の匂い、ハワイの花たちの色と匂い、潮風の香り、波の音、海に生きている魚や貝や海藻たち、いつもそこにあり見守ってくれているハレアカラ山、生まれ育ったハワイの土地とそれを共有する人たち。。。ここハワイに在るものすべてを長い時間をかけて肌で心で感じ、細胞の奥までその感覚すべてが記憶されている大人のフラダンサーたちは、身体の内側の奥のほうから美しさがあふれでています。 そんな内面からの美しさあふれるフラダンサーを見て、ダンスはムーブメント(身体の動き)だけではなく、その土地を愛する感情とカルチャーの表現なのだということを発見させてくれました。
コンサートは、マウイの土地と自然と人への愛情でいっぱいでした。
やっぱり夏は暑いです。 やっぱり夏の季節には海に入らずにはいられません。
夏になるとやっぱり誰でも海にはいりたくなるので、子供たちはサーフィンを始めてみたり、お手軽に誰でもすぐに楽しめるブギーボードに興じたりと、夏休みということもあり、海人口はいつもより多くなります。
ここ数年のヒットはスタンダップパドルボード。キヘイやラハイナへかけての海岸ではたくさんスタンダップパドルをしてる人がいます。 ウインドサーフィンやサーフィンをしない人までもが、「これだったらできそうだな」と思うようで誰でもやってみたくなるようです。(注:初心者向けはあくまでも岸のすぐ傍平水面での場合です。 波のパワーや沖の潮の流れには逆らえませんので自然を甘く見ないように。。。普段海に馴染んでいない人がよく起こしがちな過ちです。)
ハワイは常夏なのでウインドサーフィンなりサーフィンなり、何かと理由をつけて1年中海にははいりますが、ハワイに住んでいる人全員がサーファーかと言うと実はそうでもないのです。
ハワイで生まれ育ったにもかかわらず、海スポーツを全然しない人もけっこういるし、あとは昔はやってたけど今はもうやらないという年配の人もいます。
私がマウイに引っ越してきた頃、「どうしてマウイに来たの?」とハワイの人に聞かれ、「ウインドサーフィンができるから。マウイは1年中風が吹く、世界一のウインドサーフィンスポットだからよ。」と答えると、「へえ〜、ここが世界一のスポットなの? ほんとにぃ???」なんて反応をよく返されていました。 そのたびに「こんなにいい風の吹くウインドパラダイスで生まれ育っておきながら、そんなことも知らないなんて、なんてゼイタクな!」と思ったものです。
逆に陸にいるとただの年配はたまた(はっきり言って)老人なのに、海にでると突然別人と化して、バリバリのサーファーだったりします。
たいがいこういったローカルの大御所サーファーは、海上サーフ交通取締官みたいな役割(?)をしていることが多く、後から来て自分のことしか考えず波を横取りしたりすると、怒られます。
先日ラハイナのラウニウポコで久しぶりにサーフィンしていると、観光客の女の子(たぶん始めたばかりで最近やっと波で立てるようになったと思われる)が、すでに海上サーフ交通取締官が奥から乗ってきている同じ波のすぐ波下で波をキャッチして立ちました。海上サーフ交通取締官がドスを聞かせた低い声で "What's UP !"と声をかけています。
その女の子は振り返って "Hi !"とかわいらしくあいさつして、そのままスイ〜っと波に乗っていきました。
"What's UP!"というのは親しい間柄では日常のあいさつですが(よお〜、元気か!という感じ)、このシチュエーションでは「おいこら! 気をつけろ!」という感じ。 ですからこれは海上でナンパされたのではありません。 波を横取りして怒られたのですヨ。
(一応解説:波はとにかく一番最初にその波で立ちあがった人のモノです。遅れた場合や奥からすでに波に乗って来てる人がいる場合にはその波はあきらめること。)
海にはいるとクールダウンして、いつも身体が気持ちよ〜くなります。例え1日の疲労で疲れていても、一瞬のうちにして驚く程の癒し効果なので、多少風が弱くても、コンディションがいまいちでも「ちょっと濡れてくるワっ」と言ったノリでウインドサーフィンはします。
海につかるのは一番のリフレッシュ効果ですが、こんなホットで暖かい日に食べるリフレッシュメントのおすすめは、以前ブログにも書いたシェイブアイス( シェイブアイスは何味を選ぶ? http://mauiwind.livedoor.biz/archives/981604.html )
そのほかのローカル人気のおすすめはコチラ。
*Guri Guri(タサカグリグリ):カフルイのマウイモール内にある手作りシャーベットのお店。 とても素朴な味で良心的に安いので、ローカルには大人気。
お昼時や週末などはローカルのお客がほとんどひっきりなしに訪れ、お店の周辺で食べているので、マウイモールのこの一角はローカル通りと呼んでいます。
*Tutti Frutti(テューティフルーティフローズンヨーグルト):フローズンヨーグルトなのでヘルシー、そして日替わりの味のバラエティやトッピングもあり自分で好きなだけ自由にカップにいれて重さで払います。 プレーンヨーグルト、バニラ、ストロベリー、オレンジ、チョコレート、コナコーヒーなどすべて美味しいのですが、私の個人的趣味のおすすめ(ちなみに私の子供達も同意見)は、タロ(写真でうす紫色のモノ)とリヒモイパイナップルがベスト2です。グアバ、リリコイ、ライチも美味しいです。
こちらはチェーン店で、オアフ島にもあります。マウイ島にはカフルイのセイフウエイ向かい(こちらはほとんどローカルの溜まり場状態)と、キヘイのククイモール内の2軒。 ちなみにマウイのクイーンカアフマヌセンター内にヨーグルトランドというお店がありますが若干のみ安い分、味も冷たさもチープな感じがした(私の主観)ので1度行ったきり2度と行ってません。
(テューティフルーティのカフルイ店。トラックの荷台で食べてる子)
ハワイは常夏なので冷たいもの系も1年中美味しく食べて、リフレッシュできますヨ!
夕方カナハでウインドサーフィンをしていたら、カヌーパドラーが出艇してきました。そして風上からはスタンダップパドルボーイも漂着してきました。
海を共有しているって幸せです。
サンライズ 午前5時47分
サンセット 午後7時11分
マウイは夏真っ盛り、
夕方5時でも太陽はまだ斜め45度以上西の空高く、日が長いので外で遊べる時間が長く、トレードウインドは毎日吹き、海は暖かく、大好きな季節です。
マウイの学校は5月末からすでに夏休みにはいっていますので、パイアベイあたりではボディーボードを抱えたローカルの子供たちも昼間からたくさん出没しています。
ウインドサーフィンのスポットであるカナハビーチパークはコンディションの安定する午後1時頃からウインドサーファー達が出艇しはじめ、午後はウインドサーフィン天国です。
仕事を一段落し、子供たちをバスケットの練習場所であるアップカントリーの体育館に降ろしてから、やっと午後4時頃カナハへ行きました。
日はまだ高く、風もまだガンガン吹いています。
マウイを訪れている友達のフェデリコ(前回のブログ参照)を見つけました。弟のマリアーノと友達のルーシーも一緒です。
「Yoko, it is nice to see you here. I am so happy to be here. Did you go out ? やあ、ようこ、会えてうれしいよ。僕もここにまた来れて幸せだよ。海でたの?(ウインドサーフィンした?)」
「今、来たばかり。これからでようかな〜と思って」
カナハに来たときはいつでも、今日も海はきれいだな〜と目と脳と全身とでまずはその日の海を十分に堪能します。
海の青さを目に焼きつけて、風と戯れるウインドサーファーたちの鼓動を感じて、潮風を身体中いっぱい吸い込んで、その日の海の空気に馴染んでから、「さて、やりますかっ!」といった具合に道具をセットして海へでます。 海では風も水も波もすべてのものが絶えず動いて生きていて、その中に自分の身体が溶け込んで協和していく時間は至福の瞬間です。
「協和」=互いに心をあわせて仲良くすることという意味ですが、まさに心をあわせてという安心感に、飾る言葉なく「海って気持ちいい〜、海大好き!」と叫びたくなります。
海を見ながらフェデリコやほかのウインドサーファーらと会話をしていたらすでに午後5時を過ぎてしまいました。 多くのウインドサーファーたちは夕食時間が気になるかのようにほとんど一斉に陸にあがって片付け始めており、人の少なくなった海は大きく広々とした空間になっています。
風はもったいないほどにまだ吹いています。 インサイドでチョロチョロとやっている私のまわりにはほとんど誰もいません。沖の波の立っているところには緑と赤色のゴヤセイル4つが親指程度に小さく見えており、マサトとフェデリコたちの4人だということがすぐにわかります。
自分ひとりだったらこんな遅い時間からはリスクがあってやらないけれど、今日はみんながいるので安心してでられます。 シャバシャバと心地よい音をたてて海面を沖に向かって滑走していると、西に傾いた太陽の光が海面と自分のセイルに反射しキラキラ光っていてとてもとてもきれいです。
海はやっぱり気持ちい〜な〜
風がおちてきたのと、そろそろ帰宅するであろう子供たちの夕食の準備が気になったので、海からあがりました。
急いでバタバタと片付けはじめていたら、息子のカイから携帯にメッサージがはいっていることに気づきました。
「バスケットボールキャンプで配ったピザがたくさん余っていて、大きなピザ3枚もらったから、夕食の準備はしなくていいよ」
急いで帰らなくてもよくなったのでビーチに戻ると、誰もいなくなった海でま〜だしつこく海面を滑走しているセイルが2つ(もうこの時点で、ウインドサーフィンをしているヤツは本当の本当にこの2人=マサトとフェデリコのみ)、夕闇に向かう海面をまるで追いかけっこしているように並走しながら、インサイドの海を行ったり来たりしています。
昼間強く吹いていた風はだいぶ落ちておりセイルでやっとつかめるほどに穏やかです。
人がいなくなった静かなビーチでは、2人が海面を滑走する音がはっきりと聞こえます。
さっきまで青かったはずの西マウイマウンテンの背景の空が明るいパステルオレンジに変わり、山の影から強く光を空へ放ちはじめ、やがて西の山の夕日は突然加速しはじめたかのように1分ごとに色を濃くしながら傾き始めました。
そこにあるすべての景色を包み込んでいくあまりにも優しい夕方の光の中で、2人のウインドサーファーと海、風、波、空気、夕日が心をあわせて仲良くしているのがはっきりと私の目に映りました。ゆっくりと流れていたその時間その瞬間、私たち3人は世界で一番幸せを感じていました。
「マウイで過ごした7日間は夢のようだったよ。 マウイの植物の匂い、マウイの自然の美しさ、マウイの色、そして何と言ってものんびりとリラックスしたアイランドスタイルはやっぱり最高だよ。 カリフォルニアより愛をこめて、フェデより。」
(2009年12月にお客さまへお送りしたクリスマスメールの一部抜粋、そしてその ”続き” です)
(以前にブログにも書いたことのある私の大切な友達、ウインドサーフカンパニーで長い間働いていたフェデリコは、癌の治療の為2007年夏にカリフォルニアへ引っ越し、2008年3月に一度完全に消えて治癒した癌が、2009年春にまた再発してしまい、今もまだ癌治療を続けながら気分のいい時にはサーフィンをしたりウインドサーフィンをしたり小さな娘と息子の面倒を見て、神様を信じ生きています。)
ブログアーカイブ(今を生きる、今日1日を生きる):http://mauiwind.livedoor.biz/archives/285695.html
ある日、私が海で気持ちよくぼーっとしていたら、まるでフェデリコもその時この場所に来たいと思ったのかどうかはわかりませんが、私の携帯がなりフェデリコのなつかしい声を聞きました。
「ヨウコ? メールくれたから電話しようと思って。。。元気?」
「フェデリコにプレゼントしようかなっと思ったCDがあったんだけど、Justin Kawika Young知ってる?」
「知らないよ。その人ハワイのミュージシャン?」
「そう、ハワイ育ちのばりばりのハワイアン、でも今はカリフォルニアにいるんだけど、ハワイが恋しいっていう歌をたくさん唄ってるのよ」
「そうなんだ。。。なんか僕みたいだな。。。」
One Foot on Sand というタイトルの歌ですが、日本語に直訳すると ”片足は砂の上”(???) 歌の意味も含めて私なりにかっこよく訳してみると、”My Home - いつもあの砂浜で” といったところでしょうか。。。
数年前にローカルラジオステーションでかかりまくった歌です。
車の窓を開けてボリュームやや大きめでこの曲を聞いていたら、信号待ちで、2車線隣の車の人がニコニコしながら手を振ってきました。(Justinの親戚かも。。。?)
この曲グッドだよね〜とお互い手話で会話しました。
自分を育ててくれた大地と深い愛情でつながれているハワイアンボーイの心が感じられる歌ですが、
ハワイの地に感謝する気持ちやハワイに惹き付けられてまた戻ってきたくなる気持ちは、一度でもハワイを訪れたことのある人は誰でも同じような気がします。
*********************
ひとり風に吹かれ、自由を求めて新しい場所へやってきた
だけど僕の心のどこかではいつも遥か遠くのあの場所を見ている
新しい世界が広がり、ここには可能性がたくさんある
今まで知らなかったたくさんのものが見える
だけど夜はすごく冷たくて寂しい
時々僕の目は心に馴染んだ景色を探している
遥か遠く海の彼方のあの島を見つめている
心のどこかで、僕はいつもあの場所を歩いているんだ
クリスマスにこの場所に帰ってきた
暖かい海に、知り尽くした馴染みのこの場所に
天国のようなこの場所に、感謝の気持ちがこみあげてくる
うれしくてうれしくてしょうがない
ここはいつまでも変わらない
遠すぎて忘れてしまったり、自分が見えなくなってしまうことも時々あるけれど、
心のどこかで、僕はいつもこの場所を歩いている
そこはこの暖かい砂浜なんだ
どこにいても、心のどこかで僕は確実にいつもこの場所にいるんだ
僕が心から愛するこのハワイの地に。
(One Foot on Sandの歌詞を、日本語でわかりやすく意訳しました by Yoko)
*********************
ハワイ大学(マウイ校)でマスターコースを卒業したバレーボールのコーチの卒業式、高校でハワイ語コースを修了した友達の純ハワイアン卒業式、高校のフットボール競技場で行われる高校の卒業式へは卒業してしまうバスケットやバレーボールの仲間や友達(先輩)を祝いにと、卒業式ウイークでした。
ハワイで高校を卒業した後の進学先は、ハワイ州内の大学に行くか、または、メインランド(アメリカ本土)の大学へ行くかで大きく別れることになります。 ハワイで育った人にとっては、メインランドへ行く事は、ハワイ文化とはまったく違った場所での暮らしのチャレンジです。 たまたまハワイもメインランドもアメリカという同じ国の同じ言語ですが、環境も価値観も生活のスピードも一部の食べ物も違います。 それでもそこに自分のめざすもの(行きたい大学、やりたいことがある大学)があれば、ハワイの若者はメインランドへ旅立っていくわけです。
ハワイで育ってハワイを離れたことのある人、いままさにハワイを離れてメインランドにいる人は、この One Foot on Sand の歌を聞くと、ハワイへの愛着や恋しさに共感し泣けてしまうそうです。
自分の夢をかなえるには、小さな片田舎ハワイではなく、多くの可能性やチャンスがあるメインランドでなければいけないんだという気持ちと、慣れ親しんだ大好きなハワイにいたいという気持ち、このジレンマとの狭間にいる複雑な気持ちは、ハワイを離れてメインランドにいる人にとっては誰でもが感じるそうです。 でもどこで何をしていても、ハワイが育ててくれた自分はいつまでも永遠にハワイアンボーイのままサ、というテーマの歌です。
この歌のアルバムのジャケットがまた最高にかっこよくうまくできており、
" Hollywood "(ハリウッド)と書かれた山を背景に、ギターを抱えてロスアンゼルスの町並みを歩くジャスティンの後ろ姿、そのTシャツの背中には”808”と書かれ、ジャスティンの歩いている部分だけ砂浜(そこ以外は舗装道路)になっているのです。
ちなみに808は、ハワイのエリアコード(電話の市外局番)。
癌の治療の為にロスアンゼルスに引っ越してしまったフェデリコと奥さんのマーシー、このアルバムをとても気に入ってくれました。たぶん、ハワイへの恋しさに共感し、泣けてしまったんだと思います。
5日前に " I am GOING ! マウイに行くよ!" というメールをフェデリコから受け取り、そして今日(5/30)、マウイ島のホキーパの海にフェデリコはいました。
昨日まで約2週間ほど波が消えて平水面だったホキーパが、今日は迫力のある波が思いっきりはいっています。 まるでフェデリコがマウイに帰ってくるのにあわせて波がやってきて歓迎しているかのよう。。。 強いトレードウインドもはいっていて、久しぶりに最高のウエイブコンディション、当然のことながらフランシスコゴヤをはじめマウイに居るホキーパセイラーたぶんほとんど全員そこにいました。 (マウイの風波コンディションと、ウインドサーファーの行動パターンは、まったく本当にわかりやすいです)
いきなりこんな最高のコンディションじゃ、フェデリコ海にでっぱなしで岸になんて帰ってこないだろ〜な〜と思いながら、強風でとんでくる砂を顔でバチバチと受けながら、なんとか海上のフェデリコを確認しようと目を凝らして海を見ていたら、"Yoko, Yoko, ヨーコ!"と聞こえた気がしました。振り返ったら、友達に借りたであろうオンボロのトラックの横でフェデリコがニコニコして手を振っていました。
「マウイの空港はまったく最高だよ。なんでこんなに空気も人もメロウなんだ。マウイの空港に着くと、花の匂いっていうのかなんて言うのか、マウイの匂いがするんだよ。 それでもって、ハナハイウエイを車で走っただけでもうトロけそうだよ。。。。」と、いつものごとくフェデリコがどんなにマウイに惚れているかという話がはじまりました。
私には、フェデリコが着ているTシャツのその奥に、
”808” と書いてあったように見えました。
( at Hookipa )
ビートのきいた激しい音楽にのせて、身体を動かしステップをしているというのに、すごく楽しい時間のはずなのに、涙が止まりません。 泣きながら運動しているなんてバカみたいと思い涙をこらえていたら、遅れてエアロビクスルームにはいってきたローラの目も赤くなっていました。
私の好きなエアロビクスステップのクラスの先生が今日で最後です。17年間マウイの各所でインストラクターをしていた先生が、だんな様の退職にあわせてアメリカ本土へ戻ることになりました。
マウイに長く住んでいると、多くの別れを体験します。
マウイ島に引っ越してくる人も多いけれど、マウイ島からでていってしまう人も多いのです。
アメリカ本土から引っ越してきた人が、また本土へ帰っていったり、マウイに住んでいた人が職を求めて、よりよい生活を求めてアメリカ本土へ引っ越したりという理由がほとんどです。
島の生活が肌にあわずという人も実はたまにいます。便利で物に困らない都会に比べると、海以外何もない退屈な島ということになるわけです。
もちろん結婚や家族の事情や、そして病気治療の為によりよい医療施設をもとめてという場合もあります。
こうして今までも何人もの親しい友人たちが、お別れしたくない人たちが、それぞれの理由でマウイを離れて行きました。
私がケイトのクラスに参加するようになったのは7年前からです。私がちょっとした病気をしてしまったこと、そしてそもそもそれ以前から仕事をしながらの歳の近い子供2人の子育てで無理をしており、運動をする時間もなかった為か腰痛になりやすくなったりとその時期身体はボロボロになっていました。 やはり人間「身体が一番の基本」ということに気づき、まずはゆるやかなヨガのクラスから初め、筋力や持久力をつけるためにケイトのエアロビクスステップのクラスへも参加しはじめました。
初めてクラスに行きだした最初の2、3回は5分位ステップを踏み続けただけで心臓は爆発寸前に呼吸困難、こんなことでは強盗に襲われたりでもしたらとても追いかけられない逃げられない、子供どころか自分の命さえも守れない、どんな状況でも生きぬくためにはまずはタフな身体!と思ったわけです。車と同じで人間の身体もメンテナンスをしてなければどんどんポンコツになっていきます。 調子良くスムーズに動くには身体もやはりメンテナンスが必要です。
「今日は疲れたな〜、めんどくさいな〜」と億劫に感じたときもありましたが、「だからこそ行こう!」と、とりあえずクラスへひとたび行けば、60分後には必ず心地よい筋肉疲労と達成感で身体も頭もすっきり生まれ変わり、笑顔になっています。 使用前、使用後というわけではありませんが、運動をする前と運動を終えた後では、まったく違う自分になっており、気持ちがリフレッシュされ、頭の血のめぐりもよくなっているのか、新しい考えや解決方法などがひらめくようにうかんだり、超前向きに物事を考えられるようになります。
ちなみに、ウインドサーフィンの場合には、海からの癒し効果も加わり、身体と気分のリフレッシュトランスフォーム効果はさらにテキメンであることはいまさら言うまでもありません。
やっぱり、人間も所詮動物なので身体を動かさないとね。。。
ケイトはインストラクターという仕事として、決まった時間に同じことを繰り返し繰り返し17年間やってきました。 たまたまきっかけがあってケイトのクラスへ行き始め、ケイトのクラスが好きになり、この7年間で私はケイトからたくさんの汗とエネルギーと笑顔をもらいました。 身体の芯の奥のほうに眠っているエネルギーを気持ちのいい汗とともに引き出して笑顔になれるように導いてくれました。
私の生活のほんのひとかけらの時間を共有しただけなのに、私は確実にケイトからたくさんのことを与えられていました。 汗、エネルギー、笑顔。。。。。
「たくさんいい汗かかせてくれてありがとう。 たくさんの元気をありがとう。 ケイトが助けてくれたおかげで今私はここに元気でいるのヨ。 Thank you for good sweat & positive energy. You put me back on the road.」と伝えたら、これからエネルギッシュな60分間のクラスがはじまるというのに、ケイトの目は涙をこらえて真っ赤になっちゃいました。。。。
自分が何気なく毎日行っている日常的なことでも小さなことでも、ケイトが私に与えてくれたように、もしかしたら私でも何かを人に与えてることがあるかもしれない、誰かの人生のほんの少しのかけらの一部にでもなれてるかもしれないな。。。
そう思ったら、毎日の決まりきった仕事でも人との些細な会話でも、なんだか楽しく思えてきました。
涙をこらえながらはじめた今日のケイトの最後のクラスもついに終わってしまいそうです。大汗かいてすっきりして、心臓を打つ早い鼓動も落ち着き、やっとクールダウン、ストレッチタイムです。
「今日家で引っ越し荷物の整理をしてたら2007年の新聞の切り抜き記事が床に落ちてたの。 どうしてこういうタイミングでこんな記事が私の目の前に落ちてたのかちょっとびっくりしちゃったんだけど、読むわね」と前置きをしてから、ケイトはみんなに素敵な言葉をプレゼントしてくれました。
すべてのパワーは貴方の身体の中にある。
もし貴方が人生の宝物を見つけたければ、
外に目を向けるのではなく、
自分の身体の中に目を向ければ宝物は見つかる。
「私はここで17年間教え続けてきました。みなさん、明日から20年間はここに通いつづけていい汗かいてね。マウイは大好きだから、また来るわ。」
5月9日はマウイでも母の日。
母の日のプレゼントは
ウインドサーフィンやりたい放題の1日。
ごちそうさまでした。
4月だというのに日本では雪が降っているという便りが届いていた頃、こちらマウイも温度が下がっておりこの季節にしては寒々としていました。 夜、標高の高いアップカントリーに行くと空気は冷たく、ハレアカラの山裾をおりてくる少し強い風は、ココはスキー場か?!と思わせるほどの寒気で(ちなみにこの場面での私の服装はいつもどおりの半袖短パンですが)、駐車場の車へ50メートルダッシュをせずにはいられないほどでした。
そんな一時的な季節はずれの寒さも、マウイ特有の強い貿易風とともにどこかへ吹っ飛び、すっかり暖かくなりました。
ノースショアにはまだ時折ハイサーフアドバイザリー(高波注意報)がはいっていますが、この波もこれから夏へ向かって徐々に小さくなり、サウスに波がはいってくる季節へと変わります。
→4/26に追記:
(と言っている矢先、4/26日にサウスにスウエルがはいりました〜)
マウイの春の訪れはジャカランダの花、毎年春になると満開に咲き乱れる紫色の花は、標高の高いアップカントリーのあちこちで見ることができます。
アップカントリーとは、マウイの場合ハレアカラ火山の山腹で海岸線よりだいぶ上にあがった標高の高い場所のあたりのことで、具体的にはマカワオ、プカラニ、そして本当にいよいよハレアカラ山頂へ向かういう高原地帯クラなどを総称して言います。
マカワオやプカラニは一般住宅が密集しているところですが、クラは観光リゾートの喧噪からはかけ離れたのんびりとした田舎の高地で、やしの木やサーフィンやビーチといったハワイのイメージとはまったく違う景色です。
私は海に近いところに住んでいますが、アップカントリーへ行くと気温は確実に低いことがいつでも体感できます。もっともハレアカラ山頂(標高3055メートル)に日の出を見に行った日には防寒ジャケットや毛布と暖かいコーヒーでもないといてもたってもいられない位ですから、常夏のハワイとはいえ、山があるだけで気温の違いや様子のまったく異なる景色を楽しむことができるマウイは、自然が好きな人にとってはいつまでもまったく飽きさせない魅力があります。
クラからハレアカラ山頂へ向かう道、ハレアカラハイウエイをそのまま直進してクラハイウエイでテデスキーワイナリーまでいく道も、道端から見えるなにげないそこにあるだけの景色が、飾り気のない自然そのままでとてもいいのです。 そこはただの道端だったり草むらだったり、原っぱだったりただの公園だったりなのですが、とにかく空が大きく、遥か彼方の海岸線まで続く雄大な大地と少し冷たい澄んだ空気は、海で感じるのとはまた違うところの感性に働きかけ、心洗われます。
牧草地でのんきに草を食べている馬、どこからともなく聞こえてくるヤギの合唱、ここはヨーロッパの田舎?と思ってしまうような山腹の牧草地。 遥か下界を見下ろすと、つい先ほどまで自分が走っていた道路は(当たり前だけど)地図で見る形とまったく同じで、遥かかなたにミニチュア模型のように見えるワイレアのリゾートホテル(これもまた地図とまったく同じ、当たり前だけど)を眺めていると、「そんなお城の中に閉じこもってないで、今すぐこっちへおいでよ〜、ここからの絶景を見て〜」と叫びたくなります。
マウイで私が最高に好きな、最も一番景色のいいスポットがあります。 そこへ行くと、キヘイの海岸線とノースショアの海岸線が同時に見え、後ろを振り返るとハレアカラが堂々とそこにあり、ヤギの合唱(笑)がかすかに聞こえます。 夕方は、キヘイの海へ沈んでいく太陽の光が空の色を刻々と変化させながらゆっくりと時間が過ぎて行きます。 ここはまわりには何もないけど、最高のデートスポット(?)です。。。 ガイドブックには絶対載っていない場所、いえ、あまりに何もない普通のところなのでガイドブックの記事にもできないようなところです。 こういうところは、ガイドブックに書いてあるとおりに出かけて行って場所確認作業をするよりもむしろ、自分の足で自分にとっての最高のスポットを発見することに価値があるのだと思います。 クラへ行けばきっと発見できますよ。
さて、マウイの春の訪れのジャカランダの花は、ハレアカラハイウエイから山へ向かってのぼっていったアップカントリーのあちこちに咲き乱れています。普通は南国の花の色といえば、赤、黄色、オレンジ、濃いピンクなどの元気のいい濃い原色ばかりですが、ジャカランダは少し青みがかったような紫色で、桜のような大きな木にたくさん咲いているので、咲いているだけでその辺りの景色の様子ががらっと変わります。 普段は緑だけの道端が、パープルに染まり、思いっきりドレスアップをしているように見えるこのジャカランダ、4月頃から6月頃までアップカントリーを彩っています。
マウイのアップカントリーに咲く
ジャカランダ Jacarandaの花。
南国っぽくないブルーパープル色が
とてもきれい。。。
私がよく通る道端からの景色。
ハレアカラの山に向かって牧草が広がっています。上のほうに点々とみえるのは牛さんたちです。
「この完璧に暖かな太陽の光とは少しの間お別れです」と言いながら、冬気候への覚悟を決め、ホノルル空港より日本行きの国際線に乗り込みました。
8年ぶりにバケーションをとり、雪たっぷりのスキー場で過ごしました。
雪に覆われた山々、頬がキーンとする寒さ、スキー板を通して足裏で感じる雪に覆われた大地の感触、無邪気に雪山で遊ぶスキーヤーにボーダー達、外の寒さとは対照的にぬくぬくと暖かいスキー宿や足をのばしてはいれるお風呂、世界で一番美味しい日本の食べ物!着ている服の重みも、自分で荷物を持って人ごみの波に乗ってさっさと歩くのも、電車を乗り継ぎながら移動するのも、自動販売機でジュースを買うのも、ハワイ育ちの子供達にとっては日本は非日常です。まして、今回は雪という、ハワイとは全く別世界の非日常。
ずっと長い間忘れていたことだけど、かつて昔日本に住んでいた頃には、冬の間じゅうは毎週末スキー場に通っていたことを思い出しました。 スキーシーズン中に週末東京に居ることなんてできませんでした。 自分の身を、雪をかぶった山々の中に必ずおかなければいたたまれないような、動物的にその場所を欲しているようなそんな感覚だったことを思い出しました。
久しぶりに雪山で過ごした満足感と連日のスキーによる心地よい全身筋肉痛をおみやげにスキー場を後にし、実家に向かう為に鈍行の電車に揺られていました。 電車はすいていて人はまばら、ときおり乗降する電車通学の高校生をなつかしく眺め、子供達は同じ位の年頃の中高校生には興味を示しつつも、同じ服を着ていること=「制服」がめずらしく見えるようです。 「あといくつで着くの?」なんていう超一般的な会話をしながら窓の外を眺めていると、突然海が見えました。 もうこんな海の近くまで来てたんだ。。。
海を見た瞬間に何かを感じていました。
実家の近くの動物園のある丘からは、太平洋の海が眼下いっぱいに広がっていました。
こんなに海の近くに居ると、ついさっきまで雪がたくさんの山にいたことが夢だったように思えます。
海を見ていたら、身体のどこか奥深いところで何かをすごく欲しているような気がしました。
この広い海はハワイのあのいつも見ている海までつながってるんだよね〜、ここからどのくらいの距離なんだろ〜、本当につながっているのかな〜。
雪山に居た間、すっかり忘れていたハワイの海が無性に恋しくなり、一刻も早くハワイの海へ自分の身を置きたくなりました。。。「やっぱり海だよね〜」
ハワイへ戻り、また半袖短パンビーチサンダルの身軽なライフスタイルに戻りました。
慣れ親しんだ場所とそこにある限られた物で過ごすシンプルライフに戻りました。
ノースショアの海を眺めながら、身も心もすごくリラックスしていました。
太陽はありがたいほどに暖かく、息子のカイは「今すぐビーチに行って、身体を解凍だ!」と言っています。
雪も海も、そこにあるだけなのに、こんなに楽しくてしょうがない、こんなに気持ちいい、
海が遥か遠くの島までつながっているように、自然と人間もつながっています。
そして遠く距離は離れていても、人間と人間もつながっています。
マウイ島にはこの春一番の強いトレードウインドが吹き、カナハにはウインドサーファーやカイトサーファーがあふれています。
風に吹かれ(といっても現在かなり爆風モード)、海につかったら、私の中のスイッチも勢いよく「ポン」と、未練がましいスノーモードから本来のサーフモードにはいりました。
私が居たくてしょうがなかったところはやっぱりマウイの海、自然の中で感じるままに導かれるままに「やっぱり海だよね〜」というわけで、今年もマウイはウインドサーフシーズン突入です。
カナハビーチパーク
この春一番の強いトレードウインドが
吹きまくっています。
(海にはいっている4人の子供のうち、
2人はジーンズとシャツ=洋服のまま
海にはいっちゃってます。笑)
久しぶりに人ごみの中へ行きました。 駐車場もお店の中も人でいっぱい、大変な混雑でした。
マウイで ”人多いなあ〜”と感じるような人ごみに遭遇するのは大変稀なことで、せいぜい1年に1回のカウンティフェア(物産展と移動遊園地)や、これも1年に1回の11月末感謝祭直後のクリスマスセール程度、あとは数年に1度、マウイに新しい大型店舗がオープンした時くらいです。
マウイ島カフルイ空港より車で3分のマウイモール内に Whole Foods Marketがオープンしました。
(我がマウイウインドサーフカンパニーのすぐ裏側です。)
ナチュラルオーガニック食品の大型スーパーマーケットです。
ヘルシーフードやオーガニックフードブランドの食品やサプリメント、ボディケア商品に加え、野菜果物コーナーには、マウイやハワイ島などの農家から仕入れたローカル産物がたくさんあります。
お魚コーナーとお肉コーナーにも、ローカルものを見つけることができます。
ベイカリーコーナーには美味しそうなケーキやパイが並び、こんなに小さなサイズは日本にしかないと思っていたプチケーキまであります。(一口サイズのケーキ。でもハワイアンやアメリカンには小さすぎると思うけど。。。こんな小さなサイズのものをハワイで見た事はありません)
そして充実のデリコーナーには、サンドイッチ、ピザ、ブリトー、サラダバーに、うどんやお寿司、丼スタイルの弁当(チキン弁当など)まであります。デリコーナーのすぐ横と、ストアの外にもテーブルとチェアがあり、デリコーナーで買ったものをゆっくり食することができます。
以前のブログで、遠くアメリカ本土から運ばれてきている野菜や果物よりも、ハワイローカル産のものがどんなに美味しいかをご紹介しました。
→*ローカル野菜が新鮮!(マウイローカル美味しい情報その1)http://mauiwind.livedoor.biz/archives/637310.html
私は特に野菜はできる限りローカル産のものを、青空マーケットやローカルの小さなストアで買い求めます。新鮮だし、新鮮だから数日経っても腐らないし、しかも安いし、美味しいしといい事づくめだからです。 お魚もできる限りハワイローカルのアヒ(まぐろ)、オパカパカやマヒマヒ(白身魚)を買ったり、肉はローカル産は限られているので、ローカルストアにその日にあればラッキーという範囲内で、時々新鮮なマウイ産ビーフを買ったりしています。
今回はオープン直後で人のあふれている Whole Foods Marketにてハワイ島産のオレンジを迷わず買いました。 独特の自然のままの姿形をしたオレンジは、暖かい土地でのびのびと育つオレンジの木にぶらさがっているのが目に見えるようです。
ぜいたくにそのまま絞ってオレンジジュースとしてゴクゴクと飲み干します。甘〜くて美味しい〜〜、自然の恵みの甘さ。。。
人も素顔のまま素のままが一番人間らしくその人らしく味わいがあるものですが、オレンジも自然そのまま、素のままが最高に美味しい〜、身体の細胞にも何の抵抗も無理もなく吸収されていくようです。
Whole Foods Market はアメリカの大型チェーンストアにもかかわらず、ローカル産のものがたくさんあり、朝8時から夜9時まで開いていますので、朝から晩まで遊びに忙しい観光客の方でも、新鮮で美味しい産地直送のものを十分に楽しめます。
ハワイに来たら、ハワイで日本のものを探し求めるのではなく、ハワイにあるもの、産地直送のものを発見し、堪能し、存分に楽しんでいってください。
(身体に美味しい海遊びも忘れずに!)
※ウインドサーフカンパニーにて
海遊び道具各種レンタル中!
アメリカ50州のうちの49州で雪が降っているそうです。2月12日金曜日の時点で滅多に雪の降らないフロリダ州にさえも雪が降っており、アメリカ国内の3分の2は雪で覆われているとのこと。
唯一雪が降っていない州はここハワイ州のみ。
冬の間はハワイ島のマウナケア山頂(国立天文台すばるがあるところ)が雪帽子をかぶるのですが、今年現時点では今のところ雪はない為、「アメリカ50州すべて雪」という稀な記録更新にはなっていません。
冬のハワイは朝晩は少し寒く長袖を羽織りたくなりますが、昼間は半袖、夏に比べるとやや海水は冷たいものの十分に海水浴はできます。ウインドサーフィンができるトレードウインドは1ヶ月の半分位は吹き、天気予報といえば、次から次へと連日 High Surf Advisory(高波注意報)でサーフィン天国、子供も大人も大好きなボディボードは海遊びの定番だし、最近はスタンダップパドルボード(大きなサーフボードでパドルで漕ぎながら移動、波乗りする)も流行っているので、海で遊ぶことには事欠きません。
過去にはハレアカラ山頂が雪に覆われたこともありましたが(→過去の記事:マウイで一番寒かった日 http://mauiwind.livedoor.biz/archives/293331.html )、今年は今のところ比較的暖かい冬のマウイ、標高があり少し気温の低いアップカントリーでさえも日差しは暖かくぽかぽか、太陽のぬくもりに抱かれながらこのまま昼寝モードに落ちていきたくなるような幸福感、ビーチの日差しの下では暑いくらいで、海にはいって濡れてちょうどいいころあいといった感じです。
このようなわけで、冬のハワイはアメリカ本土やヨーロッパからの避寒で訪れる観光客ピークシーズンです。 でもこの時期は学校のお休みと重ならないので、子供やティーンエイジャーなどの家族連れは少なく、大人のカップルやグループがほとんどです。 アメリカ本土からは年配のカップルが多く、空港近くのコスコ (Costco = 会員制の大型ストア)でしこたま食料品とワインを買い込み、これからしばらくの間コンドミニアムにこもってビーチとプールで読書と日光浴の極楽別荘滞在をするぞ〜といった準備態勢120%の生活品買い出し観光客をよく見かけます。
長い間住んでいると、服装や全身から発する雰囲気(たぶん肌の色も)などがその土地に同化していくようで、今では誰も私のことを日本からの訪問者だと思う人はいなくて、観光客から本当によく(道を聞かれたり、お店の場所を聞かれたり)話しかけられます。
私の英語だけは変わらず日本語訛り丸出しですが、伸ばしっぱなしのロングヘアに長年の紫外線でやられちゃったお肌に、1年中同じ季節の服を着てるもんで自然と着古してしまうシャツにサーフパンツ、安いビーチサンダルにビーチサンダル型土方焼けの足の甲(笑)。。。とやっぱりどう見ても土着人と化してるかも?。。。
私の息子のカイは思いっきりローカルボーイなので、例えばショッピングセンターのフットロッカーとかホノルアサーフカンパニーとか観光客もよく出入りをするようなお店に行くと、若い店員さんは最初普通の標準英語で " Hi, how are you guys doing today ? (ここで英会話教室:お元気ですか?という意味ですがこの場面では日本語風だといらっしゃいませと意訳解釈したほうがよい)"とか話しかけてくるのに、息子が "Hi, it is good, thank you.(どうも、こんにちわ)" と一言発するやいなや、そこから店員の言葉はローカル英語に早変わり、いつも聞き慣れているただのローカルボーイズ同士のアロハイングリッシュの世界ができあがっています。 そこへ観光客と思われるお客さんがはいってきて、振り返った店員くんは、また標準英語に戻ります。
(これって、東京で標準語を話している人が、相手が自分と同じ大阪出身の人だとわかるやいなや、お互い突然大阪弁で話しだすのとまったく同じ図というわけです。)
そういえば、日本へ行った際に東京都心で宿泊したホテルでは、うちの子供達黙々と普通に歩いていただけなのに、ホテルマンに英語であいさつされていました。身体から発しているオーラが南国風にのびのびしすぎていたのか、服装が洗練された日本風ではなかったからか。。。?
久しぶりにヨーロッパはオランダに住む友達クリスチャンから便りがきました。
クリスチャンは2年前まで長い間マウイウインドサーフカンパニーに居たスタッフ、もともとはドイツ人ですがグリーンカードを持っていたので長い間マウイに住んでいました。
クリスチャンは、マウイが恋しい恋しいといつも言っています。
最近アルーバ(カリブ海にうかぶ島。ウインドサーフィンのメッカでもある)にバケーションに行っていたそうですが、ウインドサーフィンも海も環境も、マウイの良さからはほど遠く比べ物にならず、そうなるとますますマウイのことばかり考えてしまうと言っています。
マウイ焼けの痕跡もなく白いお肌にモコモコのセーターにジャケットを着ているクリスチャン、冬の長いヨーロッパから時々来るe-mailでもいつも寒い寒いと言っています。
最近日本からは、「スキーに行ってきたよ〜、雪もたっぷり」といった楽しそうなスキー場の写真や、雪に包まれた素敵な冬景色の写真を見せてもらっています。
同じ地球なのに、太平洋上ど真ん中のハワイは今日も暖かく1年中ブルーハワイ。
真冬の季節の中に居る友達へ、ブルーハワイの太陽の暖かさを少しお届けします。 届くかな、感じるかな。。。
(写真はクリックして拡大して見ると、太陽の暖かさと
潮の香りがすると思いますよ!)
(2月16日マウイ島ノースショア/ボールドウインビーチパーク)
1/29の今日マウイは満月です。
夜車を運転していたら、パームツリーの影で真っ白な月が力強く光っていて、雨上がりで空気が澄んでいたせいか月の表面の模様がはっきりと見える位視界がクリアで、そしてその隣には月の光に負けない位明るくまたたいている一番星がいます。思わず車を停めてしばらく見上げていました。
隣で息子のカイが叫んでいます。"Mom, it's just a Moon, let's go home, I am hungry."(ただの月だよ〜、お腹へって死にそうだから早く行こうよ〜)バスケットボールの練習の後だから仕方ありません。 しかし、とても立ち去りがたいほど美しくて、誰かにも一緒に見てほしくて、家に帰ってからもう一度外にでてひとりで月あかりの空を見上げました。
そういえば日本にいる友達が新年早々に「元旦はとてもきれいな満月で、娘と一緒に空を見上げて写真を撮りました」と言っていました。 マウイでは大晦日12月31日が満月で、満月の月明かりの下で年越し花火をしていました。
マウイでは12/2が満月で、そして同じ月の12/31にまた満月だったので、2回目の月(12/31の月)はブルームーンでした。たまに周期の関係で1ヶ月に2回満月が訪れる月があり、月に2回目の満月はブルームーンと呼ぶそうです。学校で聞いてきた娘に教えてもらいました。 こんなに長く(?)生きているのに、今の今まで知らなかったなんて。。。世の中は自分の知っていることよりもはるかに知らないことのほうが多いので、人の話を聞く事と興味のあることはなんでもやってみるということはとても重要です。
なぜブルームーンと呼ぶか、Once in a blue moonという英語の慣用句から来ており、「めったにないこと」という意味だそうです。(勉強家の友達が調べてくれました、ありがとう)
ハワイは日本より時差で1日遅れです。
だから12/31ハワイで満月 = 1/1日本で満月 ということになります。
満月って世界中のどこで見ても同時に満月なの??? 見る場所によって形が違うのかと思ってた。。。と私の勉強家の友達はかわいらしいことを言っていましたが、、、同じ満月が世界で同じ時に見られるということを初めて意識しました。
ということは、私が見ているこの同じ月を、ハワイから離れた日本で、アメリカ本土で、ヨーロッパでもきっと見ているということ。ある一時期に同じ場所で一緒に笑っていた友達、でも今は離れた場所に居る大好きな人たちも、私がきれいだな〜と見上げている同じ月をきっと見ていると思います。 もしかしたら忙しくて月を見上げる暇もない友達もいるかもしれないけれど、きっと月にはそんな人の姿も写っていると思います。
そして今日1/29ハワイで満月、日本は1/30に満月(1/1にも満月だったから)ブルームーンです。
ブルームーンに願いごとをすると叶うと言っている人もいたけれど、あまりにきれいな満月で願いごとをすることなんて忘れてしまいます。
自分の願いごとをするよりもむしろ、「今離れた場所に居る友達や大好きな人もきっとこの満月見てるだろうな〜」と遠く離れている人のことを思い出し、その人たちと一緒に居るような気分になれることのほうが楽しいような気がします。
月を見上げていると、空がつながっているように、同じ空の下で生きている人ともつながっているように感じ、心暖かく元気がわいてきます。
(マウイ島ホキーパ)
今年初めてのクジラを見ました。
「あ〜、今日も波が大きいなあ」と思いながら、いつもどおりの海を見ながらのよそみ運転中、
青い海のど真ん中で ーばっしゃーんー という水面をたたく大きな音が聞こえてきそうな真っ白な水しぶきがあがりました。
今年もまたハワイに帰ってきたね〜、もう年が明けて新年2010年になったよ〜と心で語りかけます。
新年早々に豪快なくじらの水しぶきに力強い生命力を感じ、パワーをもらったようでうれしくなります。
マウイでは新年三が日という感覚はなく、大晦日に花火をして年を越し(店頭で大々的に花火が売られるのは大晦日前と7月4日の独立記念日前だけです)、元旦からウインドサーフショップもオープンするし、息子のバスケットボールの練習もしっかりあります。
年末クリスマス前後は、いつになくとてもあわただしく過ごしました。
クリスマス直前は子供達が所属するバスケットボールプログラムの大イベントがあり、3日間夕方から夜中の12時近くまでコンセッションスタンド(イベント会場で食事や飲み物を売る場所)で働いておりました。 コスコ (COSTCO)へソーダ類や食事の材料、紙皿など必要な物の大量買い出しから始まり、自分たちで作れるもの(ご飯、ホットドッグ、バターコーン、チリ)はつくり、業者に作ってもらうメニューはオーダーし、そして現場販売では約7時間の立ち仕事、もちろんボランティアです。 一緒に働いたほかのボランティアのお母さんと、「We love our kids so much. こんなに働くなんて私たち子供達のことすごく愛してるんだと思うわ」なんて言いながら、疲れを忘れて働き、販売している美味しい食事を3日間タダで食べられたのはよかったです。 そして3日間このイベントに通ってきて毎回食事を買ってくれた人から、最後の日に、「3日間美味しい食事をありがとう」と言われ、とてもうれしかったのでした。
息子のカイはというと、とてもうらやましいことに、クリスマス前後2回もマウイ島から他の島へ行きました。
高校のバスケットボールの本シーズンにはいる前の練習試合をしに、クリスマス直前にカウアイ島へ2泊3日、クリスマス直後にラナイ島へ1泊2日です。コーチが連れていってくれるので親たちは同行しません。
カウアイ島には、オアフ島からも3校来ており、全4校ともにカパアの安いホテルに宿泊、高校ごとに違うフロアだったそうですが、朝食の時や夜などはお互い話をして友達になり楽しかったそうです。
ラナイ島へは、マウイ島のラハイナからフェリーで行きます。その日もマウイの冬お決まりのハイサーフアドバイザリー (High Surf Advisory 高波注意報)がでており、しかも12時45分ラハイナハーバー発、海上は波でラフな状況になっていることは必須、船酔い者続出の最悪の船旅になってしまうかもしれないというのに、カイは普段はほとんど来ないラハイナの町がうれしくて、バーベキューチキンランチをモリモリ食べています。 「船乗る前にそんなに食べないほうがいいんじゃない? 今日は波高いから絶対船ヤバいよ」「船酔いは絶対にしないから大丈夫だよ」なんていう押し問答をしながらも食べ続け、デザートにソフトクリームまでニコニコしながら食べており。。。
ラハイナハーバーまで息子のカイとチームメート2人を送って行き、そのまま別れ、クリスマスに友達や仕事の仲間に配るケーキを焼く為に、片道50分のドライブでノースショアへとんぼ帰りでした。
「ラナイ島のフェリーどうだった?」
「It was Great!!! 最高だったよ!」
「波で、船大変なことになってなかった?」
「すごかったよ。デッキにでてたら全員びしょ濡れになっちゃって最高に楽しかったよ。でも帰りは波はぜんぜんなくて海は平水面で超快適で、満天の星空がすごくきれいだったよ」
「くじら見た?」
「すっごいたくさんあっちにもこっちにも居たよ。それからイルカもたくさんいて、船の真横をすごい群れがしばらく一緒に泳いでて、そりゃあ最高だったよ!」
どこに行っても、友達ばっかりです。
マウイの冬は、新聞は波の記事ばかり。
Big waves hit the north shore ;
more expected today.
ノースショアにビッグウエイブ、
今日はもっと大きくなるよ〜
12月初旬この冬初めてのビッグウエイブが来たときは、世界情勢もほかの懸念事項もすべて差し置いて、連続4日間一面トップ記事は波の記事。
内藤葉子 Yoko Naito
マウイ島にて現地旅行会社と
ウインドサーフショップをしています。
ぜひ遊びにきてください。
のホームページ |
マウイ島現在の時刻(24時間表示)
御前崎発kugiの波風予想とゲレンデレポート
北村美佐代の心も身体もピースフル
*相互リンクしていただける方、nainai@aloha.net までどうぞメールをください。